アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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去る8月30日、
ミヤネ屋「世界電波ジャック」ケニア編をご覧いただき、
誠にありがとうございます。

その取材の様子をお伝えします。

**

3か月間の日本滞在を終え、空の旅を終え、
ナイロビの空港に夜降り立って、
ナイロビ市街地の宿に泊まり、
翌朝まだベッドから起き上がらないでいた時、
3か月間休眠していたケニアの携帯電話の第一声!

テレビ取材の依頼を受けてもらえないか、と。

夢うつつの状態で、OKの返事をしました。

実は、キラキラにとって、
テレビ取材の話はこれが初めてではなかったのです。

2007年、テレビ取材の話があり、
お断りしています。

2011年、突然電話で、
「明日ナマンガで取材を…」
と言われ、極めて急な話に、
「明日はちょっと…」とお断り。

そんなこんなで、キラキラ創立以来、
テレビには無縁だったのですが、
ほんの少し前、日本滞在中に、
「今度テレビ取材があったら受けても良いかな」と、
ジャシンタとも、
日本のキラキラを支える会の役員の方々とも、
話をしていたばかりでした。

そんな流れで、
今回のテレビ取材の申し出も唐突でしたが、
2つ返事で受け入れることにしたのです。


しかし、OKの返事をしたとたん、
鳴る鳴る携帯電話!
次から次へと具体的な要請。

ケニアに帰って来た翌日で、
まだナイロビで用事をこなしており、
まだナマンガも、家も、キラキラも、
この目で確認していないのに…。

準備期間があまりない中で、
大急ぎで私の両親への取材も済ませた取材陣は、
飛行機に飛び乗ってケニア入り。

そして、取材陣にとって、
ケニアの最初の遠征地がナマンガ。


2012年7月17日(火)


取材当日のこの日は、
私たちがケニアに戻って来てから、
まだ1週間しか経っていない日。

最初の週は、家の片づけなどに忙しく、
キラキラは毎日ほんの数時間くらいしか出勤せず、
テレビ取材の日に初めてのまともな出勤という状態。

従って、久しぶりに会う保護者の方々と、
「元気で良かったねぇ」と、
しみじみあいさつを交わしていたほど。

そう、「逆カルチャーショック」。
たとえ何年もケニアに住んで、
かなり地元になじんでいようとも、
3か月も日本にいて、現地を留守にして、
久しぶりに戻ってきた状態では、
まるで旅人、異邦人になった気分。

自分たちのキラキラも、
まるで自分たちのキラキラではなく、
恐る恐るお邪魔しているお客さん気分。

そんな状態で、今日一日、
有意義な取材をしていただけるかどうか。
キラキラの真実が伝わるだろうか。
不安で、忙しい1日が始まりました。


取材陣による保護者へのインタビューも、
絶好のタイミングを逸し、
シャイで無口な保護者たちに的中。
あまりにも…だったので、
後でたまたま通りかかった、
活発な保護者の方をつかまえて、
改めてインタビューのやり直し。

園児たちへのインタビューも難航。
普段は私やジャシンタたちと、
スムーズにお話しできる子たちなのですが、
3か月間の留守の間に、
明らかに「コミュニケーション能力」が落ちており、
私たちへの態度もやや他人行儀になってしまっており、
インタビューに答えるという形式が難しいこともあり、
ほとんど何も言えない、
まるで言葉が通じないこどもたちのように、
カメラの前ではにかんでばかり。

園児たちだけではありません。
私自身がそうでした。
いやいやいや…、
頭の中はまだ日本にいるわけですから、
ケニアのことを尋ねられても、
ろくな答えができるわけがありません。

私だけではありません。
ジャシンタも、久しぶりに教室に入って授業をしても、
普段慣れ親しんでいる園児たちともしっくりといかず、
会話のキャッチボールはスムーズにいきません。

しかも、悪いことに、
この日はジョイス先生が急用で午前中欠勤。
私もジャシンタもまだ客人ムードで、
ジョイス先生すらいないキラキラは、
正直、いただけません。
きちんとすべき場面でめちゃくちゃになり、
躍動すべき場面でひっそりとしてしまいます。


