ミヤネ屋、テレビ取材 inナマンガ
2012年 08月 31日
去る8月30日、
ミヤネ屋「世界電波ジャック」ケニア編をご覧いただき、
誠にありがとうございます。
その取材の様子をお伝えします。
**
3か月間の日本滞在を終え、空の旅を終え、
ナイロビの空港に夜降り立って、
ナイロビ市街地の宿に泊まり、
翌朝まだベッドから起き上がらないでいた時、
3か月間休眠していたケニアの携帯電話の第一声!
テレビ取材の依頼を受けてもらえないか、と。
夢うつつの状態で、OKの返事をしました。
実は、キラキラにとって、
テレビ取材の話はこれが初めてではなかったのです。
2007年、テレビ取材の話があり、
お断りしています。
2011年、突然電話で、
「明日ナマンガで取材を…」
と言われ、極めて急な話に、
「明日はちょっと…」とお断り。
そんなこんなで、キラキラ創立以来、
テレビには無縁だったのですが、
ほんの少し前、日本滞在中に、
「今度テレビ取材があったら受けても良いかな」と、
ジャシンタとも、
日本のキラキラを支える会の役員の方々とも、
話をしていたばかりでした。
そんな流れで、
今回のテレビ取材の申し出も唐突でしたが、
2つ返事で受け入れることにしたのです。
しかし、OKの返事をしたとたん、
鳴る鳴る携帯電話!
次から次へと具体的な要請。
ケニアに帰って来た翌日で、
まだナイロビで用事をこなしており、
まだナマンガも、家も、キラキラも、
この目で確認していないのに…。
準備期間があまりない中で、
大急ぎで私の両親への取材も済ませた取材陣は、
飛行機に飛び乗ってケニア入り。
そして、取材陣にとって、
ケニアの最初の遠征地がナマンガ。
2012年7月17日(火)
取材当日のこの日は、
私たちがケニアに戻って来てから、
まだ1週間しか経っていない日。
最初の週は、家の片づけなどに忙しく、
キラキラは毎日ほんの数時間くらいしか出勤せず、
テレビ取材の日に初めてのまともな出勤という状態。
従って、久しぶりに会う保護者の方々と、
「元気で良かったねぇ」と、
しみじみあいさつを交わしていたほど。
そう、「逆カルチャーショック」。
たとえ何年もケニアに住んで、
かなり地元になじんでいようとも、
3か月も日本にいて、現地を留守にして、
久しぶりに戻ってきた状態では、
まるで旅人、異邦人になった気分。
自分たちのキラキラも、
まるで自分たちのキラキラではなく、
恐る恐るお邪魔しているお客さん気分。
そんな状態で、今日一日、
有意義な取材をしていただけるかどうか。
キラキラの真実が伝わるだろうか。
不安で、忙しい1日が始まりました。
取材陣による保護者へのインタビューも、
絶好のタイミングを逸し、
シャイで無口な保護者たちに的中。
あまりにも…だったので、
後でたまたま通りかかった、
活発な保護者の方をつかまえて、
改めてインタビューのやり直し。
園児たちへのインタビューも難航。
普段は私やジャシンタたちと、
スムーズにお話しできる子たちなのですが、
3か月間の留守の間に、
明らかに「コミュニケーション能力」が落ちており、
私たちへの態度もやや他人行儀になってしまっており、
インタビューに答えるという形式が難しいこともあり、
ほとんど何も言えない、
まるで言葉が通じないこどもたちのように、
カメラの前ではにかんでばかり。
園児たちだけではありません。
私自身がそうでした。
いやいやいや…、
頭の中はまだ日本にいるわけですから、
ケニアのことを尋ねられても、
ろくな答えができるわけがありません。
私だけではありません。
ジャシンタも、久しぶりに教室に入って授業をしても、
普段慣れ親しんでいる園児たちともしっくりといかず、
会話のキャッチボールはスムーズにいきません。
しかも、悪いことに、
この日はジョイス先生が急用で午前中欠勤。
私もジャシンタもまだ客人ムードで、
ジョイス先生すらいないキラキラは、
正直、いただけません。
きちんとすべき場面でめちゃくちゃになり、
躍動すべき場面でひっそりとしてしまいます。
