アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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<   2014年 02月 ( 10 )   > この月の画像一覧

2014年2月28日(金)、
キラキラ保育園の園庭を会場に、
保・小合同の3月生まれさんたちのお誕生会を催しました。

9時半、小学1年生60人が保育園に到着。
1時間目の授業を終えて園庭に出て来た保育園児たちとともに、
園の30メートル四方の狭い敷地は大盛況。

昨年まで100人の園児たちだけのお誕生会で、
とてもスムーズにやっていましたが、
今年からは小学生も含めた160人規模のお誕生会だけに、
毎回四苦八苦、試行錯誤、
人数が多いだけに、一つ一つの動作にも時間がかかります。

おかげで、写真もしっかり撮れず。
3月生まれさんたち(保7人+小6人)だけの集合写真も撮れず。

配置につくこどもたち。

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3月生まれの兄ラマダン(小1)と妹ウムアイマナ(年長)

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3月生まれの妹サカイ(年中)と兄ダニエル(年長組、サカイの左)、
従兄2人と遠縁の女の子2人。

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お誕生会の終盤で、みんなジュースを飲みました。
そのジュースを、会が終わってからようやく飲んだのですが、
何故か、人生でこれまで飲んだジュースの中でも、
思い出に残るおいしさと甘さ、でした。


この日は月末。
朝から夕方まで、保育園や小学校での、
諸々の支払いの整理に追われました。
先生方の給料であったり、
食材供給者であるママさんたちへの精算であったり、
制服を縫う洋裁職人さんたちの賃金であったり。


夕方4時、放課後の小学校に集まって、
月末の職員会議です。

今回も有意義なディスカッションができ、
一人一人、キラキラの一員としての
役割、立場、責任、誇り、喜びを再確認しました。

後列左より、
マーティン先生(年中組)、ブライアン先生(年長組)、
ジャシンタ先生(園長・校長)、パトリック先生(1年B組)
前列左より、
ケジア先生(年少組)、ジョイス先生(保育園調理)
ポウリーン先生(1年A組)、ジュリアナ先生(小学校調理)

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私も含めて完全な全スタッフの集合写真。
撮影者は何とノゾミ・アイハラ(年中組)。

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会議後は、一人一人に給与支払い。
今月から、全員の給与が少しずつ上がっており、
中には明らかに微笑む先生も。


その後、みんなでブライアン先生のご両親のお宅へ。

ブライアン先生のお父さんが、
ここ数か月、重い病に伏して入退院を繰り返し、
長男で、家族の中で比較的学歴のあるブライアン先生は、
お父さんの入院時や退院時などにキラキラを欠勤して、
遠くの病院まで出かけたりしていました。

ブライアン先生の妹のメティアンは、
2005年にキラキラの年長組に在籍していた子であり、
昔からそのご両親は知っていました。

暗く小さなマニアッタ(マサイの伝統家族)の中で、
ベッドの上に伏したきりで、歩くこともできず、
呼吸も苦しそうにしているお父さん。

私たちのお見舞いが、励ましになったようで、
私たちも行ったかいがありました。


2月病(日本の5月病に相当)の危機を乗り越え、
何とかみんなで前向きな姿勢を崩さずにやって来れた2月、
無事に終了して感慨もひとしおです。
3月も、新たな進化を目指し、
みんなで協力し合って、何事にも取り組んでいきたいです。


K.A.記


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by kjkirakira | 2014-02-28 23:50 | 現地で 保育園

園児の家庭訪問

時々こどもの家庭訪問をします。
家庭訪問には何らかの理由があり、
それなりによく行く家庭と、
全く行かない家庭とがあります。

今日行ったのは、
2005以来ほぼ毎年キラキラに園児がいる大家族の集落。

2005年、セレウ、ンデテイ
2007-2008年、ティピラ
2010-2012年、トゥンベネ、カイヤンガ、メオリ、コンチェラ、ケイス
2014年、イアン、パナイ、ペネティ、アグネス

集落はオロック山の麓にあり、
キラキラ園児の居住地域としては、最西端。
ナマンガの繁華街を突っ切って、
毎日3㎞くらい歩いて通って来るのです。

最後に訪問したのが4年くらい前。
今回、久しぶりに彼らの生活ぶりがどう変化したかを見たいと思い、
イアン、パナイ、ペネティ、アグネスの下校時に、
イアンのママが迎えに来たのを待ち構えて、
我が娘ノゾミとヒカリも同伴して、
一緒に行ってみました。

再開発で商店や車両が増えてにぎわっている繁華街を経て、
かつてナマンガのスラムと呼ばれたキチンジオ地区を通り抜け、
新築の家々が立ち並び、まるで今まで来たことがないかのような地区を通り抜け、
みんなで仲良くぞろぞろ歩きます。

左より、ヒカリ、アグネス、ノゾミ

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途中、ナマンガ公立小学校からの下校途中の、
キラキラ卒の、カイヤンガ、メオリ、コンチェラに遭遇。
彼らはみんな従兄どうし。
それぞれの弟で、キラキラ園児の、イアン、パナイ、ペネティと一緒に、
みんなでぞろぞろ歩きます。

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そして、彼らの集落に到着。
案の定、昔ながらのマニアッタ(マサイの伝統家屋)は既になく、
その次の世代の泥壁の家がそれなりにしっかりと建ち、
さらに、次の世代の土レンガの家や石レンガの家も建てて、
水が豊富で緑が豊かな山麓で、
街の喧騒とは一線を画して、
平和に暮らしていました。

より快適な家を建てて住むというのは、
ナイロビなどではここ10年くらいの、
ナマンガではここ数年の傾向です。

世界レベルの経済競争が、
アフリカの田舎町ナマンガにも、
このように反映されてきているのです。

コンチェラとペネティのお父さんに、
ぜひに、ぜひにと、お茶代わりの牛乳をごちそうになり、
久々の生の牛乳に、舌鼓を打ちました。
(後で家に帰ってから少しくだしました…)

