アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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年末休暇の過ごし方

ケニアのほとんどの児童生徒たちは、
7週間におよぶ休暇を満喫しています。

といっても、今週が最後の週。
1月になって最初の週末が明けたら、
すぐに新年度が始まります。

先日、うちのノゾミ(新年長組)とヒカリ(新年少組)と、
うちの近所に住んでいるお祖母ちゃんを訪ねて来たナイロビ在住のこどもたちと、
ナマンガ内を散歩しました。

小さな山の上で

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ブランコのある高級ホテルの庭で

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芝生の上でブリッジしたり側転したり

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記念碑的なものが少ないケニアですが、
この車輪は第二次世界大戦頃にさかのぼるとか

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みんな、この散歩の最中は、
安全のために手と手をつないでぞろぞろ歩きました。
クリスマスや正月のこの季節は、
酔っ払いや、麻薬で狂った男も多いので。

みんなとても楽しかったようで、
この夜は家でお祖母ちゃんに散歩の話をしまくったようです。

で、今朝、上の写真最右の赤の少年たちが、
「コージ先生、僕たち今日ナイロビに帰ります。」
とあいさつにやって来てくれました。
「次に会うのは4月の休暇の時かな」
と言って、お別れました。

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こちらは、庭に幼児用のプールを出して遊んでいる様子。
雨季が明けて一気に蒸し暑くなったので、水浴びが快適です。

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ところで、キラキラ保育園と小学校では、
色々な面での安全性向上のために、
2015年からは学費納入を銀行口座への入金としました。

新たな変化に戸惑う保護者の方もいますが、
大半は、高校に通うお兄ちゃんやお姉ちゃんの学費を銀行で払ったことがある人たちで、
既に続々とキラキラの学費も口座の中に集まりつつあります。

幸い、地元の銀行の口座の出入金の記録は、
インターネットで閲覧できるように設定してあるため、
リアルタイム速報のように、誰がいくら口座に入金したかがわかります。
本日12月31日だけで、11人のこどもたちが入金しました。
銀行に行けば、誰か(保護者)に必ず会えたことでしょう。

というわけで、正月を迎える準備よりも、
学校の新年度を迎える準備を進めています。

日本時間  2015年01月01日01時30分
ケニア時間 2014年12月31日19時30分


相原 記


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by kjkirakira | 2014-12-31 23:11 | 現地で 全般・他

永住権獲得へ向けて

2014年12月30日、マタトゥ(ミニバス)に乗ってナイロビへ。
ちょうど、クリスマスと正月に挟まれた閑散期で、
ナイロビの交通渋滞が驚くほど緩和されており、
すいすいたったの2時間半で到着。

マタトゥを乗り換えて、まずは警察本部へ。
2週間前に申請しておいた、犯罪歴がないことの証明書を取得します。

すぐにナイロビ市街に戻り、出入国管理局へ。
いよいよケニアの永住権を申請します。

この申請にあたり、労働査証を無事に更新できた10月末から、
少しずつ少しずつ準備して来ました。

労働査証更新から1か月後に外国人登録証が更新されるのを待ちました。

永住権申請のために、私をよく知る3人の証人が必要でした。
これが意外に大変でした。
私をよく知るからというだけで、誰でも彼でも良いというわけにはいかないのです。
出入国管理局から電話で照会があっても、堂々と、スワヒリ語でも英語でも受け答えができ、私の活動もしっかりと的確に説明できる人物である必要があるのです。
しかも、納税者であるという証明となる番号も持っていなければなりません。この番号がない、または、この番号を失くしてしまったために、証人にしたくてもできなかった人もいました。
結局、地元AIC小学校の校長、および、同校のベテラン先生、それから、元キラキラ保育園児の保護者の商店経営者の3人を確保できました。

