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アフリカでのこども支援「キラキラ」+それを日本で後援「キラキラを支える会」


by kjkirakira

育ててくれたお父さん

コロナ渦で、休校で、自粛で、
キラキラや身の回りで何の事件も事故もないこの頃、
彼女は突然に現れました。

妻ジャシンタが、家の門で来客と何かやり取りしていました。
来客は20歳の小柄で細身の女子。
「私は初期の頃のキラキラ保育園に入ったこどもです」
「私を育ててくれた日本人のお父さんにぜひ会わせてください」

家の中にいた私は、彼女の名前を聞いて、記憶の糸をたどりつつ、
思いがけない来客に大喜びしながら玄関先へ出て行きました。

彼女の名前は「ワンジク・ンジョロゲ」
2000年生まれ
キラキラ保育園の本当に最初のこどもたちの入園受付をしていた2004年7月に、
お母さんに連れられてやって来て、
学籍番号10番、つまり、キラキラ歴代10番目のキラキラっ子となったのです。

しかし、その時の規定で、
1999年生まれまでの子だけの入園を許可していたので、
2000年生まれのワンジクさんは入園手続きだけ行って、
実際の入園は翌年の1月まで待ってもらうことにしていたのです。

ワンジクさんの家はナマンガの市街地の国境沿いのタンザニア側にありました。
お父さんはケニア人で建設職人、お母さんはタンザニア人で主婦でした。
市街地に行く度に、彼女の家の前で遊んでいたワンジクさんとそのお母さんにあいさつしていました。
入園はまだとはいえ、既にキラキラっ子となったワンジクさんを、
既に入園して園生活をしていた他の子たち同様に愛していました。
ワンジクさんも、幼心に、キラキラが私の学校、この人が私の先生、と強く思いながら、
まだ見ぬ園生活にあこがれ、キラキラ愛を深めていたようです。

2004年12月、
ワンジクさんの家の前を通りかかり、
「もうすぐ入園だねえ。楽しみだねえ」と声をかけると、
お母さんは眉間にしわを寄せ、さも残念そうに、
「先生、実は、ナマンガを引き払って、お父さんの実家のあるニエリに引っ越すことになったんですよ」
と言ってきました。
私もそれを聞いて本当に残念でした。

当時はまだ携帯電話が普及しておらず、
メールも一般的でなく、
SNSなどもなく、
郵便物を届けるために転居先の住所(郵便局の私書箱)をきいておきました。

後日、お手紙を書いて郵送しました。
すると、お返事が返って来ました。
「ワンジクはこっちの幼稚園に入って大活躍している」と。

入園手続きだけして、実際に入園しなかった子はたくさんいます。
後になって考えなおしたり、キラキラの学費が有料であると聞いて尻込みしたり。
当然、そういった子たちは思い出に残ることはありません。
しかし、ワンジクさんは私にとっても特別でした。
逆に、ワンジクさんのことで悪い思い出が全くないだけに、聖域に入る思い出でした。

「私を育ててくれた日本人のお父さんにぜひ会わせてください」
育てた?
私は何もしていません。
ただ、家の前を通りかかる度に声をかけていただけです。
何という愛情でしょうか。
恐らく、その後何度も何度もお父さんやお母さんと一緒に私たちのことについて話をしていたのでしょう。
生活が苦しくなって、結局引っ越していったナマンガで、
最後の日々に希望の星となっていたキラキラのことを。

20歳で、小柄で細身のワンジクさん。
まだ4歳だった頃の面影がありました。

コロナのために、握手はしないようにWHOから指示されているのですが、
こんな嬉しい邂逅はありません。
何としても握手くらいはしなければなりません!
4歳の頃の小さな手ではなく、
大人の大きな手になっていました。

一つ一つ、思い出話をしました。
近所には誰々が住んでいたね。
12月に引っ越して行ったんだよね。
手紙を書いて写真も送ったね。
返事もしっかりもらったよ。

しばらく話をして、ワンジクさんの方から「じゃ、おじゃましました」と言って帰って行きました。
昨年に高校を卒業したワンジクさんは、
ナマンガにいる父方、母方の親戚の家を拠点に、
ナマンガで仕事を見つけ生きて行けるかどうか試す、とのことでした。

キラキラ保育園(現キラキラ幼稚園)は、
これまでに832人の園児の入園手続きをしてきました。
ワンジクさんはその10番。
実に832人が私たちの手を通って小学校に巣立って行ったことになります。
その中で、何人が、
「私を育ててくれた日本人のお父さんにぜひ会わせてください」
と言えるでしょうか。

家庭的・経済的に苦しい事情を抱えていた子たちには、
私の方から手を差し伸べて「お父さん」になろうとしたりもしました。
しかし、そういう子たちに限って、
卒園後は音沙汰なしになりがちです。

しかし、神様の奇跡は人間の思いもおよばないやり方で行われます。
ピーターでも、アナスタシアでも、
モーセスでも、アミナでもなく、
ワンジクさんが私の娘になるとは!

ワンジクさんのことは、2006年8月号のキラキラだよりこども版に書きました。
そこに、ワンジクさんの写真(2004年9月撮影)も載せました。
当時の私はまだデジカメを持っておらず、
ナマンガを訪れた日本人Nさんのデジカメで撮ったものです。

これがその写真です。
突然訪れた私の娘が4歳だった頃の写真です。

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相原 記


by kjkirakira | 2020-08-27 00:45 | 現地キラキラ ブログ Ke最新情報・記録