ノゾミとヒカリを連れての帰り道、
つい先日洪水の被害に遭ったソウェト地区の近くを通り、
その惨状が生々しく残っている現場を遠くから眺め、
非常に残念な気持ちになりました。

というのは、この洪水被害は完全な人災!
ナマンガの再開発とナイロビ~ナマンガをつなぐ幹線道路の整備工事を請け負っている中国企業が、
順調に工事を進めていたのですが、
噂によると、ケニア政府関係者たちの汚職・贈収賄によって、
工事担当者たちに十分な給料や経費が払われず、
中国人たちがやむなく工事の休止を決定し、
工事が中途半端でほったらかしてあるのです。
従って、治水のためのトンネルも橋も側溝も中途半端。
そんな状況下で、オロック山から下って来た雨水の激流が、
それなりの人口を抱えるソウェト地区を直撃したのです。
多くの人が財産を失い、
一人、亡くなってしまいました。

神様、あなたは真実をご存知です。

山麓の集落に住む彼らは、貧しい暮らしながらも水が豊富でただ同然。
私たちの旧家は、水道局の管理がずさんでほとんど水が出ませんでした。
キラキラ本部と小学校は、給水車から水を買うため水代がややかさんでいます。
ソウェト地区や、多くのナマンガの畑では、今回の大雨で大打撃。
20110311の地震後の津波。
この度の40年ぶりの大雪。
ソチの氷の上で最低点と最高点を取った浅田さん。
インドネシアでダイビングしていた方たちの水難。

私たちは、水と大地の上で生きている地球人です。
ここナマンガでも、日本でも、世界中でも、
正直に生きる人たちの上に、水の恵みが豊かにありますように。


K.A.記


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by kjkirakira | 2014-02-21 23:54 | 現地で 保育園

スタッフの重用

キラキラ10年。

初めのうちは、
コーディネーターである私も、
園長であるジャシンタ先生も、
こどもをいかにして能力付けるかに重点を置き、
ある程度の成果を上げてきました。

それに伴って、
保護者の皆さん、
コミュニティーの人たちの理解も深まり、
皆さんの能力向上にも寄与してきました。

一方で、スタッフたちの雇用には、
さんざん泣かされてきました。

努力しない、
学習しない、
欠勤が多い、
長続きしない、
応用力がない、
献身しない、
給料泥棒、
保育園の物がなくなる、
スタッフの私物がなくなる、
こどもへの暴力、
何考えているかわからない、
など。

しかし、何とか忍耐し、
本人の辞職、または、予め同意した雇用期間満了以外で、
誰一人としてやめさせることなく、
各自がそれぞれの時期に離職していきました。

ケニアの物価上昇に伴って、
年々給料を上げていき、
頑張っている先生にはそれなりに待遇も改善し、
一生懸命尽くしてまいりました。

とはいえ、
上司が下司に過度に期待し、
下司が上司のために身を粉にして尽くすという、
侍や企業戦士の倫理観が基盤となる日本で青年時代を送って来た私にとって、
植民地支配のトラウマから逃れ真なる解放を夢見つつ、
各自のペース(ポレポレ=ゆっくり)を大切にするアフリカの田舎にあって、
スタッフたちへの要求や不満も極端に多くなり、
少々無理を強いてきたのかもしれません。

いずれにせよ、
こどもを能力付けることと大きく異なり、
大人を能力付けることは、
相当難しいと実感してきたキラキラの10年でした。

キラキラは徐々に徐々に拡大傾向にありましたが、
2013より、その拡大が一気に一段階上のレベルに到達しました。
大建設と、保育園と、小学校と、
全てを同時に進行させていくためには、
私とジャシンタ先生だけではとうていやっていけません。
スタッフたちにある程度任せ、根気よく指導し、信頼し、
最終的には責任を負うという態度が必要です。

ということで、最近は、
こどもたちに直接関わる時間が大きく減り、
スタッフたちに直接関わる時間が大きく増えています。

☆☆

先日、スタッフたちにある仕事を依頼しました。
いつも日本の支援者の皆さんにお配りしている、
こどもたちのお勉強ノートの作成です。

年中組のマーティン先生、
年長組のブライアン先生、
1年生のパトリック先生とポウリーン先生に、
それぞれのこどもたちの数だけ紙を渡し、
こんな感じでこどもたちに書かせたり描かせたりという見本を示し、
期限を決めて、やってもらいました。

ところが、
かなりゆとりをもって決めたはずの期限に間に合わなかったり、
クラスのこども全員分がなく1枚か2枚か3枚欠けていたり、
結果はさんざんだったのです。

上司から任された仕事は、
上司の期待を超えるくらい完璧にこなすべきと信じている私にとっては、
今回の一件では相当考えさせられました。

しかし、期限のさらに1週間後になっても、
1年生の分がまだ完璧にできていなかったことを知り、
「今日中に」と容赦なく先生たちに要求し、
「今日欠席している児童の家に押しかけてでも紙を回収するように」
と指示しました。

ケニアの若者は、
幼少期を貧しく厳しい環境で過ごしてきた割には、
職場でたたかれ弱いところがあり、
「こんな厳しい要求をされた先生たちは、明日仕事を無断でやめるかも」
と案じていました。

しかし、普段温厚?な私が容赦なく「今日!」と言ったことで、
恐らく自分たちの失敗を認め、謙虚になったのでしょう。
その日の夕方、欠席児童の家々を回って、
最善を尽くして集めて来てくれたのです。

でも、高校を出てすぐかほんの数年社会経験をした程度の若者は、
日本でもアフリカでも、社会的常識に欠けるのは当然です。
自分自身も20代の頃はそうだったのです。
ですので、
若い先生たちの失敗を追及するあまり激怒するのではなく、
原因を見極めて対策を練らなければなりません。