いちばん大変なのは、
午後に街に出かけた時でした。

ナマンガの一般人って、
とっても大変なんですよ。
モラルが低い、視野が狭い、
どうでも良いことに聞き耳を立てて騒ぎ出す…。

ナマンガでは、カメラを向けられると、
発狂するくらい怒る人たちがいるのです。

街に入ってカメラを回した途端に、
まさにそんな人に出くわしました。

そこを、ジャシンタが、
毅然とした態度で、
「あんたを撮りに来たわけではない」
と撃退です。

幸い、街には至る所に、
キラキラの保護者たちやファンがいて、
加勢してくれます。

でも、もし私だったら、
テレビカメラに向かって怒る人を見た時点で、
「ここでの取材は中止しましょう」
と潔く撤退を促していたことでしょう。
だって、街の人たちの言い分も、
わからないでもないですから。

ナマンガでは、かつて、
「勝手にうちの子の写真を撮って!」
という理由で、訴えられて、
罰金を払わされた人もいるくらいです。

また、
「外国人は私たちの写真を撮って売りさばくんだ」
という考え方がしみついており、
容易に撮影に応じてくれる人はなかなかいません。

そんな状況の中、
根気強く街で撮影を続け、
友人知人を渡り歩いてインタビューしていった結果、
なかなか良い映像が撮れたと思います。


いったんキラキラに戻り、
下校時に、園児と、お迎えの保護者と一緒に、
歩いて一緒に帰宅し、そのお宅を訪問する、
という企画がありました。

私たちもまだ行ったことのない、
年少組男児ブライアンの家に行くことになりました。
しっかり朝のうちに、
ブライアンのお母さんと話をつけておいたのです。

予想通りの「貧しい」家庭。
家族の女の人たちが、
みんな十代で最初の子を出産。

貧乏に慣れてしまうと、
なかなかそこから抜け出せません。


もう一度街へ行き、
キラキラ園児の、マサイ族のお母さんたちが、
ビーズのアクセサリーを売っているところを撮りました。
ビーズのお母さんたちのほとんどがキラキラびいきです。
何の障害もなく撮影は進みます。

数年前、「ナマンガ」をインターネットを検索すると、
多くの日本人のアフリカ旅行記の記述がヒットし、
「ナマンガのビーズ売りの女たちの商売がしつこくてうるさい」
という、マイナスのイメージの彼女たちでした。

さて、何故ビーズ売りの彼女たちに商才がなく、
ただしつこくてうるさいだけになってしまうかというと、
背景には、識字率の低さと貧困とがあるのです。
根は優しい人たちです。


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夕方は私たちが生活している家での撮影です。
近所の人たちが、私たちの邪魔にならないように、
遠く離れて静かに井戸端会議をしていてくれています。

何気なく望に「のぞみ」と書く練習をさせて、
それを何気なくカメラにおさめてくれていました。
今回の取材の中で、
いちばん「自然」で「良い」映像となったと、
私的には思ったのですが…?

晩御飯は、何と鶏肉。
この日、鶏を飼っているお隣さんが、
私たちのケニア帰国祝いに、
一羽を捌いてプレゼントしてくれたとのこと。

…(言葉を失う)…、
どうしてこういう日に限って!

正直、取材で大忙しの日とあって、
美味しい貴重なご馳走(鶏肉)も、
ゆっくり堪能することができませんでした。

大忙しの1日はこれで終了。


翌朝、テレビ取材陣は、
ケニア国内の次の目的地に旅立って行きました。

翌日から、私はようやく本腰を入れて、
留守中3か月間のキラキラの、
監査、修正、問題解決の仕事に取りかかったのでした。


K.A.記


【追伸】

懸念材料はたくさんありましたが、
結果的に、素晴らしい映像に仕上がったと思います。

テレビ取材陣の皆さま、
視聴者の皆さま、
生出演の両親、
心よりお礼申し上げます。
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by kjkirakira | 2012-08-31 19:53 | 現地で 全般・他
日本の皆さま、

つい先ほど、
日本の読売テレビ(日本テレビ系列)、
ミヤネ屋「世界電波ジャック」コーナー
「ケニア編」の放送があり、
キラキラがめでたくテレビ初出演を果たしました。

私も、ジャシンタとノゾミと一緒に、
(ヒカリはまだ小さくてわからないので家でお留守番)
キラキラの事務室にて、
パソコンをネットにつないで、
皆さんと同時刻に放送を見ることができました。

