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アフリカでのこども支援「キラキラ」+それを日本で後援「キラキラを支える会」


by kjkirakira
先日、ナマンガのある人(キラキラっ子のお父さん)が、
海外の人から70万円相当の送金を受け、
銀行にそのお金を引き出しに行ったところ、
銀行員に根掘り葉掘り質問された挙句、
警察官がやって来て、逮捕され、
しばらくナマンガの拘置所に入れられてしまいました。

この70万円は、このお父さんではなく、
他の友人のもとへ送られるはずだったそうです。
しかし、その友人はいろいろあって口座をもっておらず、
口座をもっていたそのお父さんに頼んで、
送金を受けてもらったのだそうです。

そういった経緯や、お金の出どころや送金の目的など、
しっかりと銀行員に説明したにもかかわらず、
更なる調査が必要とされ、
逮捕になってしまったのだそうです。

そのお父さんは、
保釈金を2万円ほど払って拘置所を出たものの、
その口座はナイロビの秘密警察によって凍結されてしまっていました。

その口座を再び使えるようにするために、
5万円払え、と言われているそうです。
この5万円が、法的な金額か、賄賂か、わかりませんが。
(多分後者です)

しかも、そのお父さんは、同時期に、
奥さんの口座に千円ほど送金しており、
何と、奥さんの口座も凍結されてしまったそうです。

この話は、私たちにとって他人事ではありませんでした。
私たちは、私金(プライベートなお金)も、公金(キラキラのお金)も、
日本の銀行からケニアの銀行に国際送金してまかなっています。
それで、昔は一度に2百万円などを送金し、
ケニアの銀行窓口で一度に90万円などを引き出して使っていました。

しかし、世界で犯罪組織の国際化が進み、
マネーロンダリングがなされるようになり、
その対策として各国政府が国際送金を厳しく取り締まるようになったのです。

マネーロンダリング、、、「資金洗浄」のことです。
麻薬取引、脱税、粉飾決算などの犯罪によって得られた資金(汚れたお金)を、
資金の出所をわからなくするために、
架空または他人名義の金融機関口座などを利用して、
転々と送金を繰り返したり、
株や債券の購入、大口寄付などを行ったりすることです。

テロ組織(「アルカイーダ」や「イスラム国」など)が、
自分らの口座を凍結されないように、
うまく資金をまわして乗り切ろう、そんなイメージでしょうか。

最近は各国でマネーロンダリング予防の法律ができ、
大金を動かすときにいろいろ質問されたりします。

私が日本からケニアに200万円ほど送金していたときに、
ケニアの銀行から電話がかかってきて、
いろいろと質問されて、うんざりしたことがありました。

また、ケニアの銀行で90万円ほど引き出していたときに、
やはりいろいろ質問されたり、かなり待たされたりして、
嫌な思いをしたこともありました。

それ以降、一回の送金額を70万円くらいにし、
銀行での現金引出もせいぜい40万円くらいにするようにしたら、
何の質問もされないようになりました。

しかし、今度は毎度毎度日本の銀行から国際電話がかかってきて、
送金の目的は?お金の出どころは?お金の使用目的は?私が何の仕事をしているか?など、
繰り返し繰り返し質問されてうんざりしていましたが、
最近は慣れてしまいました。

それでも、日本の銀行の人の話し方は紳士的で、
こちらが誠実に受け答えをする限り何の脅威もなく済むのですが、
ケニアの銀行は、秘密警察とぐるになって、
脅しのような話し方をしたり、
いざとなれば何でも(口座凍結、逮捕、、、)できると言って罰をちらつかせたりするので、
まるで海外送金することが罪であるかのような気にさせられてしまうのです。

そこへきて、今回のそのお父さんの話を聞き、
そのうえ、いろいろな人たちから似たような話を聞き、
これはまずいことになった、と眉間にしわを寄せているところなのです。

今度からは、70万円ではなく50万円以内の小さな送金をしよう、とか、
今度からは、40万円ではなく20万円以内の小さな引出しをしよう、とか、
そんなでは、5か月間で700万円くらい出費するような大建設はできないじゃないか、とか、
私生活にもキラキラにも、悪影響が出てしまいそうです。

