アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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最初の月の終了

2017年1月31日(火)
今年度最初の月の月末=給料日、
今年はこれまで以上にしっかりと教職員会議をやっていこう!
という決意と計画のもとで、
17人がアンボセリロード・キャンパスの教室(1年生)に会しました。


後列左より、
レジナ(アンボセリロード・キャンパスの主任教師)
ドロシー(小学校の事務主任、2年生担任)
アン(保育園の年中組担任)
ジョージ(4年生担任)
ネルソン(ビリカ・キャンパスの調理人・用務員・守衛)
ジュリアス(スクールバスの運転手、ビリカ・キャンパスの用務員)

中列左より、
セリナ(保育園の年少組担任)
ユーニス(保育園の年長組担任)
ジュリアナ(アンボセリロード・キャンパスの調理人・用務員)
ポウリーン(校長=学園長)
スワレ(保育園の事務主任)
コージ(コーディネーター→顧問)

前列左より、
ナオミ(1年生担任)
アレックス(ビリカ・キャンパスの主任教師、3年生担任)
ジャシンタ(ダイレクター=総監督)
ジョイス(保育園の調理人・用務員)
タビタ(保育園の主任教師、現在は産休中)

こどもたちは、
マーティン(3年生、ジュリアナの息子、中列左から3人目)
ノゾミ(2年生、コージとジャシンタの娘、前列左から3人目)
ヒカリ(年長さん、コージとジャシンタの娘、前列左から5人目)
エリック(未就学、ジョイスの息子、前列左から7人目)
アイリーン(年中さん、タビタの娘、前列左から9人目)

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いやいや、
全職員を簡単に解説するだけで疲れるほどです。
毎年少しずつ人数が増えていきます。

教職員1人1人が、2~4分くらいで自己紹介+主張。
各自、前もって話す内容を準備していただけに、
とっても有意義な話を聞くことができ、
濃密な1時間になりました。

そして、会の後は、お楽しみの給与支払です。

今回から、国の法律に乗っ取って、
各人しっかりと年金を払うようにしたので、
計算や小銭の用意が大変でした。

みんな、ほくほく笑顔です。
今年度に新規に雇用されたジョージ、ナオミ、ユーニス、アン、セリナは、
初めての給料を手にし、
心の奥底にあった疑心(ほんとに給料もらえるのか?)が
安心(月末は確実!)に変わったはずです。

キラキラ・マイクロファイナンス(小規模金融)の会計担当のスワレ先生が、
教職員(希望して会員になった者のみ)からの預金を受け取って会計処理していきます。

地球の自転、地球の公転、月の公転により、
黙っていても月日は流れるでしょう。
キラキラも、今の教職員たちのチームワークで、
私が黙っていても有意義に月日が流れる、
そして、毎月毎月給料日を無事に迎える、
そんなキラキラであってほしいと願うばかりです。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-31 23:45 | 現地で 保育園+小学校

初めての石レンガの教室

2017年1月30日(月)
4年生たちが、ついに、
建設されたばかりの石レンガの教室に入りました!


月曜日は国旗掲揚、国歌斉唱の日

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三教室を建設中ですが、
とりあえず一教室が最低限整ったのです。

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ご覧の通り、
壁の塗装などはまだですが、
大きな教室に50人の4年生たちがゆうゆうと腰かけています。

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3年生たちは、
屋外の木陰の教室から、
これまで4年生たちが使っていたトタンづくりの仮設教室へ移動です。
幸い、この日から、
久しぶりに雨が降り始めたので、
絶妙のタイミングでした。

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3年生の体育の時間です。
何と、でんぐり返しの練習!

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相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-30 23:19 | 現地で 小学校

支援の終わりの始まり

2017年1月27日(金)
現地キラキラ(主に保育園と小学校の教職員・保護者)の年次総会が開催されました。

今回は、私が2週間前に枠組みだけを校長のポウリーン先生に示し、
あとはポウリーン先生がダイレクターのジャシンタ先生と相談しながら、
他の先生方に係を分担したり、詳細を少しずつ具体化したりして、
準備を進めてもらうことにしました。

当日、ビリカ・キャンパスで建設現場監督をする傍らで、
3・4年生たちと先生方は、
いつもより早めにバスに乗ってアンボセリロード・キャンパスに向かっていきました。

そして、総会の準備(机を外に出して並べたり)をしたり、
1年生から4年生までが集合していろいろ(スポーツやレクリエーションなど)したり、
16時の総会の開始に備えていたようです。

