月末の職員会議。
キラキラの教職員全員がアンボセリロード・キャンパスに集結し、
各自、2018初の月給を手にしたうえで、
校長(教務主任)アレックス先生の司会で会合が始まりました。
各自が持ち時間3分の間に自己紹介と最近気になることや今年の抱負などを語る、
というつもりだったのですが、
蓋を開ければ、名前を言ってそれでおしまい!という人が数名おり、
正直「いったい何が起こったんだ」と驚いてしまいました。
私は、アレックス先生はもうキラキラ勤続3年目になるし、
わざわざ詳細を説明しなくてもわかってくれるだろうという慢心があったのかもしれません。
この日の職員会議の議題を気楽に「自己紹介」と書いて渡してしまったものですから、
純粋無垢な彼はそれを真に受けて、教職員全員にそう伝えたのでしょう。
育って来た背景の違う異国の人とのコミュニケーションは、
これでもかというほどに詳細を正確に伝える必要があります。
ふんだんに例え話を引用しながら、
あるいは、見本などを実際に見せながら、
相手の理解を深めていく必要があります。
私からの3分間は、
まあ、私ということで10分くらいいただいて、
3点気付いたことをお話させていただきました。
①規律を守るこどもたちを育てるには?
幼稚園での朝礼・夕礼をもう一度見直してしっかりとやっていきましょう。
②イベントに対する教職員の姿勢
単にイベントをこなして「ああよかったね」で終わりではなく、
イベントも教育の一環だということを自覚すべし。
イベントに際し、教員自身・児童たちを対象に、計画・実行・評価がなくてはならない。
③説明力
ケニアの人たちは説明力が弱い。
例:アンボセリロード・キャンパスから幼稚園までの道のりを、
絵を描かず、「こそあど」言葉を使わずに、正確に説明できるか?
こどもたちは教職員の説明を聞いてものを知り、
その説明の仕方をまねしながら大人になっていく。
上手な説明のこつは作文のこつにも似ている。
接続詞を効果的に使う、句読点的な箇所で間を置く、
段落ごとにテーマを決め、段落の切り替わりを明らかにする、など。
全員が少しずつ話し終わって、
良いコメントだなと思ったのが、
「児童たちそれぞれの才能を伸ばしてやるべき」
「教員仲間どうしで、お互いに教え合い、修正し合うべき」
「幼稚園では新入園児はお行儀が良いが、昨年・一昨年入園の子たちの方が問題だ」
など。
コメントした本人、関連する教職員、
それぞれに、評価と対策が必要です。
ジャシンタ先生によるコメントは、
いろいろ多岐にわたりました。
とくに、際立ったのは、
気持ちの面で仕事に集中していない2人の教職員に対し、
名指しはせず、暗に、戦略的に、優しい言葉ながらも、痛烈な非難を浴びせつつ、
一般論的な仕事論を話したときです。
何故仕事に身が入らないか?
この2人には明らかな理由(本人たちの私的な問題)があるのですが、
単なる他人の話ではなく、
私自身も、誰もが、いつそうなるとも限りません。
人間は弱い。
しかし、いつまでもそのことを盾に言い訳をしていたら社会が成り立ちません。
「社会人」「被雇用者」「学校の教職員」である以上、
自制と原点回帰が必要です。
恐らく若気のいたりであったのでしょう。
その2人が確かに自分に対する激励的な非難だと受け止めて、
猛省し、
立ち直りのきっかけがうまくつかめるよう願います。
相原 記
キラキラの教職員全員がアンボセリロード・キャンパスに集結し、
各自、2018初の月給を手にしたうえで、
校長(教務主任)アレックス先生の司会で会合が始まりました。
各自が持ち時間3分の間に自己紹介と最近気になることや今年の抱負などを語る、
というつもりだったのですが、
蓋を開ければ、名前を言ってそれでおしまい!という人が数名おり、
正直「いったい何が起こったんだ」と驚いてしまいました。
私は、アレックス先生はもうキラキラ勤続3年目になるし、
わざわざ詳細を説明しなくてもわかってくれるだろうという慢心があったのかもしれません。
この日の職員会議の議題を気楽に「自己紹介」と書いて渡してしまったものですから、
純粋無垢な彼はそれを真に受けて、教職員全員にそう伝えたのでしょう。
育って来た背景の違う異国の人とのコミュニケーションは、
これでもかというほどに詳細を正確に伝える必要があります。
ふんだんに例え話を引用しながら、
あるいは、見本などを実際に見せながら、
相手の理解を深めていく必要があります。
私からの3分間は、
まあ、私ということで10分くらいいただいて、
3点気付いたことをお話させていただきました。
①規律を守るこどもたちを育てるには?
幼稚園での朝礼・夕礼をもう一度見直してしっかりとやっていきましょう。
②イベントに対する教職員の姿勢
単にイベントをこなして「ああよかったね」で終わりではなく、
イベントも教育の一環だということを自覚すべし。
イベントに際し、教員自身・児童たちを対象に、計画・実行・評価がなくてはならない。
③説明力
ケニアの人たちは説明力が弱い。
例:アンボセリロード・キャンパスから幼稚園までの道のりを、
絵を描かず、「こそあど」言葉を使わずに、正確に説明できるか?
こどもたちは教職員の説明を聞いてものを知り、
その説明の仕方をまねしながら大人になっていく。
上手な説明のこつは作文のこつにも似ている。
接続詞を効果的に使う、句読点的な箇所で間を置く、
段落ごとにテーマを決め、段落の切り替わりを明らかにする、など。
全員が少しずつ話し終わって、
良いコメントだなと思ったのが、
「児童たちそれぞれの才能を伸ばしてやるべき」
「教員仲間どうしで、お互いに教え合い、修正し合うべき」
「幼稚園では新入園児はお行儀が良いが、昨年・一昨年入園の子たちの方が問題だ」
など。
コメントした本人、関連する教職員、
それぞれに、評価と対策が必要です。
ジャシンタ先生によるコメントは、
いろいろ多岐にわたりました。
とくに、際立ったのは、
気持ちの面で仕事に集中していない2人の教職員に対し、
名指しはせず、暗に、戦略的に、優しい言葉ながらも、痛烈な非難を浴びせつつ、
一般論的な仕事論を話したときです。
何故仕事に身が入らないか?
この2人には明らかな理由(本人たちの私的な問題)があるのですが、
単なる他人の話ではなく、
私自身も、誰もが、いつそうなるとも限りません。
人間は弱い。
しかし、いつまでもそのことを盾に言い訳をしていたら社会が成り立ちません。
「社会人」「被雇用者」「学校の教職員」である以上、
自制と原点回帰が必要です。
恐らく若気のいたりであったのでしょう。
その2人が確かに自分に対する激励的な非難だと受け止めて、
猛省し、
立ち直りのきっかけがうまくつかめるよう願います。
相原 記
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by kjkirakira
| 2018-01-31 23:09
| ブログ 現地キラキラ