実際、ケニアがマネーロンダリング対策を初めて以来、
同時に税制の強化も進められ、
金持ちたちが銀行にお金を預金するかわりにタンス預金をするようになり、
そのあぶり出し(税収確保)のために政府が新札を発行し、
旧札の使用期限を「今年中!」などと強行したことがあったほどです。

こういった、ケニアの政府、銀行、秘密警察が一体化した脅迫的な政策が、
ケニアの景気を冷え込ませ、経済を停滞させていると言えるでしょう。

キラキラですら、昔は200万円規模の経済で動いていたのが、
最近は50万円規模で何とかやっていかなければならない、となったのですから、
国中の経済規模が縮小してしまった、と言えるでしょう。

キラキラを含め、
ケニアに無数にある支援プロジェクト運営は、
海外からの送金に依存しています。

多くのケニア人が欧米先進国やアラブの湾岸諸国などに住み、
ケニアに住む家族に海外送金しており、
ケニアに住む家族はその送金に依存して生活しています。

そうした海外在住のケニア人が、
ケニアで土地や建物などの不動産投資をする場合、
家族や代理人に大金を送金することだってあります。
実際「土地を代理購入するための公的書類」を銀行に提出させられた人もいます。

そして、政府は、
金持ちの犯罪者や容疑者をわざわざ逮捕しに行くのではなく、
ちょっとでもお金の動きに疑いが生じたら、
即口座を凍結し、本人が申し出るのを待つ、
という方針をとっているのでしょう。
金持ちにとっては、ある意味、
逮捕されて身柄を拘束されるよりも、
口座や資産が凍結された方がダメージが大きいでしょうから。

5年位前、私はケニアの銀行口座をPCでオンラインで使えるようにしました。
その同じ時期、ジャシンタ先生はケニアの銀行口座を携帯電話でも使えるようにしました。

しかし、その1年後くらいに、今度がお互いが逆のこと、すなわち、
私が携帯電話で使えるように手続きに行くと、
いろいろ書類を請求された挙句に手続きさせてもらえませんでした。
同時期にジャシンタ先生がPCでオンラインで使えるように手続きに行くと、
やはりいろいろ書類を請求された挙句に手続きさせてもらえませんでした。

さらに、その後、
私が銀行口座に登録してある携帯電話番号に加えて、
もう一つの携帯電話番号を追加する手続きをしようとしたら、
いろいろ書類を請求された挙句に追加させてもらえませんでした。
たかが電話番号一つで!!!

銀行に関する不自由さは、
他にもいろいろなところで痛感してきました。
それでいて、ケニアの銀行口座は、
利息がもらえるどころか、
毎月毎月、口座維持手数料として持っていかれる!!!

このままでいくと、
キラキラの維持・運営にもかなりの支障が生じ、
存続の危機に陥ることにもなりかねません。

日本で支援金が集まらなくなってやっていけない、というのではなく、
ケニアで物価が高騰したり支出が増えたりしてやっていけない、というのでもなく、
日本で支援金が十分に集まっているのに、
ケニアでの物価高騰にも耐えられるくらいの資金力はあるのに、
日本からケニアへお金を動かせない、とか
ケニアの銀行からお金を引き出せない、といった、
くだらない、やるせない理由で!!!

日本からケニアへドルの現金を持っていく、という対策はすでにしています。
しかし、ドル現金のケニア国内への持ち込みが一人1万ドル(150万円)以下と制限されており、
私の一時帰国時に加え、私を訪ねて来てくれる日本の友人にドルの運搬をお願いしたとしても、
とてもとても、キラキラの大建設をかまなう額のドルは集まりません。

とすると、最後の手段として、
かつてナマンガに銀行がなかった頃にやっていたように、
かつて私が「旅人」だった時に世界各地でやっていたように、
日本の銀行に紐づけてあるVISAのクレジットカードやデビットカードを使い、
ケニアの銀行のVISA対応のATMで現金を引き出す、という可能性が残されています。
(そのさらに昔は「トラベラーズチェック」なんていう時代もありましたねぇ)