失敗は大きく分けて2つ。
①期限の厳守が甘い
②人数などの最終チェックが甘い

文化的なものもあるでしょう。
しかし、よほど難しい仕事ならやむを得ませんが、
簡単な仕事でいちいちこの類の失敗を繰り返してほしくありません。

原因は、幼少の頃からの教育、
とくに算数の教育の未徹底にあると分析しました。

人生、とくに何らかの仕事をするときの姿勢には、
数学的考え方が必要です。

①期限に関しては、
与えられた仕事の時間配分をしっかり計画し、
余裕を持って期限に間に合うように行い、
期限の前に一度提出するようにし、
修正が必要だと指摘されたとしても、
再提出がその期限に間に合うようにする、
という計画的な思考と行動が必要です。

②数の最終確認に関しては、
与えられたときの仕事数(紙の枚数)と、
提出するときの仕事数(紙の枚数)とをしっかり確認し、
仕事を完璧にこなしたことを確かめ、
万全を来した状態で上司に提出することが必要です。
算数の簡単なテストでも、
短時間で全問題が解けたとしても、
残り時間を使って2度3度と確かめ算をすることで、
確実に100点が取れるのです。

ケニアの学校は試験・試験・試験ばかりで、
こうした数学的思考を養うための教育がなされていないのは事実です。
一人のスタッフに問題があるなら、
彼自身の問題といえるのでしょう。
しかし、
複数のスタッフが同様の問題を抱えているなら、
社会全体の問題ということになります。

もし、キラキラのスタッフたちにこれらが備わっていないとしたら?
こどもたちの宿題をその日の夕方までに準備できない、
1人か2人か3人の宿題ノートの処理を忘れてしまう、
試験後の採点や集計に延々と時間がかかる、
1人か2人か3人の試験用紙をどこかに置き忘れたり紛失してしまったりする、
鉛筆が紛失する、
ノートが紛失する、
食器が紛失する、
こどもが1人いなくなっても気づかない、
お金を払ったか払わなかったかわからなくなってしまう、
などの支障が生じてしまうことでしょう。
現にこうした支障が日々生じています。

リラックスして何もしないでいて、給料だけもらえるわけがない。
給料をもらって何かをやるプロだったら、多少の困難は乗り越えていかなければならない、
しかし、こういった考え方が行き過ぎると、
パワハラだったり、独裁者による植民地支配になったりしてしまうのですが、
最低限のプロ意識と向上への努力は必要です。

失敗をリカバーしようとして、
夕方遅くまで家々を転々として頑張った若い先生たちの中に、
仕事に対する従順と敬愛と献身を見ることができて、
不幸中の幸いでした。

現在のスタッフたちを能力付けることと、
保育園と小学校での指導によってコミュニティー全体を能力付けることが、
キラキラの使命であります。

☆☆

さて、ギタウ先生が、今月初めに辞職しました。
理由は、公立小学校の教師として採用されることになったから。

公立学校教師の給料と、
公立以外の学校の教師の給料とでは、
雲泥の差があるのです。
この差は、たとえキラキラがどんなに頑張っても、
埋めることのできない差なのです。
しかも、公立学校の先生方の職務態度は、
それ以外の先生方に比べて、
リラックスしていてのん気なもんです。
一度公立に採用されると、
職務態度の怠慢が理由で解雇されることは滅多にないからです。

ケニアという国は、
能力が高いはずで、
本来たくさん仕事をして国民のために尽くすべきはずの、
政治家・公務員・公立の医師、公立の教師らの給料がやたらと高いだけで、
その給料に見合った仕事をしない、
逆に、
私立セクターの労働者たちは、
少ない給料でたくさん働かざるを得ない、
という、ねじまがった現状があるのです。

ということで、ギタウ先生の栄転?に対しては、
「おめでとう、良かったね」と言って送り出したのですが、
内心複雑な思いでいっぱいでした。

で、副園長+副校長の立場だった彼の離職により、
大きな欠員が生じました。
この春の私たちの一時帰国に向けて、
現地キラキラの自律運営体制をつくりつつあった時期であり、
ギタウ先生の役割を大いに期待していただけに、
大きな痛手でした。

新たにふさわしいスタッフを雇うべきか?
しかし、新規にスタッフを雇ったとしても、
その有能さ、謙虚さ、正直さは、短期間では見抜くことができず、
指導にもある程度の時間がかかってしまいます。

考えた末、現在のスタッフの一人一人を重用し、
仕事を分散させることが現状での最善な方法だと判断しました。

そこで、一人一人のスタッフに新たな仕事を説明し、
そのやり始めを指導したり監督したりして、
スタッフ会合で「一人一人がそれぞれの分野での責任者であり指導者である」ことを確認し、
新体制を構築しました。

その見返りとして、
今月より全員の給料が少し上乗せになり、
数か月後に再評価してさらに給料を上乗せするつもりです。

これで、当面はうまくやっていけると確信しています。


【保育園部門】

マーティン先生:収支管理、園児の出欠管理、給食記録
ブライアン先生:スタッフの出欠管理、ノートとボールペンの管理、試験の準備、お誕生会
ケジア先生:朝夕の送り迎え、罰金管理、月間報告書
ジョイス先生:時間割管理、電話連絡
守衛のサムくん:水道料金支払い
週番の先生:日誌記録、朝礼・夕礼、清掃、体育・遊び

【小学校部門】

パトリック先生:収支管理、児童の出欠管理、試験の準備、お誕生会
ポウリーン先生:スタッフの出欠管理、日誌記録、給食記録、ボールペンの管理、電話連絡
ジュリアナ先生:保・小の現金管理、水供給、保・小の電気料金、郵便局
週番の先生:朝礼・夕礼、清掃、体育・遊び


とくに、お金に関する役割を担っていく、
マーティン先生、パトリック先生、ジュリアナ先生が最重要です。

キラキラが年々拡大していくために絶対必要であるスタッフたちの活躍。
大きく信頼し、期待していきたいと思います。


K.A.記


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by kjkirakira | 2014-02-19 17:40 | 現地で 全般・他

折り紙の応用

2014年2月15日(土)、
この日の土曜補習教室でも、
折り紙の首飾り作り。

みんな、慣れて来て、
手つきがスムーズです。

ということで、
一部の上級生たちに、
はさみを持たせて折り紙を切らせてみました。

はさみの受け渡しは、
刃の部分を持って、
慎重に相手に渡し、
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
と確認し合うこと。

