アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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キラキラ保育園の2学期が始業しました。

年長組35人~アン先生
年中組30人~ジャシンタ先生
年少組30人~ジョイス先生
調理~ジュリアナ先生

スタッフ不足を解消するため、
従来調理担当だったジョイス先生を年少組の先生として訓練することにしました。
ジョイス先生は、父親も母親も十代に失くした完全な孤児。
ジャシンタ先生と、その今は亡きお母さんに引き取られ、養われました。
小学校は恐らく数日間行っただけの、学歴全くなし!
小さいころからもっぱら家事手伝い、
そして、いくつかの金持ち家庭に雇われメイドとして収入を得、
自分自身と下に連なる5人の弟妹を、
ジャシンタ先生とともに養って来ました。
そんな中でも、読み書きができるようになりたいという一心で、
スワヒリ語の最低限の読み書きは、見よう見まねでできるようになりました。
キラキラに調理師として雇われたのは2008年初め。
月2000円の低い給料から始まったものの、
持ち前の努力と計画性と正直さでもって期待に応え、
着実に給料は上がり、この3月には5500円を支給されていました。
同時に園児指導の術も、見よう見まねで身につけていきました。
体育(集団遊び)の時間など、
どのプロの先生よりも上手に指導できるようになったほどです。
この頃、ちょっとしたきっかけで、
私が彼女に読み書き計算を教えることになりました。
添削指導方式(交換日記方式?)です。
もともと学習に対する好奇心が旺盛でだった彼女は、猛勉強を始めました。

ジュリアナ先生という、新たに雇うことにした調理師は、
まだ21歳の若いママさんです。
タンザニアで小学校7年生を卒業し、
支援プロジェクトに選ばれてミシンで洋裁を習いに行くことになり、
顔写真まで撮って準備していたのですが、
村の人たちの嫉妬に遭い、その計画は中止になってしまい、
村を追われるように出てナマンガに来て、メイドの仕事をし、
若くして結婚して一児の母となっていたのです。
ジョイス先生が所用で調理に来られない時の代理として何度か調理に来たことがあり、
仕事ぶりもお金に関しても信頼もでき、
本人も固定収入を求めていました。

そんなわけで、
プライドだけで仕事のできない教師が職を求めて来るのを待つよりも、
ジョイス先生を訓練して年少組の先生にして、
ジュリアナ先生を調理師として雇う方がスムーズだと判断したのです。

こどもたちの出席率は、2学期早々上出来です。
95人中毎日80人ほどが出席しています。
2学期始業2日目より早速、
1学期の学費を全納していない園児15人を停学にしたのですが、
3日目には6人以外はみんな全納しキラキラに復帰しています。

毎年4月は雨期で、大雨が何度も降るものなのですが、
この4月は小さな雨が何度か降っただけでした。
今日は朝から恵みの雨が降り続いていますが、
今後の干ばつが深刻になりそうで心配です。
また、かすかに南半球であるナマンガは、これから冬を迎えます。
寒くなってマラリアは減るものの、
風邪っぴきが多くなって、体調管理も重要になります。

ジョセフィン(5歳女児年中組・左)と、ローズ(6歳女児年中組・右)は、
飲み水で遊んでいます。

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リチ(6歳男児年中組・左)と、グレース(5歳女児年中組・右)は、
おいとおばの関係にあたります。

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休み時間の間、教室の扉は閉めておきます。
休み時間が終わり、教室に戻って来たこどもたちが、
扉の前であけてもらうのを待っています。
左の扉は年中組、右は年長組。

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健康で安全な2学期になりますように。


相原功志 記
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by kjkirakira | 2011-05-11 20:48 | 現地で 保育園