この手段では、ケニアの銀行口座を介したりせずに済むのが利点ですが、
カードが機械に飲み込まれてしまって出て来なかった(幸い私は経験なし)、とか、
現金が出て来なくて残高だけ減った(過去にナイロビのATMで二度経験あり)、とか、
引き出していない大金が引き出されたことになってしまった(過去にモロッコのATMで経験あり!)、とか、
1回の引き出しの限度額が小さい、そのため、手間が増えるし、1回ごとに引かれる手数料が大きい、とか、
かなりのリスクと不安を負、不利益を被ることになるでしょう。
(ナマンガに銀行ができて、もう二度とこのリスクを負わなくて済むと思って喜んだのに、、、)

ケニアでは、全てのことが、
2013年頃に自由度も便利度も豊かさもピークを迎え、
それ以降は不自由と不便と、そして貧困の方向に後退しているという印象です。

いや、ケニアだけではなく、世界中が、
自分のお金を政府に監視されながら恐る恐る使う時代に入ってしまったようです。
このまま、私たちは、どうなってしまうのでしょうか、、、
言葉も出ません。



相原 記


# by kjkirakira | 2024-04-20 06:11 | 現地キラキラ ブログ Ke最新情報・記録

倒木も届け出る

うちのご近所さんの敷地に生えていた大木が、
寿命を迎えたのか、折れて倒れました。

それを、私たちは、
キラキラの調理燃料の薪として購入することに。

普段は車やオートバイなどにお金を払って、
ナマンガの田舎の地域の森林に行ってもらい、
そこの地主にある程度のお金を払ったうえで、
倒木や枯れ枝を拾わせてもらう、
という形で薪を購入しています。

今回は、このご近所さんの倒木を、
薪としてとても安く購入することができました。

しかし、現代のケニアは数々の法律がつくられ、
それらが厳粛に順守されており、
倒木についても法律を順守する必要がありました。

薪や木炭などの商売のためにむやみに木々を伐採するといった、
自然破壊行為を予防する法律です。

それで、ナマンガ中心部にある該当の役所に行き、
かくかくしかじかで木が倒れたので、
それを薪とするために回収させていただく、
という許可をもらったうえで、
チェーンソーを使う人に来てもらって、
倒木を細かく裁断しました。

森林の自然破壊を予防する法律の他に、
野生動物を保護する法律もあります。
それによると、人の敷地に中に鹿(ガゼルなど)が入ってきた場合、
昔だったらそいつを捕えて殺して切って焼いて食べてしまうのが常だったのですが、
最近はそういう行為が発覚すると罰せられるのです。

鹿やキリンなどはそれでも納得できるのですが、
ヘビすらむやみに殺してはならないそうです。
「ヘビを殺すための許可を取りに役所に行っている間に、
そのヘビが人を噛むかもしれないじゃないか」と言って、
人々はその法律に不満たらたらなのですが、、、
さすがに毒蛇が多い土地柄ですから、
ヘビくらいは例外としてくれても良いのに、と思いますがね。

というわけで、法律順守がなかなか面倒くさいケニア。
しかし、意味のある法律も、意味がたいしてなさそうな法律も、
それぞれの理由があってつくられたのでしょうから、
法治国家として国民の秩序、国土の秩序を守っていってほしいものです。



近所で倒れた木をチェーンソーで裁断しました。
写真右端の白いのが我が家。

倒木も届け出る_b0124020_03575842.jpg




















相原 記


# by kjkirakira | 2024-04-20 04:19 | 現地キラキラ ブログ Ke最新情報・記録
ナマンガ郵便局の唯一の職員だったカロンゾさんが亡くなりました。
どうやら、心臓か何かの発作だったようです。
私と同じ1972年生まれですが、太っていたので、持病があったのでしょう。

このカロンゾさんは、私がナマンガで少数の「友だち」の一人でした。

昔(前世紀)から、ナマンガの郵便局で、清掃や荷物運びなどの雑用係として働いていました。
それが、徐々に徐々にデスクワークも学び、接客もするようになっていったのです。

私がナマンガに住み始めた2004頃は、
ナマンガ郵便局にはカロンゾさん以外に3人くらいの常勤職員がいました。
当時はまだ、国内の荷物運送は郵便局だけの業務であり、
郵便貯金は庶民の預金の大部分を占めており、
携帯電話普及前夜とあって、まだまだ電話交換や公衆電話の需要(郵便局の業務)があり、
多くの職員を必要としていたのです。