配偶者の情報、こどもの情報など、数々の証明書などのコピーととともに用意しました。

永住権申請書類に、丁寧に丁寧に記入したうえで、弁護士による署名も確保しました。

そしてこの日、最終的に取得した警察本部からの証明書を携えて、出入国管理局に永住権の申請をしに行ったのです。
窓口のお姉さんは、10月末にいろいろ説明してくれたあの人。
私のことも覚えていてくださり、書類に一通り目を通したうえで、OKをいただきました。

申請時に必要な5000シリング(6500円)を払う際、そこの窓口の人にもいくつか質問を受けました。
ケニアの政府関係者は、全員が面接官なのです。
それぞれが独自に質問したり談笑しながら、
「こいつはちょっと変な奴だ」などと見分けていくのです。

とにかくこの日、申請という第一関門をクリアでき、心晴れやかに2014を締めくくることができました。

永住権の審査は時間がかかり、「3か月後に状況を聞きに来てください」と言われました。

2013末以降現在に至るまで、出入国管理局は政策が安定せずに迷走しており、様々なうわさや憶測が飛び交い、私たち外国人にとって相当なプレッシャーになっていました。
2013年夏に永住権を申請した人たちは、4か月後などに取得できたようですが、2013年秋以降に永住権を申請した人たちは、待てど暮らせど、全く審査が進まずに1年以上経過しているようです。

私が永住権を取れるかどうかは、もはや私の問題ではなく、ケニアの出入国管理局の問題なのです。

それでも、そろそろケニアの出入国管理の「改革」も盤石になりつつあります。
現在の労働査証が期限切れとなる2016年秋より前に、何とか永住権を取得できるよう、祈って待つだけです。

世界中のあらゆる善良な市民が、
余程のたちの悪い問題のない限り、
自分がやりたい仕事を、どこでも、どの国でも、国境のどちら側でも、集中して行うことができ、
自分の大切な家族と一緒に、どこでも、どの国でも、国境のどちら側でも、安心して暮らせるような、
そんな平和で寛容な世界を熱望します。


相原 記


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by kjkirakira | 2014-12-30 23:16 | 現地で 全般・他

ケニアの小学校卒業試験

11月に行われたケニアの小学校卒業試験の結果が公表されました。
この試験は、ケニア初等教育終了という国家資格の試験でもあります。
試験会場では、不正やデモなどを防ぐために警察も出動します。
試験期間は、国中の人たちが娯楽や騒音などを自粛します。

試験の結果は、毎年12月末に、大々的に発表されます。
全国トップ10児童、全国トップ10校、全国トップ10県。
逆に、ワースト10もわかるわけで…。
熾烈な競争を煽る形で発表されてきました。

しかし、競争のために、いろいろな弊害があるのです。
・関係者から漏れ伝わった試験問題を事前に買う
・学校の平均点を上げるために落ちこぼれは進級させてもらえずに、卒業試験を受ける資格を与えられない
・試験の点数でこどもの価値が評価されてしまう
これらの弊害が、もはや庶民や学校レベルでの良心の制御が不可能になってしまっていました。
そこで、今回は政府主導のもとに、順位や平均点などの公表が撤廃されました。

日本も、80年代半ばから90年代半ばにかけて、偏差値教育の弊害を避けるために、徐々に徐々にゆとりに向かったことがありました。

ゆとりによって、児童生徒のスポーツや文化活動が活発になることはとても良いことです。
また、ゆとりによって、真の学力(知的好奇心・探求心・思考力・プレゼン力・行動力)が身に付くのはとても結構なことです。
ただ、最低限の基礎学力をつけたうえでこそ、ゆとり教育の意味があるのだと言えます。

日本も、ケニアも、はたまた世界一の学力と一時期持ち上げられていたフィンランドも、教育の方法論に関してはなかなか政策が一貫せずに迷走していますね。
キラキラも、方法論に関しては、なかなか確立できずにいます。
これも、教育というもの自体が生き物であり、刻々と変化する生身の人間を相手にするものだからなのでしょう。
ただ、キラキラも、世界も、教育そのものの方向性としては、真に生きる力を身に付ける教育ということに他なりません。