いちばん大変なのは、
午後に街に出かけた時でした。
ナマンガの一般人って、
とっても大変なんですよ。
モラルが低い、視野が狭い、
どうでも良いことに聞き耳を立てて騒ぎ出す…。
ナマンガでは、カメラを向けられると、
発狂するくらい怒る人たちがいるのです。
街に入ってカメラを回した途端に、
まさにそんな人に出くわしました。
そこを、ジャシンタが、
毅然とした態度で、
「あんたを撮りに来たわけではない」
と撃退です。
幸い、街には至る所に、
キラキラの保護者たちやファンがいて、
加勢してくれます。
でも、もし私だったら、
テレビカメラに向かって怒る人を見た時点で、
「ここでの取材は中止しましょう」
と潔く撤退を促していたことでしょう。
だって、街の人たちの言い分も、
わからないでもないですから。
ナマンガでは、かつて、
「勝手にうちの子の写真を撮って!」
という理由で、訴えられて、
罰金を払わされた人もいるくらいです。
また、
「外国人は私たちの写真を撮って売りさばくんだ」
という考え方がしみついており、
容易に撮影に応じてくれる人はなかなかいません。
そんな状況の中、
根気強く街で撮影を続け、
友人知人を渡り歩いてインタビューしていった結果、
なかなか良い映像が撮れたと思います。
いったんキラキラに戻り、
下校時に、園児と、お迎えの保護者と一緒に、
歩いて一緒に帰宅し、そのお宅を訪問する、
という企画がありました。
私たちもまだ行ったことのない、
年少組男児ブライアンの家に行くことになりました。
しっかり朝のうちに、
ブライアンのお母さんと話をつけておいたのです。
予想通りの「貧しい」家庭。
家族の女の人たちが、
みんな十代で最初の子を出産。
貧乏に慣れてしまうと、
なかなかそこから抜け出せません。
もう一度街へ行き、
キラキラ園児の、マサイ族のお母さんたちが、
ビーズのアクセサリーを売っているところを撮りました。
ビーズのお母さんたちのほとんどがキラキラびいきです。
何の障害もなく撮影は進みます。
数年前、「ナマンガ」をインターネットを検索すると、
多くの日本人のアフリカ旅行記の記述がヒットし、
「ナマンガのビーズ売りの女たちの商売がしつこくてうるさい」
という、マイナスのイメージの彼女たちでした。
さて、何故ビーズ売りの彼女たちに商才がなく、
ただしつこくてうるさいだけになってしまうかというと、
背景には、識字率の低さと貧困とがあるのです。
根は優しい人たちです。
夕方は私たちが生活している家での撮影です。
近所の人たちが、私たちの邪魔にならないように、
遠く離れて静かに井戸端会議をしていてくれています。
何気なく望に「のぞみ」と書く練習をさせて、
それを何気なくカメラにおさめてくれていました。
今回の取材の中で、
いちばん「自然」で「良い」映像となったと、
私的には思ったのですが…?
晩御飯は、何と鶏肉。
この日、鶏を飼っているお隣さんが、
私たちのケニア帰国祝いに、
一羽を捌いてプレゼントしてくれたとのこと。
…(言葉を失う)…、
どうしてこういう日に限って!
正直、取材で大忙しの日とあって、
美味しい貴重なご馳走(鶏肉)も、
ゆっくり堪能することができませんでした。
大忙しの1日はこれで終了。
翌朝、テレビ取材陣は、
ケニア国内の次の目的地に旅立って行きました。
翌日から、私はようやく本腰を入れて、
留守中3か月間のキラキラの、
監査、修正、問題解決の仕事に取りかかったのでした。
K.A.記
【追伸】
懸念材料はたくさんありましたが、
結果的に、素晴らしい映像に仕上がったと思います。
テレビ取材陣の皆さま、
視聴者の皆さま、
生出演の両親、
心よりお礼申し上げます。
ミヤネ屋「世界電波ジャック」ケニア編をご覧いただき、
誠にありがとうございます。
その取材の様子をお伝えします。
**
3か月間の日本滞在を終え、空の旅を終え、
ナイロビの空港に夜降り立って、
ナイロビ市街地の宿に泊まり、
翌朝まだベッドから起き上がらないでいた時、
3か月間休眠していたケニアの携帯電話の第一声!