その後、常勤職員たちが少しずつ変わり、
ある時期、慣れ親しんだウィルソンさんという人が何かの理由で辞めさせられてからは、
おばさん一人と、カロンゾさんと、2人で全てを切り盛りするようになっていました。

しかし、このおばさんという人が、それはそれは働かない人で、
ただデスクに座っているだけで、私も含めて客はみなカロンゾさんのデスクに向かい、
デスクに座っていない時間が長く、外でくっちゃべったりだらだらしたりするだけで、
前世紀(能力のない人を縁故によって雇用した)の生きる遺産としてナマンガの人たちの見世物同様の存在だったのです。

このおばさんが定年退職し、ようやく前世紀の膿が出され、
郵便局の職員がついにカロンゾさん一人となったのです。

郵便局の業務は20年前に比べたらかなり減っています。
公衆電話業務は携帯電話の普及とともに消滅し、
「手紙」もインターネットの普及とともにほぼ消滅し、
郵便貯金も銀行の発展とともに消滅し、
マタトゥ(ミニバス)会社が荷物運送を担うようになってからは郵便局のシェアが減り、、、

かつて「ナマンガ郵便局」として2000頃に建てられた建物は、
今では電力会社と両替屋が建物の一部を借りている状態となっています。

そこで、カロンゾさん一人が、数少ないお客の相手を担っていました。
私は、そんな、業務が減ったナマンガ郵便局にとって、
カロンゾさんに言わせれば「大切なお客さん」だったようです。

ケニアの郵便は郵便局の私書箱留めになります。
私たちが契約している私書箱200号には、ときどき郵便物(日本やケニアから)が届き、
何か特別な郵便物の場合は、カロンゾさんが私に電話で知らせてくれていました。

また、私は、キラキラの教科書とか、他のオンラインショッピングを多用しており、
マタトゥ会社やG4Sという会社による運送よりも郵便局による運送を好んでおり、
何度もスクールバスで郵便局に向かい、カロンゾさんから荷物を受け取ったものです。

ケニアの民芸品を段ボール箱に詰めてナマンガ郵便局から日本へ送る際は、
他の客たちのようにカロンゾさん任せにせずに、
自ら郵便局の内側に入らせてもらって、
カロンゾさんと協力しながら手続きを進めていました。
箱をテープで補強したり、
必要な情報(宛先とか送り主とか)をマジックペンで書いたり、
伝票を箱の表面に糊とテープで貼ったり、
カロンゾさんによる値段の計算を確かめたり、、、。

昨年、15の段ボール箱を日本に送ろうとした際に、
コロナによって船便が廃止されて航空便だけとなっていたことを知らずに、
カロンゾさんに船便の代金を払い、
後日、ナイロビの中央郵便局から航空便のための差額を払えと言われ、
カロンゾさんと一緒に手続きし、
カロンゾさんに差額を支払ったことがありました。

この時、私は初めて、カロンゾさんに「面倒かけたね」と言いながら、
謝礼として1000シリング(1200円)を手渡しました。
ケニアでは、「賄賂」と「謝礼」の区別が難しい場面が多々ありますが、
このときは、心の底から、勤労な友人カロンゾさんに対するこれまでの感謝を表したいと思ったのです。

そのカロンゾさんが亡くなったのです。
私と同い年。
いつも、「コンニチワ」と日本語で気さくに迎えてくれていたカロンゾさん。
いつも、「アリガトウ」「良き日を」「あなたもね」とお別れしていたカロンゾさん。

ケニアで、早死にする人たちをたくさん見てきて、
人の死にはある程度は慣れてはいますが、
「ほんとに良き友を亡くしたな」という感想です。

一人体制で回していたナマンガ郵便局では、
カロンゾさんが後輩の同僚(後継者)を養成することはできませんでした。
恐らく、他の大きめの郵便局で業務経験のある人が異動してくるのでしょう。
その新しい職員さんと、カロンゾさん並みの信頼関係が築けるでしょうか?
難しそうです。
しかし、現実を受け入れ、信頼関係を築いていく努力をしていくよりほかありません。
カロンゾさんが亡くなったからって、郵便局とおさらばするわけにはいきませんから。