現場での様子や雰囲気が、
うまく伝わったのなら幸いです。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

キラキラ・プロジェクト・コーディネーター
相原功志 記
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by kjkirakira | 2012-08-30 18:17 | 日本で 活動報告
キラキラを応援してくださる皆さま、

読売テレビ(日本テレビ系列) 情報ライブ ミヤネ屋、
世界電波ジャック というコーナーにて、
4回にわたり、ケニアが取り上げられます。

日本よりケニアに戻って早々の7月17日、
我がキラキラも、丸一日かけて取材を受けました。

私たちにとってテレビ取材は初めてであり、
キラキラや、私の生活が、どのように映し出されるか、
楽しみでもあり、不安でもあります。


情報ライブ ミヤネ屋
放送日時 毎週月~金 13:55~15:50
http://www.ytv.co.jp/miyaneya/index.html

世界電波ジャック ケニア編(15:00~30分間程度)
8月16日(木) 「マラソン大国の秘密」
8月23日(木) 「マサイ族に嫁いだ日本人」
8月30日(木) 「ケニアに保育園を作った日本人」→キラキラです!
9月06日(木) 「マサイ妻厳選!絶対に見たいケニアの絶景」
http://www.ytv.co.jp/miyaneya/world/192216.html
ただ、生放送ゆえに突発ニュースなどで放送日がずれることもあるそうです。

キラキラが放送される8月30日、お見逃しなく!


K.A.記
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by kjkirakira | 2012-08-27 17:08 | 日本で 案内・告知

少年アブラハムの現在

2012年5月5日、
キラキラの特別支援児童アブラハムのお父さんの訃報が、
日本に滞在していた私とジャシンタのもとに、
ジャシンタの甥っ子の携帯電話からのFBメッセージにより、
もたらされました。

**

アブラハムは1997年11月生まれ。
もうすぐ15歳の小学7年生。

(参照:キラキラだより2010年8月号)
(参照:キラキラ・ブログ http://kjkirakira.exblog.jp/12702775/)

アブラハムの実母は、2005年初めに逝去。
父子家庭となり、お父さんは大きなストレスを抱えていました。

お父さんは、その亡き妻の実家に、
花嫁料を全納していませんでした。
そのため、半ば奪われる形で、
アブラハムが亡き母の実家に引き取られて行ったのです。

そこで、アブラハムは、いったんは小学校に入ったものの、
家庭の事情でほとんど通学することができなかったといいます。

2006年の終わり、
アブラハムのお父さんは再婚します。
あまりにも早い再婚劇に、
ナマンガの人たちはあれこれ噂をしたものです。

2007年秋、
アブラハムはナマンガに帰って来ます。
その背景には、いろいろ事情があったようです。

それからが大変でした。
アブラハムのお父さんと、亡きお母さんが築いてきた家に、
転がり込んで来た、評判の悪い継母の下での生活。

アブラハムたちは4人兄弟姉妹。
兄、姉、アブラハム、そして弟。
年上の兄と姉は、年上なりに何とか辛抱し、
年下の弟は、年下なりにつつがなく暮らしていました。

しかし、戻って来たばかりで、
思春期にさしかかっていたアブラハムにとって、
それはなかなかなじめない生活環境でした。

アブラハムは家に居場所を見つけられず、
徐々に家出や非行を繰り返すようになります。

外や、誰か他の人の家で寝泊まりしたり、
ゴミ捨て場で、食糧の残飯や、金目のものをあさったり、
学校も休みがちになったり…。

それでも、学校での成績は良く、
常にクラス60人中トップ10を維持していました。

日本のMさんによる、アブラハム支援の申し出を契機に、
ナマンガの家から離してあげて、
全寮制の小学校に転入させてあげることにしました。

こうして、2010年1月、
めでたくナマンガの北70㎞のところにある
全寮制ビシル小学校の5年生として再出発しました。

その際、弟ダニエルも一緒に転校するかという話も出たのですが、
世間体を気にする継母によるストップがかかり、
お父さんもその継母の言いなりになり、
転校はアブラハムだけとなりました。

2010年には5年生として、
2011年には6年生として、
2012年には7年生となって、
ビシル小学校で一生懸命学校生活を送り、
休暇の期間だけナマンガの家に帰って来るというパターンで、
何とか順調に生活していました。

**

そして、2012年5月5日、
お父さんが亡くなってしまったのです。

長い間、体調が悪そうにして、
病院通いをしていたお父さんでしたが、
4月以降、体調が一気に増悪して、
ついに力尽きたのだそうです。

4月の頭、これから私が日本に行くという時に、
お父さんをキラキラの事務室に呼んで、
アブラハムのことでいろいろ話をして、
アブラハムの2学期分の学費を託した、
それが最後でした。

**

その後、アブラハムはどうなったか…?

