アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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少女スコラに祝福を!

通称スコラ、本名スコラスティカ・ワンジク、
1993年12月生まれの16歳少女。
母と、弟1人、妹3人との6人暮らし。

スコラは小さい頃、
母に連れられてナマンガのキリスト教会に通うようになった。

小学校3年生頃、教会の日曜学校に通ううちに、
神様がどんなお方かおぼろげながらわかるようになり、
教会が大好きになった。

母はスコラを筆頭に5人の子に恵まれる。
しかし、夫婦仲は徐々に冷めて険悪になっていった。
父は家族に貢献せず、深酒や女遊びもするようになった。
そして、5人の子育てをするという主婦業だけで
あくせくしている母を忌み嫌うようになった。
アフリカの貧しく庶民的な家庭では、
ベッドを家族で共有するのはありがちなこと。
スコラの両親は、まずベッドを共にしなった。
やがて、2部屋の賃貸ルームで、寝る部屋も別々になった。
そして、ついに父は家を出た。
一銭も家族に貢献しない父を家族みんなで問い詰めたところ、
お前らのことは知らない、と。
以来、父はスコラたち家族を顧みないばかりか、
道ですれ違ってもあいさつさえしない。
父の親戚たちもみんなでスコラたちを無視し、
軽蔑するようなまなざしで見るようになった。

スコラの母は稼ぎも乏しく、
1部屋の賃貸ルームへ引っ越した。
部屋にはベッドが2台ひしめき合う。
ベッド以外のスペースにも、食器やバケツがひしめき、
足の踏み場はほとんどない。
炊事も洗濯も、遊びも勉強も、
同じ賃貸の8世帯あまりの人たちと共有する中庭でする。
その中庭も、1週間に一度水が出る水道と、トイレと浴室と、
木影を作ってくれる大きな木があるだけましである。

末っ子エスタが成長し、子育てに手がかからなくなった母は、
自由に働きに出ることができるようになった。
洗濯や掃除をしたり、
借金した小さな資本を元手に洗剤を作って売ったり、
小さな中庭を耕してトウモロコシを育てたり、
できることは何でもやった。
それでも1日の稼ぎは平均して100シリング(150円)ほど。
まさにその日暮らしの生活。

そんな貧しさから、小学校8年生を終えても
その後にセコンダリー校(日本の高校に相当)に進学できる可能性は
薄いと考えざるを得なかった。
しかし、スコラは希望のかけらを抱きつつ、
自ら志願して小学校7年生を留年する。

その頃、教会によそから牧師がやって来て、
数日間聖書研究会が開かれた。
彼の説明・説教はとてもわかりやすく、
スコラは魂が動かされるのを覚えた。
そして、すんなりと主イエスを救い主として受け入れた。
魂が生まれ変わったスコラ。
まだ10代半ばの小学生でありながら、
日曜学校の準教師に抜擢され、間もなく正教師になる。
教会員の子弟たちに、
こども目線でわかりやすく聖書を説明してあげる知恵を得たのだ。
また、讃美歌や祈祷でも、教会をリードするようになっていった。
大人が20人にも満たないその教会にとって、
もはや欠かせない重要人物となった。

小学校8年生の終わりに受けた全国一斉の小学校卒業試験で、
5教科(英語・スワヒリ語・算数・社会・理科)500点満点中269点を獲得し、
学年100人中20番以内に入る。
その公立ナマンガ小学校卒業生のセコンダリー校進学率は3分の1程度。
スコラの成績は、セコンダリー進学に値するものだった。
「ねえ、お母さん、どうしよう、
セコンダリーに行こうか?
それとも、8年生に留年しようか?」
母はこう答える。
「神様に伺って来なさい」

当時15歳のスコラは、一人でナマンガの町を見下ろすオロック山に登る。
険しく木々の生い茂った山の中腹に、ちょうど良い岩陰を見つけ、
そこに火を熾し、川の水を飲みつつ、3日3番断食して神様に祈り続けた。
3日目、夢うつつの状態で、神様からの答えを得る。
「スコラ、あなたにはまだ小学校でやり残した仕事がある。」