ナマンガ郵便局で恐らく25年以上勤続したカロンゾさんは、
ナマンガの歴史に名を残すことになりました。

私やジャシンタ先生は、キラキラを始めて20年経ちます。
やはり、ナマンガの歴史に名を残すことになるのでしょうか。


相原 記


# by kjkirakira | 2024-04-20 02:45 | 現地キラキラ ブログ Ke最新情報・記録

合計特殊出生率を考える

旧約聖書の出エジプト記では、
エジプトに寄留していたイスラエル民族の成人男性の人口が、
430年の間に約70人から約60万人に増えた、とあります。

そして、急激に人口が増えて、
まるで強大な国家となったイスラエルを、
エジプトの王ファラオが脅威とみなして迫害しようとした、とあります。

このイスラエル民族の人口増がどれほどのものであったか、
おおざっぱな合計特殊出生率として計算してみました。
(合計特殊出生率=簡単に言えば、一人の女性が一生涯の間に産むこどもの数の平均)

当時の女性が生涯の間に複数のこどもを生むとして、
その平均出産年齢を30歳と仮定すると、
430年÷30歳=約14世代 ということになります。

最終的な人口60万人÷最初の人口70人=8571倍
430年間で8571倍も人口が増えたことになります。

一世代で人口がX倍増えるとすると、
14世代でXの14乗倍増えることになり、
Xの14乗=8571 の方程式を解くと、
X=約1.9
すなわち、一世代で人口が1.9倍増えることになります。

そこで、合計特殊出生率、
すなわち、女性が一生涯の間に平均何人のこどもを出産するか、で単純に考えると、
2の場合、人口は一世代で1倍(変わらない=現状維持)、
3の場合、1.5倍、
4の場合、2倍、、、、、

よって、イスラエルの人口が一世代で1.9倍=約2倍増えているとすると、
合計特殊出生率は約4だった、ということになります。

この4という数字がどれほどのものか、
検索してみました。


このサイトに掲載されている各国の合計特殊出生率の複数の表の中で、
最初の国連United Nationsのものを参照してみます。

1位がニジェールで6.7
上位のほとんどがアフリカ(サハラ以南アフリカ、または、ブラックアフリカ)です。

タンザニアが12位で4.6
ケニアが49位で3.2

確かに、あの人、あの人、あの人、と、
ナマンガの身近にいる現役のお母さんたちの出生数を挙げてみると、
だいたい4人、3人、2人、、、であり、
3.2相応だな、と納得することができました。

しかし、昔はもっともっと多かったでしょうし、
田舎の方が都会よりも多いでしょうし、
貧しい人(低学歴・無職など)の方が多い、という印象です。

ケニアは急激な近代化で3.2まで減ってきたのでしょうけれども、
タンザニアはまだまだ貧しく、田舎が多く、
ケニアの一世代前の生活をしているのだと想像できます。

なお、ケニアの人口ピラミッドを見ると、
12歳以下の世代の人口は増えておらず、
(各年齢ごとの人口が増えず、現状維持されている)
近い将来、合計特殊出生率は2に近づくであろうと予想されます。

アフリカが少子高齢化に向かうなんて、
夢のまた夢だと思っていましたが、
近い将来に確実に起こりそうなことなのですよね。

イスラエルが58位で2.9
先進国の中ではいちばん多いようです。
旧約聖書の「産めよ増えよ」が現代まで継承されているのですね。

日本は192位で1.3
韓国は203位で0.9
この韓国はほぼ世界で最下位です。
、、、国がなくなりそうですね、、、

話を戻して、
旧約聖書の出エジプト記に見られるイスラエル民族の人口増は、
合計特殊出生率の概算が4ということで、
現代のタンザニアよりは低いがケニアよりは高い、
全体的に、現代のアフリカ諸国に比べたら低い方だが、
世界的に見ればかなり高い、ということになります。

このことをノゾミさん(ケニアの高校1年=日本の中3)に話すと、
昔はもっと死亡率が高かったと思うから、
数字以上に産んでいた、すなわち、
当時のイスラエルの合計特殊出生率は4よりも高かったと思われる、
と分析してくれました。
全く、その通りでしょうね。