さて、ケニアの小学校卒業試験は5教科(英・数・スワヒリ語・理科・社会)で500点満点。
国のトップ10はだいたい430~450点くらい。
ナマンガでは、5年に1人くらいしか、400点越えの児童は出現しません。
ナマンガの各校のトップは、だいたい340~380くらい。
300を超えると、まあまあだと言われます。
200を下回ると、ちょっと…、となります。
100を下回ると、恥ずかしさのあまり、顔を上げて街を歩けなくなります。

2009、特別支援児童のスコラが311点。ジャシンタ養育孤児のKが約350点、Gが約240点。
2011、特別支援児童のメリーが259点。
2012、キラキラ保育園卒で小学校卒業第一号のセレウが約270点。ジャシンタ養育孤児のZが298点。
2013、特別支援児童のアブラハムが313点。
毎回毎回、あの子はどうだったああだったと、この話で持ち切りになります。

そして今回、2014はどうだったでしょう。
ジャシンタ養育孤児のJが250点、Dが175点。
キラキラ保育園卒のコリンスが216点。彼の賢さは、卒業前に失われてしまいました。
キラキラ保育園卒のルーシーは、恥ずかしさのあまりお母さんに対してさえ秘密厳守していましたが、ようやく白状し、226点。彼女の賢さも、卒業前に失われてしまいました。
キラキラ保育園卒のサイトティは258点。彼にしてはまあまあかな。
キラキラ保育園卒のナイランテイは253点。彼女も本領を発揮できませんでした。
他、私たちの知り合いのこどもたちの多くが、ことごとく落第点!

その後、全国的に今回は出来が悪かったという発表が政府を通してありました。
競走による弊害を避けるために、落ちこぼれを進級させないという悪習を撤廃する!という布石が既にあったからかもしれません。

しかし、理由はこれだけだとは思えません。
ケニア経済の停滞が、十代半ばの小学校卒業生たち(小学校は8年制)に重々しく反映していると考えらます。

アフリカは、2000~2010の10年間で、著しい高度成長を遂げ、ケニアもその例外ではありませんでした。
この間、交通も通信も金融も、あらゆるものが便利になり、人々の所得は向上し、頑張れば豊かになれるという希望が国中にあふれていました。

しかし、2010以降、この順調な経済発展が失われて行きます。
統計資料などがないので、あくまでアフリカの田舎町ナマンガというところで生活し、実感している範囲内ですが。
経済成長による所得向上を超えるスピードで、物価が上昇し、人々は生活に困窮しているのです。
少し豊かになった人たちがどんどん自家用車を購入するので、ナイロビの交通渋滞が激しく、国の中枢であるナイロビに依存する業務が、かつて5時間で済んだものが今では10時間かかるなど、経済成長の脚を引っ張っています。
教育にもお金がかかるようになり、さらに、小学校はおろか、高校を出ないと人ではないといった考え方が広まってきており、人々は自分たちの子弟の教育費に多額の出費を余儀なくされています。
こうした抜け道のないストレスの中で、病気で働けなくなる人、麻薬やアルコールの依存症や中毒になる人、無計画に妊娠・出産する人が年々増加し、こうした無産な人たちを家族や親戚で養わなければならなくなり、頑張っても頑張っても貯蓄が増えない悪循環となっています。
こんな貧困の中でも学校に通わなければならない児童生徒たちの間では、盗みや悪い遊びが日常茶飯事になっており、教科書の盗難、級友たちからのプレッシャー(煙草・麻薬・異性など)が絶えません。

本当に、身近な人で、そこそこ豊かになって幸せそうにしている人など皆無です!
経済成長の恩恵は、大きな会社のトップや政治家などに占められているのでしょうか。
麻薬の違法取引でぼろもうけをしている人たちが必ずいまると思います!国の若者たちを麻薬で滅ぼしながら。

それから、ケニアの自殺率(人口当たりの自殺者数)は、日本並みに高いそうです。
これは今まで実感がなかったのですが、年々増している生活苦と、人口増による都市化により、ナマンガでもそろそろこれが実感できるようになるかもしれません。