テレビ取材の依頼を受けてもらえないか、と。
夢うつつの状態で、OKの返事をしました。
実は、キラキラにとって、
テレビ取材の話はこれが初めてではなかったのです。
2007年、テレビ取材の話があり、
お断りしています。
2011年、突然電話で、
「明日ナマンガで取材を…」
と言われ、極めて急な話に、
「明日はちょっと…」とお断り。
そんなこんなで、キラキラ創立以来、
テレビには無縁だったのですが、
ほんの少し前、日本滞在中に、
「今度テレビ取材があったら受けても良いかな」と、
ジャシンタとも、
日本のキラキラを支える会の役員の方々とも、
話をしていたばかりでした。
そんな流れで、
今回のテレビ取材の申し出も唐突でしたが、
2つ返事で受け入れることにしたのです。
しかし、OKの返事をしたとたん、
鳴る鳴る携帯電話!
次から次へと具体的な要請。
ケニアに帰って来た翌日で、
まだナイロビで用事をこなしており、
まだナマンガも、家も、キラキラも、
この目で確認していないのに…。
準備期間があまりない中で、
大急ぎで私の両親への取材も済ませた取材陣は、
飛行機に飛び乗ってケニア入り。
そして、取材陣にとって、
ケニアの最初の遠征地がナマンガ。
2012年7月17日(火)
取材当日のこの日は、
私たちがケニアに戻って来てから、
まだ1週間しか経っていない日。
最初の週は、家の片づけなどに忙しく、
キラキラは毎日ほんの数時間くらいしか出勤せず、
テレビ取材の日に初めてのまともな出勤という状態。
従って、久しぶりに会う保護者の方々と、
「元気で良かったねぇ」と、
しみじみあいさつを交わしていたほど。
そう、「逆カルチャーショック」。
たとえ何年もケニアに住んで、
かなり地元になじんでいようとも、
3か月も日本にいて、現地を留守にして、
久しぶりに戻ってきた状態では、
まるで旅人、異邦人になった気分。
自分たちのキラキラも、
まるで自分たちのキラキラではなく、
恐る恐るお邪魔しているお客さん気分。
そんな状態で、今日一日、
有意義な取材をしていただけるかどうか。
キラキラの真実が伝わるだろうか。
不安で、忙しい1日が始まりました。
取材陣による保護者へのインタビューも、
絶好のタイミングを逸し、
シャイで無口な保護者たちに的中。
あまりにも…だったので、
後でたまたま通りかかった、
活発な保護者の方をつかまえて、
改めてインタビューのやり直し。
園児たちへのインタビューも難航。
普段は私やジャシンタたちと、
スムーズにお話しできる子たちなのですが、
3か月間の留守の間に、
明らかに「コミュニケーション能力」が落ちており、
私たちへの態度もやや他人行儀になってしまっており、
インタビューに答えるという形式が難しいこともあり、
ほとんど何も言えない、
まるで言葉が通じないこどもたちのように、
カメラの前ではにかんでばかり。
園児たちだけではありません。
私自身がそうでした。
いやいやいや…、
頭の中はまだ日本にいるわけですから、
ケニアのことを尋ねられても、
ろくな答えができるわけがありません。
私だけではありません。
ジャシンタも、久しぶりに教室に入って授業をしても、
普段慣れ親しんでいる園児たちともしっくりといかず、
会話のキャッチボールはスムーズにいきません。
しかも、悪いことに、
この日はジョイス先生が急用で午前中欠勤。
私もジャシンタもまだ客人ムードで、
ジョイス先生すらいないキラキラは、
正直、いただけません。
きちんとすべき場面でめちゃくちゃになり、
躍動すべき場面でひっそりとしてしまいます。
いちばん大変なのは、
午後に街に出かけた時でした。
ナマンガの一般人って、
とっても大変なんですよ。