当時はエジプト政府がイスラエル民族を虐待していましたが、
世界の人口の増減が、
ただただ平和を増す方向で進んでいき、
平和主義者の人口が増えていくことを願います。

今現在、イスラエル軍がガザ地区(パレスチナ人居住区)に侵攻しています。
それで「キリスト教徒たちがイスラム教徒たちを迫害している」と理解している人も少なからずいらっしゃるのではないかと思います。
しかし、それは違います。誤解です。
この侵攻や迫害は、欧米およびイスラエルの、
政界と財界の癒着が遠因にあり、
あくまで政治的、経済的問題であり、
確かに一部のキリスト教過激派や、キリスト教原理主義者たちは賛同しているかもしれませんが、
世界中のほぼ全てのキリスト教徒たちは平和主義者である、ということ、
ご理解いただけると嬉しいです。


相原 記


# by kjkirakira | 2024-04-15 18:32 | 現地キラキラ ブログ Ke最新情報・記録
2024年4月9日(火)
ノゾミさん、ヒカリさんを連れての、遠足の下見の続き。

☆☆

ボーマスでお昼時を満喫し、
ようやく午後2時半、
民族舞踊のステージショーの開始時刻となりました。

開始時刻きっかりにアナウンスが入り、
まずは観客みなが起立して、
ケニア国歌と、東アフリカ共同体の歌のメロディーが奏でられました。

ケニアでは、国歌が奏でられるときや、国歌を斉唱するときは、
みな起立して、両腕を体の横に付けて「気を付け」の姿勢を維持する必要があります。
それを知らない外国人観光客たちは、
腕を組んだり、ミネラルウォーターを飲んだり、写真を撮ったりしていました。

そして、いよいよ民族舞踊の始まり始まり。
ケニア全国津々浦々、
あらゆる民族の典型的な舞踊が披露されました。

しかし、ダンサーたちは男性8名、女性8名程度で、
そのダンサーたちが民族衣装に身を包み、踊り、
続いて大急ぎで次の民族衣装に着替えて、
同じダンサーたちがまた躍る、
という具合に進められました。

私たちはとくに、男性ダンサー2人に注目。
まるで酔っ払いのような仕草、
まるで何を踊っているかわかっていないかのような仕草で、
観客たちを笑いに誘っていたのです。

一曲、一曲と、徐々に盛り上がり、
ダンサーたちは観客たちを誘いに客席に上がっていき、
観客たちもどんどん下の円形のステージに降りていき、
混沌とした雰囲気の中で、
勢いのある民族舞踊、
アフリカ的な熱狂Raveが繰り広げられました。

この日、大きな団体さんとしては、
キリスト教会のこどもたちと、
とある小学校の児童たち、の2組がいました。

観客がステージに降りていって一緒に踊るシーンでは、
彼らこどもたちが我先にと降りていき、
小さな子も、大きな子も、みな盛り上がっていました。

キラキラの遠足の時は、
きっとキラキラっ子たちが目を輝かせて観賞し、
心も体も大躍動してくれることでしょう。

☆☆

さて、民族舞踊のステージショーが終わったのは定刻通りの午後4時。
その後、私たちは、「出待ち」をすることにしました。
つまり、ダンサーたちが着替えを終えて出てくるところを待伏せしようと。

すると、案の定、出てきましたよ。一人、また一人、と。
ノゾミさんとヒカリさんは大興奮。

私は大学生の頃に、
兵庫県宝塚市の宝塚劇場の外で、
たまたま出待ちのファンたちの群れに遭遇し、
出待ちがどういうものか経験したことはありましたが、
ケニアで、ボーマスで、出待ちを経験することになろうとは
夢にも思っていませんでした。

すると、ダンサーの男性の一人、
あの、わざと酔っ払ったふりをしながら踊り、
観客を魅了していたあの若い男性が、
私たちの方に歩み寄ってきました。

そして、彼は私たちと一緒に記念撮影に応じてくれました。
ノゾミさんもヒカリさんも大興奮。

もちろん、彼は、
他の観光客たちのところにも、
次から次へとあいさつに歩み寄っていました。

彼のこの行動は、
私の心を鷲掴みにしました。
ケニアでは珍しい、何というサービス精神!