今回の小学校卒業試験の結果を適切に評価し、問題点を浮き彫りにして、次に進んで行く必要があります。
「出来が悪かった。ならば、以前のように競争を煽るしかない」と安直に評価してはいけません。
本当に物心両面で豊かになるように、政府も、教育関係者も、しっかりとした対策を講じていってほしいものです。

我がキラキラも、小学校一期生たちが卒業試験を受ける7年後は間近です。
麻薬や妊娠などによる中退を最小限に抑え、それなりの成績を取って、みんなで笑って卒業を迎えさせてやりたいですね。


相原 記


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by kjkirakira | 2014-12-29 23:13 | 現地で 全般・他
ケニアの12月は、
12日、独立記念日、
25日、クリスマス、
1月1日、正月、
と、祝祭が続きます。

日本同様に、この時期は、
実家に帰省したり、
1年で唯一のぜいたくをするために旅行したりショッピングしたりで、
ケニア中が混み合い、忙しくなります。

そんな最中、先日家族みんなで、
義弟の運転する車で、
ナイロビに出かけました。

まず、ナマンガからナイロビ寄りに70㎞、
ビシルの街中で車のメンテナンスをしていた時に、
私たちに近寄って来る女の子発見。
何と、来年度キラキラ小学校入学予定のヒルダさん。

ヒルダさんは、
ビシルの幼稚園を卒園した後、
家族や親戚の都合で、
小学校入学からはナマンガに引っ越して来て、
お祖母ちゃんと暮らしていくことになっているのです。
そのため、キラキラ小学校の入学手続き2日目には、
しっかりとナマンガにやって来て、
お祖母ちゃんに連れられてキラキラの入学を確定させていたのです。

そのヒルダさんは、12月の休暇中は、
ビシルのおばさんたちと一緒に過ごしている様子。
そのおばさんが経営する食堂で、
うちのノゾミとヒカリは朝ごはんを食べました。

ナイロビに近付き、
最近できた環状道路へ。
環状道路やバイパスがなかった頃は、
ナイロビの反対側に用事があるときは、
必ずナイロビ市街地を通り抜けて行かなければならなかったのですが、
環状道路ができたおかげで、
ナイロビ市街地の交通渋滞を回避して、
ぐるっと回ってナイロビの反対側に到達することができます。

初めて通る環状道路。
ナイロビの市域の辺縁を行くため、
渋滞でのろのろになることもなく、
とっても快適。
大統領の広大な私有地が続く、続く。

ティカロードに達し、そこで左折し、
徐々にナイロビ市街地へ近づき、
徐々に交通量も増えていきます。
窓外の景色の中にも、
徐々に建物や人が増えていきます。

そして、その日の第一目標の警察本部。
ここで、私の永住ビザ申請の際に必要な、
グッドコンダクト、つまり、
過去に犯罪などをしたことがない証明書を申請するのが目的です。

グッドコンダクトの申請は、
簡単だという噂と複雑だという噂があり、
心の準備と覚悟をして行きました。

しかし、あっけなく40分程度で申請終了。
流れ作業に乗って、
「あんた、スワヒリ語が上手だな」などと係員の人たちに言われながら、
ストレスもなく、スムーズに。
2週間後に、取得のために再来しなければなりませんが。

ナイロビ市街地のやや北部にある警察本部を出て、
いよいよ今から市街地へ向かおうと、
ティカロード、そして、ムランガロードを車で走っていました。
案の定、交通渋滞で立ち止まりながら。

ここで、車両トラブル。
ラジエーターの温度が上がりすぎて、
運転続行不能になってしまったのです。

持って来ていた飲み水のほとんどをラジエーターにかけて、
しばらくエンジンを切って、交通渋滞の真っただ中に停車させ、
とりあえず冷やし、
辛うじてエンジンを入れ、
枝道に入り、ガソリンスタンドに緊急避難しました。