私は15時半にその日の建設を終え、
職人たちと一緒にバスに乗ってナマンガの町に戻り、
2年生ビビアンさんのお父さんである職人さんと一緒に、
16時ぎりぎりで総会会場に到着しました。

あとは、私は一保護者として傍観です。
ただ、プラスチック製の椅子が足らないな、と見ると、
すぐに調達したり、
PTA役員会長のあいさつがないぞ、と見ると、
こそっと司会者に耳打ちしたり。

教職員約16人が保護者の皆さんの前に勢ぞろいし、
簡単に紹介されていく様子は、
何とも感慨深いものがありました。

保護者の方も、単純に計算すると、
保育園児100人、小学生(4学年)200人の保護者たちであり、
兄弟姉妹の関係上、保護者は300人ではなく250人、
欠席者もいるので200人くらいと見積もっても、
かなりの大人数です。

今回の総会の主要な議題は、
キラキラの組織形態を、
「CBO」(コミュニティーの自助努力プロジェクト)から、
「私立学校」へと移行させていくということ。

それに伴い、
現地での私の「CBOで無給で雇われているコーディネーター」という肩書がなくなり、
学校のPTAの顧問(助言者)的存在になる、ということ。

「え!コージさんがキラキラをおやめになるの?」
一瞬、場が凍り付いたような感じになりました。

閉会後に人づてで耳に入って来た話によると、
「コージさんなしのキラキラは意味がない」
「コージさんがコーディネーターとして大活躍するキラキラにこそ我が子を通わせたい」
「コージさんがいないとキラキラへの信頼感が減じてしまいそう」
「キラキラの安い学費は今後どうなっていくんだ?」
といったコメントが寄せられたとか。

しかし、ダイレクターのジャシンタ先生の根気強い説明により、
公的な立場上の変化はあるが、
状況はこれまでと変わらず、
採算が取れるまでの間は資金繰りもコージさんが続けていかなければならないし、
教職員たちがしっかりと自立して大活躍できるように、しばらくはコージさんが導いていかなければならないし、
急にいなくなるというわけではない、ということは理解されたようです。

つまり、私の立場の変化は、
「支援」終了に向けてのプロセスの始まり、と言えます。

私のちょっと欲張りの目標としては、
あと2年でプロジェクト運営の採算を合わせ、
その後2年で教職員・保護者の自立を完遂させ、
その後2年で最低限の小学校建設を終わらせる、
という流れです。

私の役割として、資金を1円もこぼすことなくていねいに管理し、使っていくこと、
つまり、日本などから支援をくださる方々への責任と感謝を全うしていくことがいちばん重要です。
そういう意味でも、プロジェクトの採算が合うまで、小学校の建設が終わるまでは、
私の役割は続いていくわけです。

では、採算が合ったらもう私は要らないのか、というと、
決してそういうわけでもありません。

例えば、キラキラのマイクロファイナンス(小規模金融)部門では、
日本などからの支援金は1円たりとも使っていませんが、
やはり私の目とアイデアがないと、
会計管理もずさんになるし、
余計な出費も増えて無駄が増えてしまうのです。

キラキラをよく知っているのは他ならぬ私とジャシンタ先生です。
教職員たちや保護者たちに丸投げだけしてしまうと、
キラキラの良さが失われ、無駄の多い運営になりかねません。
つまり、今後長くに渡ってキラキラの質を保つことも、
私の重要な役割なのです。

今後は、それを、
無給(ボランティア)スタッフのコーディネーターとしてではなく、
保護者代表の顧問(もちろん無給)としてやっていく、ということです。

保護者が1人、また1人と立ち上がり、
この件でいろいろな意見を述べていきました。
「コージさんには大変お世話になった」
「何らかの形でその感謝を表現しよう」
「感謝の募金でも、プレゼントでも、コージさんにお渡しできるようにしようではないか」
「募金も良いが、全員に強いるのではなく、各自の裁量に任せるべきだ」
などなど。

いくつかやり取りを面白く拝聴させていただいた後で、
私はわざと席を外し、校庭の隅で遊んでいるこどもたちの方をぶらぶらと巡回してみました。
こういう場合、張本人がいるとなかなかざっくばらんに意見が言えないと思ったからです。
現に、誰かの支援(学費、結婚、病気、葬儀など)のために人々が集う際に、
張本人はその会合には基本的に参加しないものなのです。