喪の期間が終わり、
キラキラから託されたアブラハムの2学期の学費を、
恐らくお父さんが病院治療費として使ってしまっていたので、
亡き父の親友だったNさんが学費を肩代わりし、
アブラハムは無事にビシル小学校に戻りました。

全寮制の小学校ゆえ、
2学期が終わるまでは、余程のことがない限り、
ナマンガに戻って来ることはありません。

しかし、毎月のように、
PTA参観やらPTA会合やらがあり、
保護者の出席が求められます。

父の逝去後、初のPTA参観日には、
亡き父の親友Nさんと、
アブラハム転校時からお世話になっているGさんとが、
2人とも参加しました。

その際、2人の間で、
今後はNさんがメインとなって、
アブラハムの保護者としての役割を果たす、
ということで合意したようです。

**

アブラハムの兄と姉と弟はどうなったか…?

ここ2~3年、ぐれてしまい、麻薬や非行をするようになっていた兄と、
普通にナマンガのケニア側の公立小学校に通っていた弟ダニエルは、
2005に亡くなった母のお姉さん(母方のおばさん)の家に引き取られ、
タンザニアのアルーシャに引っ越して行きました。

弟ダニエルは、このままケニアの学校に通い続けたかったらしいのですが、
父のいない継母だけの家となってしまっては、仕方ありません。

幸い、アルーシャのおばさんの家はそこそこ豊かで、
弟ダニエルはタンザニアの私立小学校に転校し、
兄はそこを拠点に電気工の仕事にありついて、
何とかつつがなく暮らしているそうです。

アブラハムの姉は、ご近所さんの尽力により、
ナマンガのタンザニア側のセコンダリー校(高校)の、
寮に入れてもらえることができ、家を離れ、
学費に関してはNGOの支援も受けることができていました。

しかし、この夏、
タンザニアの学校教員たちによる大規模なストライキが発生し、
タンザニアの学校はことごとく授業が中止され、校舎が閉鎖され、
アブラハムの姉は仕方なく家に戻り、
継母の下で暮らしています。

**

さて、8月頭、
2学期を終えたアブラハムが、
久しぶりにナマンガに戻って来ました。

キラキラの事務室を訪れたアブラハムは、
ちょこっと亡き父の話を出しただけで、
大粒の涙をこぼして、
声を殺して泣き始めました。

その翌日、
何と、アブラハムの継母が、キラキラにやって来ました。

あいにくその日はキラキラ保育園の2学期の終了日で、
とても忙しく、来客の相手をしている暇がなく、
かわりにジャシンタが話を聴いてくれていました。

「もしもキラキラが全ての費用を負担してくれるんだったら、
アブラハムの学費を払うのも、
アブラハムの学校のPTA参観やPTA会議も、
全部私がやってあげるわ」
と豪語していたそうです。
世間体を気にしていたのでしょうか…。

そのことを夕方伝え聞き、
この継母にだけは任せられないことが、よくわかりました。

その翌日、キラキラの事務室で、
少年アブラハムと向き合って、
今後のことを詳しく話しました。

本人は、ケニアの小学校を卒業し、
ケニアのセコンダリー校(高校)を卒業することを、
強く希望しています。

しかし、亡き母は普通のタンザニア人、
亡き父は国境のないマサイ族だったとはいえ、
タンザニア人として生活しており、
アブラハムの出生証明書はタンザニア政府発行の物。

現在7年生のアブラハムは、
来年、8年生(小学校の最高学年)として、
ケニアの全国共通小学校卒業試験を受けるために、
①タンザニアの出生証明書をもとに、タンザニアのパスポートを取得する
②何らかの手段でケニアの出生証明書を取得する
のいずれかが必要です。