ああ、あと少しで市街地だったのに。
ナイロビ川を渡るまで、本当にあと少しだったのに。

結局、市街地で予定していた3軒ほどの買い物はキャンセルし、
ナイロビ南東部の工業地帯にある自動車部品を扱うお店でしっかり修理した後、
ナイロビを離れて南下。
ナイロビから30㎞南部のキテンゲラ(先日テレビに出た荒川さんのプロジェクトがある)へ。
そこのショッピングセンターに入りました。

ナイロビ市街地より高めの値段で小学校用の教科書を何冊か購入。
それから、キラキラ本部の宿泊施設用の備品などを購入。

夜には無事にナマンガの家にたどり着きました。

ナイロビの交通渋滞は増悪の一方。
道路だけでなく、あらゆる役所やお店でも、
行列は長くなる一方。

環状道路やバイパス道路なども増設されているし、
役所やお店でのサービスも向上している一方で、
それに勝る勢いで、人口増や車両の増加が起こっているのです。

ついこの間も、
ナイロビ市街地へ入る手前の15㎞を4時間もかかるという大渋滞に遭い、
その日の用事を断念したばかりです。

かつては、
インターネットはナイロビで、
ATMでお金を下ろすのもナイロビで、
生活用品を含め、あらゆる大きな買い物をナイロビでしていたのに比べ、
今では、
インターネットは自宅で、
銀行もナマンガで、
主な買い物はナマンガで、
あるいは、ナイロビからの通信販売(専門の人に依頼してナマンガまで配達してもらう)で、
できるようになって、
ナイロビ行の負担は大幅に軽減されてきました。

それでも、いまだに、
一部の買い物はナイロビ市街地でないとできないし、
役所関係のほとんどがナイロビ市街地でないとできないのです。

しかし、私は、
大都市ナイロビで暮らすメリット以上に、
適度に大きい田舎町ナマンガで暮らすメリットを重視し、
これからもナマンガで生きてまいります。

日本の皆さま、
年末年始の帰省ラッシュや喧騒に悪影響を被ることのなく、
快適にお過ごし下さいますように。


相原 記


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by kjkirakira | 2014-12-17 19:42 | 現地で 全般・他

2014年12月のケニア

小雨季とあって、雨が降ってはやみ、降ってはやみの毎日。

その前の乾季が長かったせいか、
大地はすっかり乾いて緑もほとんどなかった状態。
牛を飼っているご近所さんから頼まれて、
休暇中の小学校の校庭の一隅に生えている雑草を、
牛のために開放しています。
校庭に多数植えた果物の木を食われないように、
しっかりと牛を監督する人がいるという条件付きで。

果物の木とは、
グアバ、ざくろ、ざくろ、アボカド、アボカド、マンゴ、バナナ、パッション、サトウキビ。
二エリから出稼ぎに来ている建築職人ムワンギさんや、
キラキラ土曜補習教室のジョゴーくんたちの寄贈です。
普段は小学校の先生たちや生徒たちが水をやってくれていますが、
休暇中の今は私たちで水をやります。
といっても、毎日雨なので、自然に育つ良い時期ですが。

二エリから出稼ぎ、ということで、大事な事件を思い出しました。
先日、ケニア北東部の、エチオピアおよびソマリア国境に近いマンデラという町で、
相次いでテロ事件が発生しました。

まず、多くの教師たちを乗せたバスが、
マンデラを出発して間もなく、
爆破テロの餌食となり、
何十人という乗客が帰らぬ人となってしまったのです。

ケニアはソマリア南部に拠点を置くアルシャバーブというテロ組織と
ほぼ戦争状態にあり、
2013年9月のナイロビのウェストゲート商業施設襲撃に代表される
数々の脅威にさらされてきました。
しかし、ここしばらくは、これといった事件も起きず、
治安維持は概ね成功していると安心し始めていた時に、
このマンデラでの悲劇が起こったのです。