私としては、
感謝の金一封や物のプレゼントをいただくよりも、
皆さんが私を尊敬していてくださったように、
これからも教職員たちを尊敬し、
協力姿勢を維持していくことこそが最高のプレゼントなんですけどね。

というわけで、この日の総会も、
新年度始業日同様に、
私は傍観者、一保護者として眺めさせていただきました。

あれこれと心配したりあくせくしたりする必要がなく楽ちんで良いのですが、
それ以上に、私が長年かけてつくってきた歯車がうまく回っている様子、
私がつくってきた棚や枠組みがうまく使われている様子を、
感慨深く、静かな喜びをもって眺めることができました。

明日も、早朝から、
ビビアンのお父さんたちと一緒に建設現場での仕事が続きます。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-27 23:56 | 現地で 全般・他

建設百景

ビリカ・キャンパスで、
三教室の建設が進んでいます。

何だかんだ言いながら、
私はしっかりと現場監督しています。

今回は、
棟梁のマイケルさんが有能であることと、
馴染みのケンさんが私の右腕となっていることなどもあり、
私自身であくせく奮闘する必要もなく、
興味深く、いろいろ学びながら、楽しく現場におります。


ビリカ・キャンパスから眺めたキリマンジャロ。
海辺の町モンバサから最近ナマンガに引っ越して来た職人さんは、
このキリマンジャロを見て大興奮、感無量。

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木陰の教室で学ぶ3年生たちは、
まさにはるか向こうにキリマンジャロを眺望しながらの授業になります。

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スクールバスの運転手のジュリアス先生です。
毎日、児童たちを2往復、職人たちを1往復、
バスで運んでくれています。

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セメント(一袋50㎏)も毎朝10袋ずつ現場に運びます。
運転手ジュリアス先生は、建設の助手としても毎日働いています。

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とりあえず一教室(手前)が、
着々と完成に向かいつつあります。

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トタン屋根に、1枚だけ明かり取り用の透明なトタンを取り付けます。
これが1枚あるだけで、だいぶ屋内が明るくなります。

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教室内の壁塗りの作業です。

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セメントと砂を混ぜて、
それを壁に打ち付けて、こすって平らにしていくのです。

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黒板は、黒い粉を混ぜたセメント製で、
あとは黒板用の黒いペンキを塗れば完成です。

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廊下(ベランダ)から地面に降りるための階段です。
ごつごつした石で、うまいこと半円形をつくっていきます。

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今年の予定は、
12月から始まったこの三教室建設を2月中旬にひとまず終えて、
3月はアンボセリロード・キャンパスの一角に掘った井戸の設置と配管と使用開始をはかり、
4月に三教室のセメントが完全に乾いた頃に塗装作業をして、
5月から7月頃にはホールと食堂の建設をして、
といった感じで、
建設三昧になりそうです。

でも、この建設三昧を心全体、体全体で満喫していくためにも、
ケニアの永住権を早く確保したい!


相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-20 23:59 | 現地で 小学校

キラキラの三キャンパス

キラキラの三キャンパスを、
Google航空写真を拝借しながら、
地理的関係をお見せいたします。


下の画像で、
右上から左下に伸びる道路が、
アフリカ縦断ハイウェーの一部でもある幹線道路で、
右上がナイロビ、左下がタンザニア北部の都市アルーシャの方向。

左下の☆が保育園(オルコング・キャンパス)で、
左下の白い国境線に近く、
タンザニアにほぼ接している地点にあります。

そのすぐ右上の☆が小学校1・2年生部門(アンボセリロード・キャンパス)で、
我が家に隣接しています。
アンボセリロード(くねくねと右下へ向かう)と
バイパス(幹線道路からアンボセリロードへのショートカット)との交点なので、
とってもわかりやすいです。

そして、右上に6㎞離れたところに、
3・4年生部門(ビリカ・キャンパス)がほぼ幹線道路沿いにあります。

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ビリカ・キャンパスを拡大するとこんな感じです。
幹線道路から上へ行くにつれて標高も高くなります。
白っぽい部分はごつごつした岩の山です。