はさみで切るときは、
てこの原理を最大限に活用すべく、
大きく開き、大きく切り、
目標を遠くに設定してまっすぐに切るようにする。

そして、首飾り以外に、
いろいろと応用させて、
各自それぞれの作品を作ってもらいました。

カレチェ(4年生女子)は、
頭飾りと首飾り。
カンバ女子でですが、マサイ女子の様相です。

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ブルノ(4年生男子)は、
ぐるぐるの頭飾り。
カンバ男子ですが、マサイの花嫁のようないでたちです。

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他には、腕輪、足輪、指輪、腕時計、携帯電話、などなど、
いろいろなものをそれぞれに工夫して作っていました。

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ケニアの学校や補習教室というと、
国・算・英・社・理の5教科(ケニアの場合の「国語」はスワヒリ語)ばかりなのですが、
頭と手指を使う創作活動を積極的に繰り返すことによって、
普通の5教科の学習意欲やレベルも高まるということを、
キラキラ土曜補習教室で証明して見せることができたら最高ですね。


K.A.記

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by kjkirakira | 2014-02-15 21:54 | 現地で 小学生支援

本日の土曜補習教室

本日2014年2月8日の土曜補習教室は、
15人のこどもたちとともに、
課題の学習、折り紙の首飾りの作成、
ナイロビ在住日本人のTさんご一行さまの訪問歓迎、
昼食、掃除、といった感じで、
一定の緊張感と、
楽しみとわくわく感とをもって行われました。

保・小合同お誕生会のための、
折り紙の首飾り作りです。
みんな仲良く和気あいあいと、
助け合いながら行います。

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こういった工作を繰り返すことで、
手先が器用で、物造りの基本がわかる、
現地にあってユニークなこどもたちの育成を目指しています。

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みんな、「コンニチワ」「アリガト」でごあいさつ。

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日本の関東地方は大雪だそうで、
交通や業務、生活や健康に支障があった皆様には、
心よりお見舞い申し上げます。

こちら、暑い乾季の真っただ中で、夕立が何度か降って、
一息入れているところです。

良い週末を!


K.A.記


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by kjkirakira | 2014-02-08 22:10 | 現地で 小学生支援

新!PTA役員会

2014年2月7日(金)、
キラキラ新章初となる、
キラキラ保・小合同のPTA役員会を、
小学校の教室で行いました。

16時開始のところ、
5分前くらいから土砂降りの雨。
トタン屋根に雨がぶつかる音で、
全く会話も成立しません。

アフリカの人たちは、
こういう状況に慣れているので、
しかたない、という感じで延々に待ちます。

いつしか雨は、ひょうに変わり、
トタン屋根に穴が空くのではないかとはらはらどきどき。

雨が一段落したところで、
30分遅れで会議の開始です。


① 小学1年生たちが毎朝保護者同伴で登校するという規則について

小学生になったのだから、そろそろ各自・各家庭の判断にゆだねた方が良いとする意見
小学1年生だけの学校であり、新設の学校であるため、まだ教師も保護者も地域社会も不慣れな時期だけに、同伴義務があっても悪くはないという意見


② 小学校(本校舎)建設のための政府からの土地供与を取り付けるためにPTA役員会で何をすべきか、について。

ナマンガの代議士に声をかけ、一度キラキラのPTA総会に参加してもらい、キラキラのこどもたちも見てもらい、アピールする。
さらに、80㎞離れた県庁にいる県知事に、保護者20人くらいで会いに行き、この件が本気であることをアピールする。


③ 小学校建設のための募金について

募金する口約束だけでまだ払っていない保護者へ、督促状を送る
来年以降、園児と小学生全員、建設費用の一端を義務化する方向で話を進める


④ PTA役員会の役職について

当面、従来の役職を継続する
会長:サリンケ氏(マリオンの父)
書記:ジャシンタ先生(ノゾミの母)
会計:ンキシロ氏(サムエル・クレイの母)
副書記:メティアン氏(リネットの母)


⑤ PTAの顧問について

キラキラの保護者のうち、公務員、地域の有力者、小学校の教師など、
各種の事情に詳しく、人脈や人望がある人たち
とくに、地元公立AIC小学校のベテラン教師であるンボヤ氏(ビクター・ンブルの父)が推薦された


⑥ キラキラの銀行口座について

来年1月以降、保・小の学費支払いを、キラキラの銀行口座あてに振り込む形に移行させる
その口座は、4年前に開設したケニア商業銀行KCBの口座を継続させる


この日の会議は、役員18人中11人の出席。
突然の土砂降りで、立ち往生となって来られなかった人も何人かいた模様。

閉会後、みんなで撮影。
キラキラ史上初!唯一の、貴重な、PTA関係の集合写真!!!

後列左より、
・サイトティ&マセト&サナエック&コイシキル&キパトンの父
・イボンヌの父
・マリオン&アイサックの父
・シンディ&エミリー&サムエル・クレイの母=ジョアンの祖母
・ノゾミ&ヒカリの母=ジャシンタ園長+校長
・キャサリンの母
前列左より、
・トーマス&サムエル・ムエンドの母
・アラン&リネットの母
・アビガトニの母
・ラザロ&ジョシュアの母
・キマリ&ハンナの母

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キラキラのため、コミュニティーのために愛情をもって献身する、
とてもとても強力な、キラキラの防壁でもあり、先陣でもあります。

いずれ、この人たちおよびその後継者たちが、
キラキラを自立運営していく日を、
私や日本のキラキラ支援者の皆さまが、
目の当たりにできますように。


K.A.記


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by kjkirakira | 2014-02-07 23:23 | 現地で 小学校