末っ子エスタがキラキラの年少組に入った2009年、
スコラは2年目の8年生として小学校生活の最終年を過ごす。
青と黄色の小学校の制服を着てうつむき加減で夕方家路につくスコラ。
道ですれ違うたび、礼儀正しくあいさつして来るスコラ。
彼女たちの教会をときどき訪れるたびに、光って見えるスコラ。
日中掃除や洗濯のバイトをし、夕方手作りの洗剤を売り歩く母。
末っ子エスタのために、キラキラの学費をこれっぽっちも滞納しない母。
無欠席で、お行儀も良く、年少組トップの成績を維持する末っ子エスタ。
キラキラは貧しい中で努力する人たちのためにある。
スコラの家族に注目しながら見守っていた。

2009年11月、スコラは2度目の全国一斉小学校卒業試験を受けた。
結果発表は12月末。
まずはラジオで公式発表。
全国1位は500点満点中430点台。
全国10位が380点台。

携帯電話のテキスト・メッセージのサービスを使って、
各人の成績を知ることができる。
私は、近所・親戚の8年生たちのために結果を調べ始めた。
ある少年は267点。ニコッと笑って喜んだ。
ある少女は288点。ガッツポーズで跳びはねて喜んだ。
全国的には低レベルかも知れないが、
彼らにとってはベストを尽くした証しなのだ。

スコラも呼んで、彼女が見ている前で登録番号を入力し、
メッセージを送信してみた。
1分と経たないうちに届いた返信メッセージ。
英語60点、スワヒリ語55点、数学71点、理科65点、社会60点、
計311点獲得。
音もなく静かに微笑んで喜びをかみしめるスコラ。
彼女が通っていた公立ナマンガ小学校8年生100人中、
1位が330点台でスコラはトップ5に入り、
女子の中では断トツ1位だということも知れた。
とりわけ、ケニア人の多くが落第している算数や理科で、
比較的高得点を獲得したスコラは見事だと言えよう。

スコラの母は、近所の人に借りた携帯電話で実家に電話でこのことを伝えた。
しかし、母の実家も貧乏な田舎暮らしで、
スコラをセコンダリー校に送り込む経済的ゆとりもなければ、
教育の意味さえ理解してくれない。
「おお、小学校を終えたのか。うちに来てお手伝いさんのバイトでもするか」
とまで言われたほどだ。

また、成績が芳しくなかった娘を持つ親から、
「スコラの名前と成績を売ってくれないか」
という打診もあったようだ。
スコラの名前を語って、スコラの優秀な成績を手にして、
上位のセコンダリー校に入れさせたいというのだ。
神様を信じる母は、
そのような売名行為はできないと、断固として拒否した。

彼女の成績をこの目で真っ先に確認した私は、
心が大きく揺り動かされるのを感じた。
彼女を支援しよう!
1年目の学費、約20000シリング(3万円)は私が出す。
同時にナマンガで彼女のための募金をしよう。
しかし、それだけではセコンダリー校4年間の学費を賄うことはできない。
それなら私が心を尽くして日本から彼女のための寄付を募ろう!

スコラの母と教会の牧師に相談し、早速募金の手はずを整えた。
翌朝、私自身がパソコンで募金のための用紙をスコラの顔写真入りで作成し、
メモリーフラッシュ片手に町の印刷屋に走り、
そのまま町長のところへ持って行き募金の許可をもらい、
それをコピー屋で30枚用意した。
スコラ母娘はそれを持ってナマンガ小学校の職員室を訪れた。
小学校でも、スコラの優秀さ、礼儀正しさ、家族の生活苦は知れ渡っている。
先生たちは心を一つにし、
スコラのためにそれぞれできるだけの金額を提供してくれた。