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では、詳しく。

ご覧の通り、
3.2ヘクタールのキラキラ小学校のL字型、
3.6ヘクタールの隣接地のL字型が、
私たちの所有です。
南緯2.52度、東経36.83度くらいの地点にあります。

この航空写真は2016年3月撮影とあります。
スクールバスが敷地内を往来する道、
仮の教室や調理場や守衛室や屋外トイレなどが見られます。
敷地をぐるっと囲むフェンスのまっすぐな線も明らかです。

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現地訪問の際は、
一度ここを参照していただければ幸いです。


アイハラ 記


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by kjkirakira | 2017-01-15 10:54 | 現地で 保育園+小学校
久々に朝から晩まで過ごした金曜日のビリカ・キャンパス。


金曜日の朝礼は、国旗掲揚から始まります。

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3年生と4年生が国旗を囲むように半円形に整列して朝礼を執り行います。

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3年生の教室がまだ建設途中なので、
一時的に外の木陰に仮教室をもうけました。

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暑いアフリカでも、木陰は涼しく、
緑が適度にあって空気は美味しく、
風も心地良く、
木漏れ日が心地良いのです。

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今年のビリカ・キャンパス勤務の3人の先生たち。
左より、アレックス先生、ポウリーン先生、ジョージ先生。

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よく飽きずにサッカーばかりできるな、と感心します。

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建設途中の三教室の全貌が徐々に現れてきています。

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お昼ご飯休憩中の建設職人たちです。

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ときどき児童たちにも声をかけて、
ちょっとした建設作業を手伝ってもらいます。

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屋根を覆うトタンを梁に打ち付ける釘に、
雨漏り防止のゴムを取り付ける手作業を、
十数人のこどもたちの手で一気に成し遂げてくれました。

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毎日が新鮮で楽しそうな児童たち、
気持ち良く働いている先生たち、
楽しそうに働く建設職人たち。

楽しむことが、成長、発展、創造の原点です。

そんな環境を作り出すための歯車をつくり、動かすのが、
ダイレクターのジャシンタ先生と、
コーディネーターの私コージの役目です。

明日も、明後日も、歯車の責任者として、
しっかりと傍観したいと思います。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-14 10:37 | 現地で 小学校

ジョゴーくんの病気

キラキラ土曜補習教室に9年間通い続け、
その地道な努力と謙虚さで、
ミスター・キラキラの称号を勝ち取った、
デビッド・ジョゴーくん。

昨年末に小学校の卒業試験(国家試験)を受け、
成績は芳しくなかったものの、
補習教室で私と二人三脚で頑張って来た算数が5教科の中でいちばん良くできて、
他の児童と比べても算数は上々で、
それを私に語ったジョゴーはにこっと笑っていました。

そのジョゴーくんは、
1月1日、通っているキリスト教会で洗礼を授かりました。
つまり、正式にクリスチャンとなり、
主イエス・キリストを信仰して生きていく決意をしたということです。
これは、クリスチャンにとっては第二の誕生としてとても価値のある記念日なのです。

その洗礼式を終えて、
ジョゴーくんはひどい腹痛に襲われました。
帰宅しても腹痛はおさまらず、
のたうちまわり、いてもたってもいられないくらいになってしまいました。

近くの医院を受診して、
痛み止めの薬を飲んでも痛みは増す一方。

公立病院を受診したところ、
たまたま腕の良いベテラン医師の診察を受け、
「これはやばい。即ナイロビの大病院へ直行してください!」
となったのです。

ナイロビ北部のキジャベ病院というところを受診し、
いくつか検査をしつつ、
「明日手術」と言われたものの、
少し経って「今から手術!」となり、
お父さんは大急ぎで承諾書に署名し、
麻酔薬を投与され、ジョゴーくんはうとうとし、
手術室へ入って行ったのでした。

診断は、先天性の小腸の奇形に伴う、
腸軸捻転によるイレウス。
すなわち、生まれつき小腸のくねくねがうまくおさまっておらず、
こんがらがって締め付けられ、
血行も悪くなり、腸がうまく動かなくなり、
腸を流れて行く食べ物の流れもスムーズにいかなくなり、
このままでは急激に小腸が壊死し、
全身状態も悪化の一途をたどる、
という状態になってしまっていたのです。

手術により、
血行障害も腸内容物の通過障害も改善されたようです。
麻酔から覚めるのに時間がかかり、
呼びかけられても反応しないジョゴーくんの姿に、
お母さんはいても立ってもいられなくなったそうです。