2月生まれお誕生会

キラキラ保・小合同のお誕生会第二弾、
2月生まれさんたちのお誕生会の日がやって来ました。

ケニアは真夏の乾季。
暑い暑い暑い。
ちょっとでも日向で過ごしていると、
熱疲労でくらくら。

こどもたちにも、
セーターや上着を早めに脱ぐよう指示したり、
飲水を促したり、
日陰にはいるよう促したり、
健康管理が大切な時期です。

そんな炎天下の中ですが、
保育園児みんなでぞろぞろと歩き、
小学校の敷地までやって来て、
またまた大大大集合です。

予め、小学1年生たちが、
誕生月ごとにまとまって、
園児たちの到着を待っていました。

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これから保育園児を誕生月ごとにグループ分けしようというところ。

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みんな教室に入り、
誕生月ごとにまとまって腰かけます。

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前回の1月生まれ誕生会の時は、
初めてで小さい子たちが飽きないよう、
その後のPTA総会の準備に支障を来さないよう、
大急ぎでやりました。
そのため、写真撮影すらする暇がなく、
今回ようやく撮影できました。

1月生まれさんたち。
後列(1年生)左より、ブライアン、エゼキエル、エバリン、アルフォンス、チャリティ
前列(園児)左より、マーシー、ベロニカ、ダイアナ、パナイ、シャドラック、エゼキア

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今回の、2月生まれさんたち。
後列(左に園児2人、右に1年生3人)左より、ウムアイマナ、ミレイ、ザブデニス、ビクター、タイラ
前列(園児)左より、ワリダー、モーガン、ビンリー、レマラペ、カレン、モーセス

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右より、ミレイ(8歳・年長組)、レマラペ(6歳・年長組)、ダニエル(4歳・年少組)
同じお父さんから生まれた、3人とも腹違いの兄弟です。
マサイの田舎の方に行くと、まだ一夫多妻があるのです。
保育園に入るために、田舎からナマンガの町に出て来て、
お祖母ちゃんと暮らしながらキラキラに通っています。

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モーセスとそのお母さん。
保育園から3㎞離れたマサイの集落に住んでいます。
昨年9月にT沢先生たちと一緒に私も訪問しました。

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この日の給食は特別に米飯と肉入りのおかず。
この程度の食事で大喜びのこどもたちです。
すっごく時々だからこそ、インパクトがあって良いのです。

1年生たちは、校舎沿いの日陰で食べました。

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保育園児たちは、教室の中で食べました。

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保育園児用の食器は、この日だけ保育園の方からわざわざ持ってきました。

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みんな大喜びで楽しく過ごしていましたが、
暑くて暑くてみんな疲れなかったかと心配です。

でも、自分の子供時代のことなどを思い出すと、
真夏でも普通に遊んでいたし、
子供って、意外に柔軟でたくましいのですよね。

明日も元気なみんなと会えますように。


K.A.記

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by kjkirakira | 2014-02-05 23:16 | 現地で 小学校

マリアの引越しと転校

マリア(仮名)

2001年5月生まれのほぼ13歳。
しかし、発達度合いは9歳程度。

エイズ・ウイルスに母娘ともに感染しており、
まだキラキラ保育園の年中組に在籍していた2008年頃には、
瀕死の状態を繰り返していました。

このウイルスに感染している人口は、
ナマンガでは感覚的に10%程度。
小さいこどもへの感染は、
主に母子感染によるもので、
これも10%程度。

まだまだ偏見があり、
エイズそのもので死ぬのではなく、
偏見に満ちた町の人たちからの様々な攻撃によって死ぬ、
と言われているくらい。

様々な攻撃、というのは、
噂話であったり、中傷であったり、
村八分であったり、いろいろです。

医療ももちろんなのですが、
それ以上に、教育や宗教を通じた、
人々の道徳や倫理の向上が求められています。

キラキラにも、10人に一人くらいの割合で、
「多分?」と想像できるこどもたちがいます。
発育が遅れていたり、頻繁に病気にかかったり、
保護者の方がやけに昼食や厚着にこだわったり。

しかし、保護者の皆さんは、
なかなか本当のことを言ってくれません。
私はキラキラのコーディネーターとして、
全ての個人情報に関して守秘義務があり、
それを全うしている、
ということを暗に公表しても、
このウイルスに関してはそう簡単に口を開いてくれないのです。

それも納得できます。
というのも、
ナマンガの医師たちや看護師たちが率先して、
このウイルスに感染している人たちの情報を漏らして、
噂話に加担しているくらいに、
ナマンガの状況が悲惨なのですから。

そうした中で、
後にも先にも唯一真実を告げてくれたのが、
このマリアとそのお母さんだったのです。

マリアが検査で陽性と言われた後、
お母さんも検査で陽性と言われ、
それを私に告げてくれた2009年1月以来、
母・娘・キラキラ(といってもほぼ私一人)との三人四脚が始まったのです。

その後、
月一でナイロビの国立病院に通い、
日々の服薬を欠かさずにしていました。

二転三転を繰り返しながらも、
母娘ともに健康状態は大きく改善し、
母の生活も改善し、
子育てに対する姿勢は真剣さを増し、
娘マリア本人もそれを自覚し、
発育が遅く耳が聞こえず耳が臭うことでいじめられてもそれに耐え、
精神的に悲惨な状況にあるナマンガで、
健気に生き延びてきました。

ある時、土曜補習教室で、
マリアのことをいじめていた少年マンデラを、
思い切りぶったたいて思い知らしめたことがあります。
マンデラは、「将来大統領になる」と言うくらいに、
責任感が強く、努力家で、
小学校のクラスでも当時級長をしている少年でした。
マンデラはおいおい泣いて、
「もう決していじめはしない」
と誓ってくれました。
その後、マンデラは前にも増して好青年になり、
キラキラ補習教室は平和的にみんな仲良く経過しています。


さて、昨年の12月、
「コージ先生、お話があるんですが」
と母に呼び止められ、聞いてみると、
ナイロビに引っ越したいのだそう。

自分たちの人生の話なので、
私から引き留める必要はありません。
「故郷から離れた土地で、生活を成り立たせていく覚悟と自信はあるのか」
それだけ確認しました。
(この質問、11年前にアフリカ移住を決意した私自身に対する問いでもありました)