亡き父にも、再三、
早めに準備するように促していたのですが、
間に合いませんでした。

父がいなくなった今、
誰かがかわりにこのことをやってあげる必要があります。

それから、小学校の残り1年と少しの間と、
セコンダリー校に進学してからの4年間と、
保護者によるPTA参観やPTA会議への参加が求められるという問題があります。

実際に、我がジャシンタも、現在、
全寮制のセコンダリー校に通っている少年1人、少女1人、
全寮制の小学校に通っている少年1人の、
計3人の孤児を養育していますが、
しょっちゅう学校で何かがあって、
保護者の参加や出頭が厳しく求められ、
他の親戚と都合をやり繰りして、
遠い土地にある学校を何度も往復し、
交通費も旅の手間も、かなり大変なのです。

キラキラは、これまでに集めたアブラハム募金で、
何とかセコンダリー校卒業までの学費支援は続けるつもりでした。

しかし、完全な孤児となってしまった今、再度募金を募り、
学費以外の、学校関係の出費の全てを支援できるようにするつもりです。

(募金再開は、詳細が確定したらまた通知させていただきます)

そこで重要なのは、
誰がアブラハムの保護者の役目を担っていくのか、
ということです。

私やジャシンタは、
現状のままではそこまで引き受けることができません。
教育分野において、町や地域の有名人となっている私たちが、
特定の児童の保護者がわりをすることは、
いろいろと問題があるのです。

日本でも、
海外でこども支援活動をしている活動家が、
被支援児童数十人を養子として手続し、
子ども手当、児童手当を日本政府に申請したなどという話もありましね。(苦笑)

アブラハムに率直に尋ねました。
私:「継母さんに一任しようか?」
ア:「いや、継母はやめてください」
私:「どうして?それがいちばん自然じゃないの?」
ア:「(無言)」
私:「じゃあ、誰に頼もうか?」
ア:「Nさんにお願いします」
アブラハムはNさんを信頼しているようです。
私:「そうか、Nさんね…」
ア:「Nさんができないと言ったら、Gさんにお願いします」

それから、アブラハムと一緒に、今後の予算を再検討してみました。

そして、
Nさんと直接会って話し合うために、
Nさんに会いたい旨手紙を書き、
アブラハムに託しました。

**

その日から既に2週間。
Nさんから私への直接の連絡はなく、
アブラハムからも音沙汰ありません。

キラキラの方針としては、
キラキラの側から
「支援してあげるよ、受け取って!」
と支援をばらまいたり押し付けたりするのではなく、
「支援が必要だったらお出でください」
という忍耐強く待ち続ける姿勢を保っています。

伝え聞いたところでは、
Nさんご夫婦も、いろいろな状況を考慮して、
すぐに単純にOKできない事情があるとのこと。
とくに、同じ町に暮らすアブラハムの継母との関係を、
最低限平和的に保っていかなければなりません。

Gさんも、いろいろ案じてくださっています。

あと1週間で3学期が始まります。

アブラハムの人生の一端を担う、畏れ多い仕事ですが、
これからも応援・助言、よろしくお願いいたします。


K.A.記
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by kjkirakira | 2012-08-25 18:57 | 現地で 特別児童
2012春に、
日本でキラキラについて紹介した、
主なスライドとそれぞれのメモを、
2回の記事に分けて掲載します。


1.
ケニアのナマンガで相原とジャシンタが主宰する
キラキラ・プロジェクトを紹介します

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2.
コーディネーター・相原功志の履歴です
15の夢を30でかなえて現在に至ります

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3.
保育園園長・ジャシンタの履歴です
こどもを支援することが長年の夢でした

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4.
アフリカ大陸の東部ケニア共和国
タンザニアとの国境にNGA=ナマンガがあります

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5.
ナマンガの町の中に国境ゾーンがあり
国境を徒歩で越えてキラキラに通うこどもたちもいます

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6.
地球規模の社会・経済・環境の激変により、
ナマンガにも多くの課題が山積してきています

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7.
そこで、ODAでもNGOでもなく、CBOとして、
コミュニティー主体のプロジェクトを立ち上げました
CBO=Community Based Organization

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8.
ケニアの学校教育は小8+高4の12年制ですが
弱かった保育・幼児教育に焦点を当て
CBO運営のキラキラ保育園を開設しました

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9.
キラキラ保育園は2004年に15人でスタート
8年経った今では100人の園児を受け入れています