その後徐々に全身状態は改善し、
排ガスも排便も排尿もあるようになりました。
意識も少しずつ平常に戻り、
少しずつ歩く練習も始めていました。

ここで生じた問題は、
入院治療費の全額または半額ほどをおさめないと、
退院させてもらえないという状況になってしまったのです。

病人を人質に取って収入を確保するのは、
ケニアの病院なら公立・私立を問わずありがちなことで、
病人家族もそういうもんだと納得しつつ、
資金繰りに四苦八苦するのです。

入院治療費は10万円ほど。
1か月の収入がお父さん(大工)とお母さん(洋服販売)と合わせて恐らく2万円くらいですから、
10万円はさすがに大金です。
息子や娘の学費としてこつこつ貯めてきた貯金をはたくことになったそうです。
それでも足らない!

お父さんがジョゴーくんの付き添いとして病院で寝泊まりする傍ら、
困りに困ったお母さんは、ナマンガに戻って来て、
ジョゴーくんの親友ともいうべき私のところを訪ねて来たのでした。

それを初めて聞いた私はびっくり!
そして、よくぞ私に言ってくれた!と内心喜びました。
ミスター・キラキラの一大事に行動を起こさなくてどうする!
お母さんと別れた後、即決しました。

キラキラとして、
特別な事情のあるこどもたちを支援するために募っていた特別支援会計に、
まだ40万円以上の繰越金があったのです。
そこから3万円ほどを、ジョゴーくんのために拠出することにしました。

翌日、お母さんを呼び出して、
署名をいただいたうえで、
3万円を手渡すと、
お母さんは何て言っていいのかわからない様子。
期待はしていたものの、
期待通り、期待以上の支援に、
感謝を表す言葉も見つからない様子。

翌日、お母さんは、
ジョゴーくんが入院している病院に旅立っていきました。

折から新年度始業に関する業務で、
私もジャシンタ先生も大忙し。

時間に余裕があって、
私かジャシンタもその病院までお見舞いに行ければ良かったのですが。

お母さんは病院に着き、
すぐに支払いをして、
まだ完済していないものの、
ソーシャルワーカーを介して退院を認めてもらい、
翌日にはお父さん、お母さんに守られながら、
ジョゴーくんはマタトゥ(小さいバス)を乗り継ぎ、
ナマンガの自宅まで帰って来ることができました。
バスを乗り継いでの4時間以上の移動で、
さすがに疲労困憊したとのこと。

数日後、時間をつくり、
私もジョゴーくんを自宅に訪ねました。
お父さんとともに自宅でくつろいでいました。

しっかり話をすることもでき、
ジョゴーくん独特のはにかみ笑いも出て、
庭をみんなでぐるっと歩いて回り、
私も安心、大喜びでした。

ジョゴーくんの庭には多くの果樹が栽培されており、
お土産にレモンやパパイヤやサトウキビを持たされ、
帰宅の途についた私をみんなで200mほど送って来てくれて、
急な下り坂に差し掛かったところで、
「帰りにこの上り坂を歩いて登る体力はまだないな」ということで、
お別れしました。

すると、訪問時に不在だったお母さんが、
今度はキラキラ小学校アンボセリロード校舎にやって来ました。
日陰に椅子を並べ、少し話をしました。

病院の診断書や、領収書などを見せてくれて、
いかに大変だったかをお母さんの目線から語ってくれました。

あの日、感謝の言葉が見つからずに、
息子が心配で心配で焦っていたお母さん。
この日は表情に余裕があり、
何度も何度も私に感謝を述べてくれました。

私も、他ならぬミスター・キラキラのジョゴーくんのことを、
こういう形で救うことができ、
支援する機会を与えてくれた神様への感謝で心があふれそうでした。

お土産にいただいたサトウキビは、
ノゾミとヒカリがあっという間に完食。

私は、健康のために、
いただいたレモンを少しずつお茶に混ぜるのが楽しみです。


家の中で、
ジョゴーくんとお父さん

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庭で果樹に囲まれて

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相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-13 23:12 | 現地で 補習教室・他
ケニアの女性と結婚し、
ケニアで暮らす外国人男性である私。

かつては配偶者ビザも得られず、
何らかの労働をして、
しかるべき労働許可証を得て、
それを2年おきに更新するという、
不安定な状況でケニアに居続けるしか手段がありませんでした。