1月の初め、故郷ナマンガに帰省していた母と面談し、
ナイロビでの新生活が順調に経過していること、
マリアの転校先の小学校も確保できたこと、
ナイロビ郊外で自然環境がとても良い所で暮らしていること、
生活費などを支援してくれるパトロン(恋人?愛人?)がいること、
母自身が小さな商売や小さなバイトをして少しずつ稼いでいること、
他いろいろな報告を受けました。

支援者(パトロン)ができたのなら、
一気に支援をやめれば良いのに、
という考え方もあります。

しかし、
その支援者がいつ撤退するかわかりません。
一時の気まぐれかもしれません。
キラキラは最初から全てを背負う覚悟でしたので、
最低限責任を持ち続け、
最後まで見届けていく必要があります。


ここで、少しだけ個人的な話をいたします。

私のワークパートナー(活動仲間)であり、
ライフパートナー(伴侶)でもあるジャシンタ先生は、
自分自身が貧乏であったにもかかわらず、
ずっと前から遠縁の孤児たちを自費で養ってきました。

それを噂で聞きつけてやって来た、
孤児の何人かの亡き父親の元同僚たちは、
大いに感動し、
物資・資金の援助をする決意をしました。
それは、元同僚の孤児たちを支援するのではなく、
善意に満ちたジャシンタ先生を支援するという意味合いでした。

その後、ジャシンタ先生は私と結婚し、
その支援も途絶えるかに思われました。
というのも、
私が金持ちだろうが貧乏だろうが、
こちらの人々にとってみれば、
外国人は間違いなくお金を持っている存在なのであり、
そうした存在がついているなら、
もはや支援しなくても良いだろう、
と考えるのが自然だからです。

しかし、その人たちは違いました。
全くぶれませんでした。
決意した通りに、
現在に至るまで支援を続けています。

約束を全うしない、
約束を全うできない、
そんな人たちが多い中で、
その人たちは、まさにアフリカの宝です。

もちろん、私たち家計でも、
部分的には孤児たちのための出費がかなりあります。
(このために私たちを個人的に支援してくださる、
日本のNさん、Fさん、Hさん、Oさん、感謝です)

しかし、その人たちの支援が大きいからこそ、
全てが可能になるのです。

ちなみに、私たちの孤児たちの支援・養育は、
最後の孤児がセコンダリー校を卒業する、
2016年末まで続きます。


よって、マリアに関しても、
母娘が私たちからの支援をいまだに必要としている以上、
私たちはぶれることなく、
一時の気まぐれや感情論で支援を一方的に中止することなく、
続けていく所存です。

しかし、いつまでもだらだらと、
ということではありません。

キラキラとしては、
母娘の状態が改善していくとともに、
年々支援を減額してきていました。

今年は月3600円程度、
来年は月2400円程度、
そして、5年以内に支援を終了できれば良いと想定しております。
エンディングが見えてきたのは良い兆しです。


マリアの件、募金の残高は当面十分にありますので、
心の中での応援を、引き続きお願いいたします。


昨年11月の補習教室で、マリア(手前)

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マリア(中央のカメラ目線)

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K.A.記


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by kjkirakira | 2014-02-04 17:36 | 現地で 特別児童
メリー・セエンダ。

1996年生まれの少女。
キラキラが支援する特別支援児童の一人。

家がきわめて貧しくて、
それでも健気に小学校を終え、
本人の切ないまでの熱い希望と、
多くの人の推薦を受けたうえで、
セコンダリー校進学の支援をすることに。

(2012年2月頃のブログ参照)
(2012年4月発行のキラキラだより参照)

テレビ番組「何故そこに日本人」でも、
私がメリーに学費を手渡しているところが写され、
メリー本人へのインタビューも写されていました。

支援開始当時は、
多くの日本の方々に共感していただき、
皆さん、それぞれに思いと心をこめて、
支援金を送ってくださいました。

改めて、メリーの支援者の皆さまに、
心から感謝申し上げます。


しかし、この度、
残念な報告をしなければならなくなりました。

いや、9割残念、1割は喜ばしい報告でしょうか。

メリー自らが、
キラキラからの支援を受けることをやめる選択をしたのです。

今日は、この経緯を説明してまいります。


セコンダリー校1年目(2012年)は、
試験の成績もクラスで五本の指に入るくらいに優秀で、
しっかり者で、級長にも選出され、
学校の先生曰く、「ベスト」な生徒だったようです。

変化は徐々に、
2年目(2013)の初め頃から始まっていました。

メリーがしょっちゅう遅刻する。
メリーの無断欠席が多い。
そんな噂を何度も小耳にはさみました。

能力のない実母にかわって、
何度も学校に呼び出されていたのは、
近くに住むおじさんやおばさんでした。

彼らも、なかなか本当のことを言ってくれませんでした。
メリーの悪いところを私に告げ口することで、
せっかくの支援の機会を逸してしまったら、
生涯自分たちが責任を負わなければならないということを、
危惧していたのでしょうか。

確かに、他人の話ではなく、
私としても、
メリー本人からの事実と真実の説明を必要としていました。

しかし、メリー本人に問いただそうとしても、
もっともらしい理由を並べ立てるだけで、
少しも本当のことを言ってくれませんでした。
ある意味、半ば知りつつも、
わざと騙され続けていたのです。

それに、こうした反抗期は、
十代後半の少年少女によくあること。
とにかく何とか通学しているのだから、
このまま様子を見ようと静観していました。

ある日、メリーがズボンをはいている姿が目撃されました。
ここナマンガのマサイの保守的なコミュニティーでは、
学校に通っている若い女の子が、
ズボンをはいて街を歩くことはタブーなのです。

キラキラ保育園の事務室にいる私に会いに来る時も、
ズボンをはいていることがありました。
普通のズボンだし、
今どきの文化では十分あり得る話なので、
じっと静観していました。