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10.
保育園の運営を強化することで
コミュニティーを能力づけることができます

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11.
キラキラ保育園では勤勉と礼儀はもちろん
厳しい環境で生き抜くための自主性を重視しています

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12.
遊び・スポーツ・演奏・ダンス
これらはみんな学びであり遊びでもあります

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13.
保育園で出す給食の予算は1日1100円100人分
相当がんばってやりくりしています

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14.
土曜補習塾での厳しいしつけが
コミュニティーの発展の礎になります

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15.
特別な事情のあるこどもには個別の支援もしています
病弱児・孤児・成績優秀児…

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キラキラ講演2012スライド集②へ続く


K.A.記
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by kjkirakira | 2012-08-25 17:25 | 日本で 活動報告
キラキラ講演2012スライド集①に引き続き、
スライドとそれぞれのメモを掲載します。


16.
被支援児童の多くがマサイ族です
伝統文化継承のために民芸品などの支援もしています
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17.
キラキラの成果をより確かなものにするために
キラキラ小学校開設が求められています
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18.
土地をめぐる紛争や内戦の火種が絶えず
キラキラ小学校開設も遅れそうです
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19.
キラキラは未来を育てる仕事をしています
次の世代が世界で活躍することを願っています
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20.
望みを抱いて、未来の光を見据えながら
ますます頑張ってまいります
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21.
日本にいながらも、国際交流や学習の場はあります
イベント・販売・講演・交流・会報・募金…
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22.
キラキラ・プロジェクトの後援組織(支える会)では
常にボランティア募集・会員募集・募金を行っています
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23.
ケニアではサファリ観光もできます
タンザニアではキリマンジャロにも登れます
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24.
検索して、気軽にお問合せください
よろしくお願いいたします
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以上です。
キラキラの概要が伝わったなら幸いです。


K.A.記
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by kjkirakira | 2012-08-25 17:06 | 日本で 活動報告

スタディツアー来訪

NGOジョイント・スタディツアー2012

主催 NPOキ・アフリカ http://www.kiafrika.org/
共催 アフリカと神戸俊平友の会、サイディアフラハ、キラキラ・プロジェクト

毎年8月下旬に施行されているこのツアー、
約10日間の日程で、
NGO、支援活動、学校、ケニアの町や村、
野生動物のいる国立公園などを訪問して回ります。

うち、キラキラのあるナマンガは、
2泊3日、実質丸一日で訪問します。

短期間で盛りだくさんの内容であり、
多少体力的に大変でも、
ケニアの実態を知る有意義な旅をしたい方には、
安全でお勧めのツアーです。

申込みや準備は毎年4月頃から行っていますので、
興味のある方は、キラキラでも、キ・アフリカでも、
お気軽にお問い合わせください。


今年も総勢8人でナマンガにやって来ました。


1日目の夕方、ホテルの駐車場で到着を待つ子ら。
左より、ノゾミ、アビガイル、ジョゴー、マンデラ

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1日目の夕方、国境ゲートの辺りを散策。
国境の看板「You are now entering Kenya」の前で

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国境の町ナマンガは、
ケニア側ナマンガとタンザニア側ナマンガの2つの町が、
幅30mくらいの国境ゾーンを隔てて向かい合っています。
この国境ゾーンは、通称「No Man's Land」、
つまり、「誰の土地でもない土地」なのです。


2日目の朝、
片足をタンザニア、片足をNo Man's Landに置いて、記念撮影。

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キラキラの敷地内で、
マサイ的、山羊の解体作業に取りかかります。
山羊を解体し、その場で調理し、みんなで食べます。
こういった家畜によって、
私たちは肉を食べ、
健康を維持しているのですね。

山羊のパーツは全て使い道があります。
頭部や手足はスープの出汁に、
内臓も食べたり、
毛皮は太鼓や椅子やカーペットを作る材料に、
骨はビーズと合わせてアクセサリーに。


解体作業の担当は、昨年に引き続き、
医療系で働く青年マテュー。

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山羊の肉がお鍋でぐつぐつしている時間帯は、
キラキラのこどもたち(補習塾の小学生たち)と一緒に、
みんなで折り紙などで遊んでいました。

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美味しくみんなで山羊料理。
普段お腹をすかせているこどもたちも、
この日はたらふく食べて、
お腹がはちきれんばかりになりました。