逆に、
ケニアの男性と結婚して
ケニアで暮らす外国人女性は、
容易に配偶者ビザ(扶養者滞在許可証)が得られ、
しかもそれは一生もんで、
離婚したとしてもその後もずっと滞在可なのだそうです。

男女でこうも違うのですよ!
女に生まれたら良かったのかな、などと、
何度も何度も思ったものです。

今回、
2004以来2年おきに更新し続けてきた労働許可証が、
更新できない状況になってしまいました。

1つ目は、
ケニア政府による治安維持、経済活性化(ケニア人の雇用促進)の政策の一環で、
外国人に対する制限や取り締まりや審査が極端に厳しくなり、
労働許可証を更新するために必要な書類や手続きが急に増えてしまったこと。
一つ一つの書類集めや手続きに相当の時間がかかるために、
時間をかければ可能であったとしても、
更新すべき期間内にどうしても間に合わなくなってしまったのです。

2つ目は、
これまでキラキラを運営して来たプロジェクト形態の変化により、
私の立場にも変化が生じ、
今後は更新ではなく新規申請にすべきだろうということです。
コミュニティーの自助組織ではなく、私立学校として、
キラキラを運営していく方向に移行させる過渡期なのです。

しかし、そんなところに朗報が舞い込みました。
ケニアで憲法改正が進められ、
その一環でジェンダー平等(男女平等)が進み、
移民法も改正になり、
「永住権」が定められたのです。

永住権を申請する権利がある者として、
①7年以上ケニアで労働に携わっている者
②3年以上ケニア人配偶者との結婚生活を営んでいる者
この②の結婚は、もはや男女差別はなく、
ケニア人女性と結婚した外国人男性も該当するのです。

しかし、永住権が始まって間もなく、
またまた移民関係の手続きで改革の波がやって来てしまい、
永住権の業務も一時停止、
労働許可証の更新もできなくなる!というデマが流れたほどでした。

しかし、その頃、2014年の労働許可証更新は、
辛うじて悪いタイミングを免れ、
毎度のように容易に更新することができました。

その更新を終えた2014年の暮れに、
満を持して永住権を申請したのです。

私の場合、その時点で労働10年間、結婚10年間でしたから、
①労働7年以上も、②結婚3年以上といった条件も余裕で満たしていました。
しかし、申請したのはもちろん②の「ケニア人の配偶者」としてです。

申請して7か月後、
その件でナマンガの秘密警察の人に呼ばれ、
面接を受けました。

幸い、その人の私に対する印象と見解は良好で、
その後、その人とはその後交友関係が生じました。

申請して1年後、
ナイロビの移民局に赴くと、
「今すぐあと一つこちらで書類をそろえれば、来週の最終審査にかけられる」
との説明を受け、期待していました。

しかし、待っても待っても連絡はなく、
申請して1年2か月後、再度赴くと、
「この書類とこの書類を追加で持って来てください」
と言われてしまいました。

数日後、それらの書類を提出しに行くと、
担当の職員に案内され、
書類を手渡し、
書類を受け取ったという受領書を引き換えに渡されました。

その後、待っても待っても何の音さたもなく、
申請して1年6か月後、
追加で提出した書類が紛失していたことがわかりました。
何という惨事!

申請して1年7か月後、
私と妻ジャシンタそろって、
それらの追加書類を再提出しに行くと、
夫婦そろっての存在がアピールになったようで、
永住権部門のお偉いさんと面会することができ、
一気に最終審査を待つリストの中に入ることができました。
そして、2週間後の最終面接に呼ばれる、と言われました。

しかし、待てど待てど何の音さたもなく、
妻ジャシンタが3~4週間おきに移民局を訪ね、
状況を聞いてはアピールを繰り返しました。
あと10人、あと7人、
少しずつ最終面接の順番が近付いてきているものの、
「あと2週間後」の一点張りで、
いつ呼び出しがあるかわからない状況。

申請して1年11か月、
2年前に更新した労働許可証の期限が切れてしまう前に、
何とか特別滞在延長の手続きをすることができました。

しかし、この特別滞在延長では、
無償のボランティアを含めていかなる労働も許可されません。
幸い、2016年の3学期は早めに終了し、
長い長い年末休暇に突入したので、
絶対に私がやらなければならない労働もなく、
ひたすら永住権最終面接の呼び出しを家で待ち続ける日々を過ごしました。