国民も大きな声を上げ、
政府も即座に対応しようとしていました。
しかし、そのバス爆破の数日後、
二度目の悲劇が同じマンデラを襲ったのです。

マンデラの近郊の山の中で、
テント生活をしながら建材用の石を採掘していた労働者たちが、
テロリストたちの襲撃を受け、
数十人が銃殺されてしまったのです。
同じマンデラとはいえ、山の中まで警察や軍も目が行き届かなかったわけです。
銃殺された男たちの多くは二エリ出身。
マンデラに出稼ぎに出ていたのでした。
「ああ、我らの友人ムワンギの同志たちが!」
と、私も他人事に思えませんでした。

テロ組織アルシャバーブは、
ケニアの大都市の治安維持が徹底されているのを見て、
辺境から攻めていく方針に転換したのでしょうか。
予断を許せない状況が続いています。

ナイロビはというと、
まず交通渋滞が大変です。
先日、たまたまナイロビに車で行く人に、
用事をお願いしていたのですが、
ナイロビの都心に入る15㎞だけで、
4時間近く費やしてしまい、
結局都心についたのは夜になってしまい、
用事を足せなかったということがありました。

人々が豊かになって、
車を購入できるようになったのは良いのですが、
交通量がどんどん増えて、
ちまたでは交通事故が多発、
ナイロビでは激しい交通渋滞となっているのです。
急ピッチにナイロビのバイパスとなる環状道路などの建設も進められていますが、
それに追いつかないくらいのスピードで、
まるで自動車が地下から無限に湧いて出て来るかのように増えているのです。

そんなナイロビの2面性。
1面は近代都市。
もう1面はスラム。
キベラスラムはアフリカで2番目に大きなスラムと言われています。
キベラだけで100万人近い人たちが暮らしているそうです。

そのキベラで、先日大火災発生。
原因は電気の配線の問題。
スラムでは、勝手に電気の配線をいじって、
無料で電気を使えるようにしたりするのが横行しています。
それがもとで、大小さまざまな火災などのトラブルも発生しています。

その火災は、日本人の早川さんらが主宰する学校にも押し寄せました。
学校も一部焼失し、火災に紛れて盗難被害もあったようです。
家を失くした周辺の住民たちが、学校の敷地に避難しているようです。
雨季で、地面も家屋も多少なりとも湿っていた時期だけに、
余程火の勢いが強かったのでしょう。

ナマンガからも、多くの人が、
ナイロビに出稼ぎに出ています。
そうした人たちの多くがスラムのような住環境の悪い地区に住み、
何とか働きながら、ナマンガの実家に仕送りし、
何人、何十人もを養っているようです。

ナイロビで成功して、
より良い住環境のところに引っ越したりできる人もいますが、
中にはナイロビ生活に打ちのめされ、
ナマンガにっ戻って来る人もいます。

中には、ナイロビで小さな子連れで家もなく、
屋外を放浪しながらも、
ナマンガには戻れない、という人もいます。

12月に入り、これからクリスマスの空気が国中で漂い始めます。
クリスマスにかけて、多くの人が実家に帰省し、
そこで家族・親戚が合流して、楽しい一時を過ごします。
うちの近所で一人暮らしをしているお祖母ちゃんのところにも、
普段ナイロビに住んでいる孫たちが間もなくやって来て、
にぎやかになることでしょう。

キラキラは、ここ数年でいちばん忙しかった年度末の11月を終了し、
ようやく落ち着いてきました。
12月には、細かい仕事を一つ一つこなし、
1月から始まる次年度に備えてまいります。

次年度からは、学費の納入を銀行振込みにすることになっています。
既に、銀行振込みを済ませた保護者もいるようです。
ぎりぎりになってからお金を工面して支払いをする人、
なるべく早めに支払いを済ませてしまう人、
毎度ながら、ケニアにも日本にもいろいろな人がいるなあと思います。

そんなこんなで、今月のキラキラ、ケニアの事情を、
気の向くままに書いてまいりました。

お互いに、健康と安全に気を付けながら、
最高の年末年始が迎えられますように。

相原 記


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by kjkirakira | 2014-12-04 14:41 | 現地で 全般・他