キラキラの敷地内で、みんなで記念撮影。

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夕方は、キラキラ保育園のPTA会長のお宅を訪問。
ここは、一昔前までマサイの伝統的な暮らしを営んできた一家で、
会長は若い頃に槍でバッファローを射止めた名手。
お祖母ちゃんの家を中心に、その長男、次男、長女が、
それぞれの家を築き、同じ敷地を共有し、助け合って暮らしています。
今ではナマンガの町中では貴重なマサイの伝統的家屋も見学します。

そして、我が家の周辺を散策。
ナマンガの典型的な庶民的暮らしの雰囲気を味わっていただきます。


楽しく有意義な2泊3日も、あっという間に終了。

3日目の朝、私とアビガイルの見送りを受け、
次の目的地に旅立っていかれました。


K.A.記
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by kjkirakira | 2012-08-24 18:55 | 現地で 全般・他
キラキラの活動において、
私の両親のサポートがとても大きいということを、
この場を借りて紹介させていただきます。

キラキラをケニアで立ち上げるにあたって、
NPOキ・アフリカを通して、
まず多額の支援金を投じてくださったのが両親でした。
現在のキラキラの建物も、
その支援なしでは建たずじまいだったかもしれません。

その後、
だいたい2年おきの一時帰国時には、
さいたまの実家を拠点に、
あちこちへ出かけて行き、
至れり尽くせりの環境で、
滞ることなく事務仕事をこなし、
余計な心配をすることなく、
キラキラの活動などに打ち込むことができます。

2008年以来、
私がケニアにいる間、
キラキラのゆうちょ銀行口座の出入金は、
全て父が管理してくださったいます。

2005年に、日本でキラキラを支える会を立ち上げたとき、
ゆうちょ銀行に会の口座を開くにあたって、
会の代表を相原功志、
事務局の住所を相原家とする必要がりました。
その流れで、2008年以降は、
口座管理も事務局がすることになったのです。

金融のシステムがスムーズになり、
残高照会・取引記録確認や送金などが、
インターネットでできるようになり、
大変ありがたいことです。
しかし、ゆうちょ銀行では、
まだ紙ベースの部分が残っているのです。

どなかたがキラキラのゆうちょ銀行口座あてに、
水色の払込票に手書きで記入のうえ、
会費や寄付金を入金していただくと、
その手書きの払込票のコピーとともに、
入金通知が相原家の住所に郵送されてくるのです。

その情報を見て、入力し、メールで、
私を含むキラキラを支える会の役員たちに、
その入金情報を共有してくださるのです。
それをもとに、会計処理、領収書作成、ご入金者への御礼など、
スムーズに行うことができるのです。

これは、
キラキラの日本とケニアとをつなぐ、
最重要の仕事であります。


さて、今回の一家そろっての日本渡航でも、
両親ともに最大限の歓迎をしてくださいました。

もちろん、孫である望や光の面倒を見て、
遊び相手になる幸せも味わっていただきました。

それ以上に、
最高の生活環境を提供していただいたことで、
日本滞在3か月間、私たちの健康もしっかり守られ、
一度も病気にかかったり薬を飲んだりすることなく、
キラキラとして予定していた超多忙な日程も、
全員そろって全てこなすことができ、
実りある日本滞在を演出してくださいました。


2012年6月15日(金)は望の3歳の誕生日。

週末を挟んで、

2012年6月18日(土)は光の1歳の誕生日。

どちらも、本格的に、ケーキやお料理、
キラキラ光る折り紙の飾りなどで、
愛情こめて演出してくださいました。

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来たる8月30日のテレビ放送(ミヤネ屋「世界電波ジャック」15:00~)では、
キラキラのことを大々的に取り上げるともに、
私のケニアでの私生活の一端も映し出されます。
そして、両親の私に対する語りかけ、
および、私の両親に対する語りかけを、
視聴者の皆さんと共有していただきます。

2012年7月7日(土)
成田空港でこれから旅立とうという時、望は、
「おじいちゃーん、ばいばーい」
と、出発ロビーの端から端まで届くほどの大声で、
おじいちゃんの姿が見えなくなるまで、
右腕を大きく振って見送っていました。