やがて小学校建設が始まり、
私自身が建設の現場監督をすることを楽しみにしていたものの、
我慢して、私は家に居続けました。
ときどき現場に行っても、
現場を指揮したりはせず、
作業を見物したり、職人たちと話をする程度。

申請してまる2年が経ち、
2017年となり、
新年度の準備をしなければならない時期に入ってきました。

幸い、キラキラでは、
少しずつスタッフたちを訓練し、
私なしでも日常が回るようにする下地は整えてありました。

それで、私は新年度始業直前の準備日のスタッフ会合にて、
スタッフたちの役割分担と、
新年度始業日の役割分担などを決めるのに立ち会っただけで、
あとはスタッフたちのチームワークという歯車が自動的に回って行く状態に整えました。

保育園始業日、私は傍観者として、労働する必要はありませんでした。
小学校始業日も、傍観者として、労働はしませんでした。
ただ、スタッフや園児・児童の保護者に何らかの質問を受けたときに、
わかる範囲で応えたり、他のスタッフにゆだねたり、
その程度のことは続けています。

しかし!
労働は人類に託された苦痛であると同時に喜びでもあります。
労働の喜びを味わいたい!
労働したり、労働しなかったりの自由が欲しい!
そのための永住権!!

折しも、特別滞在延長の期限が迫って来ました。
2度の延長はできないだろうと考え、
そうなったら一度国外に出て、
観光ビザでケニアに再入国するよりしかたないと覚悟を決め始めました。

国外と言っても、
タンザニアに行って、そこからケニアに再入国するのは許可されません。
日本まで行って戻って来るのも、
航空運賃や時間の問題もあり、
突然最終面接に呼び出された際に大急ぎでケニアに戻って来ても間に合うかという心配もあり、
候補地として、マラウィまたはエチオピアを考え始めました。

そんな時、一縷の望みをもって、
妻ジャシンタが移民局に赴いたところ、
うまく事が運び、
二度目の特別滞在延長をすることができました。
これで、国外を無駄に旅行して、
お金や時間や労力を費やす必要がなくなり、
ほっと一安心です。

その際に、最終面接まであと2人だとわかり、
恐らく2月(申請して2年2か月後)に最終面接があるだろうと、
担当者からのかなり確かな情報が得られました。

しばらくは、
働きたい気持ちを抑えて労働を自粛し、
自分がつくった歯車によってスタッフたちが大活躍する姿を感慨深く眺めつつ、
自由を渇望する主夫、イクメンとして生活していきたいと思います。

当ブログの読者の皆さまも、
期待しながら吉報をお待ちください。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-12 00:26 | 現地で 全般・他

小学校初日

2017年1月11日(水)
キラキラ小学校2017年度始業日。

朝6時10分、
校庭をのぞいてみると、
まだ先生も児童も到着していない様子。

この日も傍観だけするつもりで、
わざと遅れて6時40分頃校庭に現れてみました。

教職員のみんなは既に持ち場について、
児童とその保護者たちも続々と到着し、
学費納入チェック、持ち物チェックが行われていました。

2年生ノゾミと一緒に、
学費納入チェックを受ける行列に並んでみました。
何か良い気分。
いつもは先生目線でしか学校を見たことがなかったのですが、
この日はまさに保護者視線で眺めることができました。
何て計画性のある、素晴らしい学校なんだ!と感嘆しながら。

ちょこちょこと、
訳ありの保護者の方々に話しかけてみたり、
児童たちと握手したり雑談したりしながら、
朝の一時を過ごしました。

ヒカリを保育園に引率して行って、
保育園の朝礼が終わるまで見物して、
戻って来たら、まだチェックが続行していました。

もちろん手続きは迅速に行うべきですが、
年一回の初日ですから、
ゆっくりになっても確実に行うべきでもあります。

一段落して、1年生から4年生まで全員終結しての朝礼です。
校長のポウリーン先生が指揮しつつ、
先生方が、一人一人訓示をたれていきます。

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1年生たち(左)の小さいこと!
2年生たちの背の高さと比較して、
2年生たちの1年間の成長の跡が読み取れます。