モラルが低い、視野が狭い、
どうでも良いことに聞き耳を立てて騒ぎ出す…。
ナマンガでは、カメラを向けられると、
発狂するくらい怒る人たちがいるのです。
街に入ってカメラを回した途端に、
まさにそんな人に出くわしました。
そこを、ジャシンタが、
毅然とした態度で、
「あんたを撮りに来たわけではない」
と撃退です。
幸い、街には至る所に、
キラキラの保護者たちやファンがいて、
加勢してくれます。
でも、もし私だったら、
テレビカメラに向かって怒る人を見た時点で、
「ここでの取材は中止しましょう」
と潔く撤退を促していたことでしょう。
だって、街の人たちの言い分も、
わからないでもないですから。
ナマンガでは、かつて、
「勝手にうちの子の写真を撮って!」
という理由で、訴えられて、
罰金を払わされた人もいるくらいです。
また、
「外国人は私たちの写真を撮って売りさばくんだ」
という考え方がしみついており、
容易に撮影に応じてくれる人はなかなかいません。
そんな状況の中、
根気強く街で撮影を続け、
友人知人を渡り歩いてインタビューしていった結果、
なかなか良い映像が撮れたと思います。
いったんキラキラに戻り、
下校時に、園児と、お迎えの保護者と一緒に、
歩いて一緒に帰宅し、そのお宅を訪問する、
という企画がありました。
私たちもまだ行ったことのない、
年少組男児ブライアンの家に行くことになりました。
しっかり朝のうちに、
ブライアンのお母さんと話をつけておいたのです。
予想通りの「貧しい」家庭。
家族の女の人たちが、
みんな十代で最初の子を出産。
貧乏に慣れてしまうと、
なかなかそこから抜け出せません。
もう一度街へ行き、
キラキラ園児の、マサイ族のお母さんたちが、
ビーズのアクセサリーを売っているところを撮りました。
ビーズのお母さんたちのほとんどがキラキラびいきです。
何の障害もなく撮影は進みます。
数年前、「ナマンガ」をインターネットを検索すると、
多くの日本人のアフリカ旅行記の記述がヒットし、
「ナマンガのビーズ売りの女たちの商売がしつこくてうるさい」
という、マイナスのイメージの彼女たちでした。
さて、何故ビーズ売りの彼女たちに商才がなく、
ただしつこくてうるさいだけになってしまうかというと、
背景には、識字率の低さと貧困とがあるのです。
根は優しい人たちです。
夕方は私たちが生活している家での撮影です。
近所の人たちが、私たちの邪魔にならないように、
遠く離れて静かに井戸端会議をしていてくれています。
何気なく望に「のぞみ」と書く練習をさせて、
それを何気なくカメラにおさめてくれていました。
今回の取材の中で、
いちばん「自然」で「良い」映像となったと、
私的には思ったのですが…?
晩御飯は、何と鶏肉。
この日、鶏を飼っているお隣さんが、
私たちのケニア帰国祝いに、
一羽を捌いてプレゼントしてくれたとのこと。
…(言葉を失う)…、
どうしてこういう日に限って!
正直、取材で大忙しの日とあって、
美味しい貴重なご馳走(鶏肉)も、
ゆっくり堪能することができませんでした。
大忙しの1日はこれで終了。
翌朝、テレビ取材陣は、
ケニア国内の次の目的地に旅立って行きました。
翌日から、私はようやく本腰を入れて、
留守中3か月間のキラキラの、
監査、修正、問題解決の仕事に取りかかったのでした。
K.A.記
【追伸】
懸念材料はたくさんありましたが、
結果的に、素晴らしい映像に仕上がったと思います。
テレビ取材陣の皆さま、
視聴者の皆さま、
生出演の両親、
心よりお礼申し上げます。
by kjkirakira
| 2012-08-31 19:53
| ブログ 日本キラキラ