ある日、メリーの近所のおじさんからの電話で、
メリーが午前2時に帰宅する、といった話を聞きました。
彼氏でもできたか?いろいろ憶測しました。

ここナマンガでは、
学生が異性といちゃいちゃするのは、
即、妊娠→退学→出産→家計の負担となるので、
タブー視されています。

ある時、
学費としていくらいくらのお金が必要だと言って、
私の事務室を訪れました。
その根拠となる印刷物がなく、
「学校の先生か事務の人に、
支援者の人が正確な金額を知りたがっているからと言って、
一筆書いてもらって来て」
と指示しました。

その後、何日経ってもやって来ません。

しばらく経って、
試験の結果を記した通知票を持ってやって来ました。
そこにはしっかりと学費の金額が明記されていました。

後日、しっかり、キラキラがこれまで支援してきた金額が、
全て学校に納入されていたことを確認しました。

しばらくの期間、
「試験はなかった」という報告ばかりだったのですが、
実は試験もしっかり行われていたことが判明。
それも、1年目の最初の頃とは比較にならないほど、
散々な成績!
下から数えて五本の指に入るくらい。

それでも、嘘をついてでも体裁を取り繕うのは、
アフリカ的(いや、ナマンガ的かな?)文化でもあり、
一般的な十代後半の少年少女の自己防衛手段でもあると信じ、
静観し続けました。

2年目の終わり頃、ついに、
メリーにとっても学校側にとっても、
限界に達してしまったようです。

私のところに、メリーからの、
2年目の終わりの報告がないまま、
2014に入りました。

これまでずっと、メリー本人とその取り巻きに委ねて、
側面から脇役としての支援を続けてまいりましたが、
この1月、ついにジャシンタ先生が、
メリーが通うナマンガ・セコンダリー校の校長先生に会いに行きました。

そこで、全てが明らかになりました。

2年目の終わり頃、
学校でメリーがある事件を起こしました。

授業中、ロッカールームの方から携帯電話の鳴る音が聞こえてきました。
授業を担当していた先生がそちらの方に行き、
誰のロッカーから音がするのか確かめようとしたのですが、
わかりませんでした。

休み時間をはさんで、
また、携帯電話の音。
ついに端末が発見され、
そのロッカーの持ち主だった女子が職員室に呼ばれました。

もちろん、携帯電話の学校への持ち込みは校則で禁止です。

しかし、間もなく、その端末の持ち主はその女子ではなく、
それがメリーの物だったことが判明したのです。

極貧のメリーが何故携帯電話を持っていたか?
ナマンガでは、運良く携帯の端末を人づてで入手することはよくある話。
メリーの場合は、彼氏からの援助だったのかな?
それとも、知り合いのお古だったのか?

恐らく、休み時間の間に、
自分の携帯端末を、
他の女子生徒のロッカーにこそっと移し、
自分のものではないように偽装していたのです。

職員室に呼ばれたメリーは、
反省の色をこれっぽっちも見せずに、
大いに開き直って、
先生たちにぞんざいな口応えをしたようです。

そんなわけでメリーは、
校則違反と、素行が悪いという理由で、
保護者を伴って学校に来るまでの間の停学処分を言い渡されたのです。

保護者、といっても、
実母は全く能力がなく、
連れて行けません。

いつものおじさんやおばさんにお願いして、
一緒に先生方に謙虚に会いに行けば良かったのですが、
メリーは限界を感じたのでしょうか。
おじさんやおばさんに本当のことを言うことすらせず、
そのまま通学せずに2年目が終わり、
2014に突入したのです。

私はてっきり、メリーは入学時に、
校長先生や主だった先生方に、
自分は学費支援を受けているということを告げていると思っていました。
そのように私もメリーに支持しておいたのですから。

しかし、校長先生は、
メリーの学費が毎回しっかり払われることを不思議に思いつつも、
支援者の存在のことは全く聞かされていなかったとのことです。

校長先生いわく、何故に、
「ベスト(最良)」だった生徒メリーが、
「ワースト(最悪)」に落ちてしまったのか嘆きつつも、
家庭の極貧な背景を知り、
うなづいていらしたようです。

間もなく、メリー本人から、
私のもとに手紙が届きました。
2014年1月20日のことです。
その手紙も、人づてで渡ってきたものです。

そこにはこう記されていました。
(日本語訳)

☆☆

コージ先生へ
これまでご支援いただき、心から感謝申し上げます。
私から、あなたのご支援に対してお返ししたりすることは何もできないのですが、
生ける神様があなたとその関係の皆さまを、限りなく祝福してくださいますよう、
ひたすら祈るばかりです。
この度、失礼とは存じますが、
あなたから私へのご支援を中止してくださいますよう、お願い申し上げます。
重ねてお礼申し上げます。
神様の祝福がありますように。
メリー・セエンダより

☆☆

何の具体的な説明もなく、
ただただ感謝と祝福の言葉だけ。

これまで、メリー支援に関わってきた人たちに報告しました。

メリーの近所のおじさんたちや、
メリーの地域の長老たちは、
相当に驚いて、
メリーは何てことをするんだ!と。

すぐにでもメリーを説得して、
支援中止の選択を撤回させようという勢いでした。

また、メリーが卒業した小学校の校長先生も、
びっくりで言葉を失いました。

翌日、メリーをよく知るそこの小学校の先生が、
メリーの自宅まで様子をうかがいに行ったそうですが、
本人に会えず、
ただ、家族たちが何かを隠しているような、
私たち教育関係者がもはやつけ入る隙がないような、
そんな、悲しく、嘘と偽善で塗り固められた雰囲気を感じ、
深追いせずに戻って来たそうです。

数日後、メリーの近所のおじさんから、
ナマンガの北40㎞ほどのンガタタイクという町に、
メリーと一緒に行って来たという報告を受けました。

メリーは、
ナマンガ・セコンダリー校への復学が、
もはや難しいと悟って、
ンガタタイクのセコンダリー校への転校を決意したようです。

こうした転校の場合、
前の学校の学費をしっかり全納し、
何の後ろめたさもない状態で、
前の学校からの「転校許可証」を取得して、
それを携えて転校先の学校を訪ねるのが定石です。