おじいちゃんの姿が見えなくなった後も、
じっとその残影を追うかのように、
目を凝らしていました。

私を産み育ててくれた日本、
キラキラを産み育ててくれている日本、
ありがとう、さようなら、また会う日まで。

K.A.記
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by kjkirakira | 2012-08-21 19:28 | 日本で 活動報告
2012年6月30日(土)7月1日(日)

鹿嶋チャリティーサッカー大会

去る6月10日に鹿嶋で講演会を開催していただいた際、
鹿嶋市国際交流協会の副会長のIさんより、
後日開催されるチャリティーサッカー大会の、
パートナーとしてキラキラも協力していただけないか、
というお話をいただきました。

このチャリティーサッカー大会は、
茨城県サッカー協会第4種 県東地区少年委員会の主催で、
共催5社、協賛1社で、
32チームの少年サッカーチームが参加するものです。

サッカーを通して、こどもたちに、
ボランティア精神を理解してもらう、
というのが大会の目的です。

当日はキラキラの活動に関する展示もなされ、
様々な形で募金もしていただき、
サッカー少年たちの心の中に、
「人々のために全力でプレーする」
という気持ちが芽生えたなら幸いです。

残念ながら、
直接応援にかけつけることはできませんでしたが、
これからも毎年開催され続ける限り、
いつか直接応援に行ける日も来ることでしょう。

Iさん、そして、開催に携わった皆さま、
参加の少年たち、監督やコーチの皆さま、ご父兄の皆さま、
心より感謝申し上げます。


キラキラの展示あり

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募金箱設置

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アントラーズの町、鹿嶋

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K.A.記
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by kjkirakira | 2012-08-21 19:19 | 日本で 活動報告
African Cooking Party 2012 by KI-AFRIKA

キ・アフリカ、クッキングパーティのお知らせです。
毎夏恒例でおおぜいのみなさんにご参加いただいてまいりましたが、
昨年は震災と節電要請の影響で残念ながら中止となってしまいました m(__)m。

しかし2012年は復活です! こぞってご参加ください。
今年はザンジバル、ウガンダ、スーダンからのゲストに郷土料理の作り方を教わり、みんなで作っておいしく食べましょう!
午後遅めに料理をはじめ、早めのディナーを予定しています。
希望者にはアフリカのビールも用意いたします。
参加要領は以下のとおりです。

【日 時】

8月26日(日)
調理開始は14:00、食事は17:30ころを予定しています。
13:45までに会場に集合し、身支度・手洗いを済ませてください。
買い物と下ごしらえから参加していただける方は12:30ころに自由が丘駅集合(詳細は追って)。
クッキング抜きで食事だけ参加されることも可能です。

【会 場】

目黒区立緑が丘文化会館3階「第9研修室(調理室)」
目黒区緑が丘2-14-23
http://www.city.meguro.tokyo.jp/shisetsu/shisetsu/kyoiku_shisetsu/midorigaoka/access/index.html
東急東横線・大井町線「自由が丘」駅下車徒歩7分
→駅北口を出て東横線のほうの線路に沿って渋谷方向に向かう飲食店で賑やかな小路をを抜け、少し広い「グリーンロード」という商店街に出たところで右折。少し行って最初の信号を越えてから3つめの交差点の角、進行方向左側にヤマダ電機LABI の店舗があるので左折。50mくらいで文化会館。建物左手に入り口があります。

【参加費】

材料費・会場費・講師謝礼等の実費として、
社会人1名 \2,000、学生1名 \1,500 (ビールは別売実費)

【申込み】

8月24日(金)までに下記宛にご連絡ください。
ビールご希望の有無も併せてお知らせください。
キ・アフリカ 細田 Mail: hosoda@kiafrika.org
なお参加者には事前に当日の進行に関して詳細なお知らせをお送りする予定ですが、一般の有料調理教室等とは異なり、アフリカ人ゲストと協力して料理と食事を楽しむのが目的の交流パーティですので、調理はあくまでも講師の我流です。

【定 員】

30名

【問いあわせ】

会場の緑が丘文化会館は主催者ではありません。
質問・連絡は細田までメールをお願いいたします。
キ・アフリカ 細田 Mail: hosoda@kiafrika.org

NPOキ・アフリカ
http://www.kiafrika.org/
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by kjkirakira | 2012-08-21 00:05 | 日本で 案内・告知