このブログで何度も書いていることですが、
ケニアの商売人たちは、
お客をだまして高く売りつけたり、
不良品を売りつけたりすることに躍起で、
お客はもう二度とそのお店には行きたくない!
となるパターンばかりです。

しかし、このダンサーの青年は、
誰からも強制されていないのに、
出待ちの観光客たちを相手に笑顔を振りまき、、、

きっと、この彼の存在によって、
何十人、何百人という観光客たちが、
「あぁ、今日はいい日だった」
「またケニアに来たいな」
「またボーマスに来たいな」
と感じてきたに違いありません。

うちのノゾミさんもヒカリさんも、
次のボーマスが楽しみでたまらない、
という声と表情で心も体も弾んでいました。

☆☆

ボーマスからナイロビ市街地までは
またウーバーのタクシーで移動しました。

夕刻のナイロビで、
車の走行ルートの確認と同時に、
どこが渋滞しているかなど、確認しました。

ナイロビの街は昼間以上の人出で混雑していました。
そこで書店・文具店や、ピザ屋さんや、
衣類販売の露店などをめぐり、
ナマンガ行きのマタトゥ(小さなバス)乗り場へ行きました。

朝のマタトゥで不快な思いをした後だったので、
この帰りのマタトゥではしっかりと良い席を確保することができほっとしました。

マタトゥは夜7時20分に出発し、
ナイロビからキテンゲラにかけての交通渋滞に引っかかったものの、
3時間半後にはナマンガのバスターミナルに到着し、
夜11時には家に帰りつくことができました。

いつもナイロビ行きや遠出の時はそうですが、
旅の安全を守り、
旅の目的を果たさせてくれた神様に感謝しました。

☆☆


ボーマスの円形劇場の荘厳な天井です。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_00503984.jpg




















円形のステージを取り囲むように観客席が連なります。
椅子は備え付けで固定されたものではなく、並べて置いてあるもの。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_00504055.jpg




















女性ダンサーたちの踊りはきれっきれではなく柔らかで安定した感じ。
一方で、男性ダンサーたちは、きれっきれで、ダイナミックで、わくわくします。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_00504071.jpg




















ステージショーが2時半からだとわかっているのに、
小学生の団体さんは遅れて入場してきました。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_00504061.jpg




















男性と女性とが向き合ったり対になったりする踊りがほとんどです。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_00504044.jpg




















曲と曲の間のアナウンスの間に、
きっと大急ぎで着替えているのだなあと思いました。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_00504074.jpg




















アフリカ的な一定のパターンの踊りがほとんどですが、
それでも民族ごとに特徴があり、
それを探しながら見るのに飽きることはありません。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_00504067.jpg




















この欧米の女性(観光客)は、
「長老の妻」役として、
「長老」役の男性ダンサーに呼ばれてステージまで降りてきました。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_01080345.jpg




















観客たちがステージに降りてくるように呼ばれると、
この小学生たちが真っ先に食いついて、
僕も、私も、と次々にステージ上に雪崩のように降りていきました。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_01080323.jpg




















この小学校の女子たちは、
スカートとズボンとどちらかを選べるようです。
しかし、驚いたことに、多くがズボンをはいていました。
きっと学費の高い私立学校かインターナショナルスクールなのでしょう。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_01080373.jpg




















ステージがだんだんカオス(混沌)となっていきました。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_01080308.jpg




















我がヒカリさんもステージに降りていきました。
キラキラの遠足だとしたら、
あの子とあの子とあの子が真っ先に降りていくだろうな、と思い浮かべました。

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_01080349.jpg




















出待ちをしていたところに、
この男性ダンサーが自分から私たちに歩み寄ってきてくれました。
ノゾミさんとヒカリさんのこの笑顔!

遠足の下見~ボーマスの民族舞踊_b0124020_01080472.jpg




















さて、キラキラの遠足のために、
何度も何度も下見を繰り返し、
ようやく8月の遠足の目途が全てつきそうです。

遠足当日、私は運転手のナビと入場料の支払いとこどもたちの誘導で大忙しになりますが、
下見で大いに楽しむことができ、心地良い気分転換と、大きな大きな思い出になりました。



相原 記


# by kjkirakira | 2024-04-11 01:31 | 現地キラキラ ブログ Ke最新情報・記録