メリーの場合、
学費はしっかり全納しており、
この点では何の問題もないのですが、
学校に行きづらい状態の中、
どうやってその「転校許可証」を手に入れたのか。

また、メリーはそのンガタタイクに住む親戚たちとねんごろに話し、
セコンダリー校の残り2年分の学費を援助してもらう約束をしていたそうです。
もっとも、これも嘘かもしれませんが…。

支援開始時に、メリーとの間に同意書を作成しました。
そこには、
「仮に今後資金面で潤い、
支援に頼らずに学費の支払いなどが可能になる場合、
支援を受けることをやめるようにする」
という項目がありました。

ナマンガでは、人の栄枯盛衰が激しく、
ちょっとしたきっかけで浮き沈みするのです。
極貧だったメリーの家庭が、
急に裕福になることもあり得るのです。
そうした場合、支援を続ける必要はなく、
良かったね、めでたしめでたし、ということで、
喜んで支援を中止できます。

メリーの名で集めた募金を、
メリーだけのために使い切らなきゃ、
といった会計の束縛もなく、
本当に支援が必要なこどものために、
臨機応変に転用できるのです。
(2010年のキラキラを支える会の総会で可決)

そういう意味では、メリーの選択は、
嬉しいことではあります。

しかし、素行不良で前の学校で問題を起こした彼女が、
環境を変えて更生できるのでしょうか…。

さらに、そのおじさんの報告では、
メリーの学費の出資者となるその親戚も、
懐事情がそれほど豊かではなく、
転校先のメリーの1学期分の学費を、
辛うじてやっとこさっとこ捻出していた、
とのことです。

アフリカの人、とくに、
識字率の低い地域の人たちは、
何事も楽観視して、
「何とか払えるだろう」くらいの軽い気持ちで物事を始め、
結局払えずに立ち往生したり、
借金を抱えたまま財産を取り上げられる、
といったパターンが多いのです。

この、メリーの親戚という人たちも、
このパターンではないかと思います。

そんな状況を目の当たりにして、
メリーに随行してンガタタイクまで行って来たおじさんは、
何とかキラキラからの支援を復活できないものか、
と嘆いていました。

ただ、キラキラの姿勢としては、
仮に今後、ンガタタイク・セコンダリー校の学費を支援するとしても、
メリー本人がやって来て、
これまでの嘘を全て撤回し、
事実と真実だけを自分の言葉でしっかり説明するという、
最低限の条件をクリアしてもらってから、
ようやく支援再開の可否を相談する座に着く、
ということになります。

メリー本人が、
支援の中止を選択・決意し、
私に直筆で手紙を書いてきた以上、
既に時は遅いでしょうが。


そんなこんなで、
メリーは今ではナマンガから40㎞離れたンガタタイクで暮らし、
そこのセコンダリー校に通っています。

卒業まであと2年。
金銭的に、学力的に、人間的に、
しっかりと全うして卒業にこぎつけられるよう、
心の中でだけ応援することになりました。

キラキラが小学校を新設し、これまで快調に経過し、
保育園の入園面談もすさまじい盛況さを呈し、
スコラやアブラハムやマリアがキラキラの支援を大事にする中で、
唯一、残念?汚点?ダウン?のメリーの嘘、メリーの選択です。

言い訳がましいかもしれませんが、
小学校や保育園といった大きなプロジェクトの運営と違い、
人の人生を支援するということは、
こうしたリスクを常に抱えており、
時には失敗することもやむを得ません。

逆に、今の失敗が後の大成功につながることもあり得るのです。

メリー自身の選択を尊重し、
キラキラはメリーから手を引かせていただきたいと思います。

仮に、将来メリーが後悔するようなことがあっても、
その後悔から必ずや大切なものを学び、
自分の息子や娘たちを正しく導いていくようになることでしょう。

また、重複しますが、
メリーの名で皆さんが提供してくださった募金の残金は、
これからセコンダリー校へ進学するアブラハムや、
将来的に支援することになるキラキラ関係のこどもたちのために、
ますます有効に使わせていただく所存です。

長文につきあってくださり、
ありがとうございました。

嘘のない、真実と真心をこめて、
お祈り申し上げます。
メリーを応援・支援してくださった皆様に、
神様の豊かな祝福がありますように。


キラキラ・プロジェクトコーディネーター
相原功志 記


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by kjkirakira | 2014-02-02 22:18 | 現地で 特別児童

補習教室との文通

本日の土曜補習教室。

朝7時ころから小学校の校庭で、
たくさんのこどもたちが騒がしく遊ぶ声が聞こえ、
嬉しいやら何やら、
複雑な心境に。

キラキラが高く評価されて人気を博していると同時に、
右にならえで、キラキラの真実を知ろうともせずに、
やって来る保護者やこどもたちが増えているのです。

補習教室にはそれ独自のルールと信念があります。
それにそぐわない子たちは、
家に帰さなければなりません。

結果、本日残ったのは10人。

新1年生のうち、
サムエル・ムエンドくん、
エンジェル・ムトキさん、
エバリン・ジャスティンさんの3人は、
数少ないチャンスをしっかりと自分の手でゲットし、
キラキラ補習教室のれっきとした一員になりきっています。

補習教室は毎回毎回やることが多く、
普通のお勉強に費やすのはせいぜい1時間くらいです。

本日も、休み時間の後は、
日本のとある団体からいただいた年賀状に対する返事描きを行いました。

黒板に、名前 名前 ?歳 男/女
などと書いておくと、
デイビッド ジョゴー 13歳 
と自分の情報を書く代わりに、
そっくりそのまま、名前 名前 ?歳 男/女
と書き写したりする子が必ずいます。
低学年の子たちは、しかたないですかね。

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たったの週一でいろいろなことをするために、
こうした機会に恵まれていながら、
なかなか落ち着いてじっくり描いたりできないのが難点ですが、
学校の勉強で教わらないこうしたことを、
少しでもみんなで一緒に学べることで、
有意義なレクリエーションタイムになっているのでしょう。

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では、また来週。


K.A.記


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by kjkirakira | 2014-02-01 20:43 | 現地で 小学生支援