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アフリカでのこども支援「キラキラ」+それを日本で後援「キラキラを支える会」


by kjkirakira

永住権獲得へ向けて

2014年12月30日、マタトゥ(ミニバス)に乗ってナイロビへ。
ちょうど、クリスマスと正月に挟まれた閑散期で、
ナイロビの交通渋滞が驚くほど緩和されており、
すいすいたったの2時間半で到着。

マタトゥを乗り換えて、まずは警察本部へ。
2週間前に申請しておいた、犯罪歴がないことの証明書を取得します。

すぐにナイロビ市街に戻り、出入国管理局へ。
いよいよケニアの永住権を申請します。

この申請にあたり、労働査証を無事に更新できた10月末から、
少しずつ少しずつ準備して来ました。

労働査証更新から1か月後に外国人登録証が更新されるのを待ちました。

永住権申請のために、私をよく知る3人の証人が必要でした。
これが意外に大変でした。
私をよく知るからというだけで、誰でも彼でも良いというわけにはいかないのです。
出入国管理局から電話で照会があっても、堂々と、スワヒリ語でも英語でも受け答えができ、私の活動もしっかりと的確に説明できる人物である必要があるのです。
しかも、納税者であるという証明となる番号も持っていなければなりません。この番号がない、または、この番号を失くしてしまったために、証人にしたくてもできなかった人もいました。
結局、地元AIC小学校の校長、および、同校のベテラン先生、それから、元キラキラ保育園児の保護者の商店経営者の3人を確保できました。

配偶者の情報、こどもの情報など、数々の証明書などのコピーととともに用意しました。

永住権申請書類に、丁寧に丁寧に記入したうえで、弁護士による署名も確保しました。

そしてこの日、最終的に取得した警察本部からの証明書を携えて、出入国管理局に永住権の申請をしに行ったのです。
窓口のお姉さんは、10月末にいろいろ説明してくれたあの人。
私のことも覚えていてくださり、書類に一通り目を通したうえで、OKをいただきました。

申請時に必要な5000シリング(6500円)を払う際、そこの窓口の人にもいくつか質問を受けました。
ケニアの政府関係者は、全員が面接官なのです。
それぞれが独自に質問したり談笑しながら、
「こいつはちょっと変な奴だ」などと見分けていくのです。

とにかくこの日、申請という第一関門をクリアでき、心晴れやかに2014を締めくくることができました。

永住権の審査は時間がかかり、「3か月後に状況を聞きに来てください」と言われました。

2013末以降現在に至るまで、出入国管理局は政策が安定せずに迷走しており、様々なうわさや憶測が飛び交い、私たち外国人にとって相当なプレッシャーになっていました。
2013年夏に永住権を申請した人たちは、4か月後などに取得できたようですが、2013年秋以降に永住権を申請した人たちは、待てど暮らせど、全く審査が進まずに1年以上経過しているようです。

私が永住権を取れるかどうかは、もはや私の問題ではなく、ケニアの出入国管理局の問題なのです。

それでも、そろそろケニアの出入国管理の「改革」も盤石になりつつあります。
現在の労働査証が期限切れとなる2016年秋より前に、何とか永住権を取得できるよう、祈って待つだけです。

世界中のあらゆる善良な市民が、
余程のたちの悪い問題のない限り、
自分がやりたい仕事を、どこでも、どの国でも、国境のどちら側でも、集中して行うことができ、
自分の大切な家族と一緒に、どこでも、どの国でも、国境のどちら側でも、安心して暮らせるような、
そんな平和で寛容な世界を熱望します。


相原 記


by kjkirakira | 2014-12-30 23:16 | ブログ 現地キラキラ