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ダイレクター(総指揮官)ジャシンタ先生からの訓示がとても面白かったです。
学校生活で必要なことは?
児童たちが、思い思いの意見を、挙手しながら述べていきます。
「努力」
「礼儀」
「尊敬」
「感謝」
「助け合う」
「愛し合う」
などなど、とっても有意義な話し合いになりました。

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朝礼後、スクールバス第一陣として、
新4年生全員がバスに乗り込みます。

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しばらく経って戻って来たバスの第二陣として、
新3年生全員がバスに乗り込みます。
3年生たちは、
これから始まるビリカ校舎での新しい学校生活への期待でいっぱいです。
心が喜びで弾む、そんな様子が外見にもあふれ出していました。

新2年生も、1年間過ごした教室に別れを告げて、
お隣の新しい教室に入って意気揚々です。

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新1年生のわくわく感、そわそわ感は、言うまでもありません。
既にみんなと仲良しになるお調子者。
わけわからなくて心細そうに一人でいる子。
まるで見張りをしている警察官や雑誌記者のように、
私や先生たちや他の子たちをじーっと凝視し続ける子。

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私も、いつになく多幸感にあふれます。
ああ、神様、
私にキラキラの仕事を授けてくださり、
ありがとうございます。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-11 20:40 | 現地で 小学校

保育園初日

2017年1月10日(火)
キラキラ保育園の2017年度がスタートしました。

今回からは、
教職員の皆さんに一切をお任せするつもりで、
前日に役割分担を終えて一任していました。

私は教職員の皆さんが既に集結している頃を見計らって、
年長組のヒカリを、2年生のノゾミと一緒に引率して登園しました。

ヒカリの保護者と言う立場で、
まず学費納入チェック、
次いで出席チェック、
最後に持ち物チェック。
それぞれの持ち場で働いている先生方に、
少しずつアドバイスを施しながら、
今年度初登園の手続きを終えました。

新規に雇用されたばかりの、
年長組ユーニス先生、年中組アン先生、年少組セリナ先生は、
まだおっかなびっくり、状況を把握するので精いっぱい、と言った感じ。

この日、助っ人として集結した小学校の先生方が、
臨機応変に動いて大活躍してくれました。

スワレ先生もスムーズに学費納入チェックをこなし、
ジョイス先生も集まった園児たちを相手に、
飽きさせないようにいろいろ集団遊びを指揮して、
私は一保護者として傍観するのみでしたが、
計画性のあるとっても素晴らしい保育園の外観を満喫しました。

病気や怪我や、お金を工面できずに、
初日に登園できなかった子の保護者たちもやって来て、
「せっかく手に入れたキラキラ入園のチャンスを逃してなるものか!」
という心意気を感じました。

一段落して朝礼です。
案の定、名前を呼んでも返事をしてくれない新入園の小さい子たちがたくさんいます。
人生で初めての集団生活、ということで、
何が何だかわからなくなっているのでしょう。

それから、ママと別れて心細くて泣いてばかりの子。
朝礼の整列に参加できずに、少し離れたところで傍観している子。
やたらと石を拾ってやみくもに投げてしまう子。

そういった右も左もわからない子たちに、
徐々に集団生活の秩序を身につけさせていくのが1月の大仕事です。

状況が一段落し、
助っ人として来ていた先生方と、
スクールバスに乗ってビリカ校舎の準備に出かけました。

教室などを掃除し、
教科書などを準備し、
時間割などを調整しました。

午後3時前、保育園の夕礼の時間帯にはしっかりと戻って来て、
保護者の皆さんがこどもたちを迎えに来る様子をしっかりと確認しました。

新任の3人の先生を事務室に呼んで、
キラキラの先生としての心構え、具体的な行動様式、授業の進め方などを、
私なりの理解と方法論で解説してあげました。

ユーニス先生(小学校の教員免許所持)
アン先生(ビジネス関係の資格所持)
セリナ先生(無資格でも他の幼稚園での指導経験あり)
というユニークな経歴の3人は、
まだまだ保育士・幼稚園教師としてのノウハウを、
知識として、経験として、吸収していく必要があります。

仕事にプロ意識を持って取り組み、
頑張ってもらいましょう。

とっても忙しい1日。
無事に終了。
うちのヒカリも、久々に級友に会って、
とっても楽しかったようです。

それにしてもケニアは暑い!
真夏の時期になり、
長時間ひなたで動くと熱疲労になってしまいそう。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-10 23:01 | 現地で 保育園