教会のメンバーたちも、
それぞれに知り合い・友だち・親戚を渡り歩き、募金に励んだ。
内気で寡黙な母とスコラは、ナマンガでの知名度は高くなかった。
「この娘さんはどこの子?」
「この娘のお母さんはどの人?」
という質問が絶えない。
しかし、スコラ一家の貧しさを簡単に説明されると、
多くの人が、
「この募金には協力する価値がある」
とできるだけの金額を提供してくれた。

成績優秀者には、複数のセコンダリー校から勧誘が来る。
スコラにも5校の可能性が開かれた。
最終的に、ナマンガからの距離、紛争が起こったりしたときの安全性などを重視して、
ナマンガから幹線道路沿いに車で50分北上したところにある
ビシル女子セコンダリー校に決めた。

間もなく、ナマンガ小学校の校長先生の推薦で、
某銀行から奨学金申請の誘いが来た。
倍率5倍の書類審査と面接にパスすれば、
その銀行からセコンダリー校進学支援と、
将来その銀行で雇用されるという特典が得られるというもの。
早速スコラ本人、母、牧師、それに私も一緒になって、
その申請に取り組み始めた。
申請書に、スコラ本人が自己推薦として作文としてまとめるページがあった。
スコラは一晩かけて書き、それを翌朝私のところに持って来て、
一緒にスペル・文法・段落などの校正をした。
補習塾を通して多くの小学生たちの作文を読んで校正してきた私、
また、以前多くのアフリカの友人たちと手紙で交流してきた私にとって、
彼女の文章のきれいだった。
誤りはほとんどなく、少しばかり文体をすっきりさせただけで、清書することにした。
以下、スコラの作文(英語)。

“Why I need your assistance” by Scolastika Wanjiku Ndunge on 28th January 2010

I am a really needy one because I am brought up by a single mother together with four other children.
My mother does a work of hand to mouth, which cannot provide enough of school fees for me.
I am supposed to be in form three, but because of lack of school fees, I repeated standard seven and eight to wait if there would be a way of getting money, but in vain.

My father, who has divorced with my mother for four years, became the enemy to our family because he has never come even to look how we are living, even though we live in one town.
His family also dose not greet us or provide anything with our family.

The family of my mother showed that they have nothing to help me for school fees, because when my mother communicated with them through the phone of our neighbor and told them that I had successfully done my KCPE, they surprisingly asked if I could be a house girl.
But because it was not my wish, I kept my target of going to secondary school.

So I sincerely ask you for help so that I can join secondary education and can become a contributory member of the society in the future.

ビシル女子校への正式な入学の前日、
車で1時間半かかるカジアドにある銀行の本店に、
面接を受けに出かけた。
10人の候補生が一同に集い、口頭で色々な質問を受けた。
10人それぞれの家庭の貧しさに甲乙つけられないと判断した首脳陣は、
最終的に試験の成績をもとに、
少年1人(380点台)、少女1人(312点)を選んだ。
そういうわけで、スコラは1点差で審査に外れることになった。

翌日2月3日、朝早く、
ビシル女子校へ旅立って行ったスコラ。
スコラにとって、7年生を2回、8年生を2回繰り返しながらずっと夢見て来た、
あこがれのセコンダリー校生活のスタートを切った。

スコラが山で祈ったとき、神様に言われた言葉、
「あなたにはまだ小学校でやり残した仕事がある。」
今や、スコラはナマンガでちょっとした有名人だ。
全ての人がスコラに注目し、
貧しさの中で培ったキリストへの信仰と礼儀とが、彼女の成功をもたらしたのだ、
と語る。
ナマンガ小学校でも、
分裂していて労働意欲に欠けていた教師陣の間に、
スコラ支援を通して団結がもたらされた。
スコラを見習って礼儀正しく努力しなさいと、
先生たちは朝礼で、各教室で、児童たちに力説しているそうだ。

キラキラにとっても、スコラは一つのチャレンジとなった。
キラキラを創設して早6年、
最年長の支援児童が小学校6年生となる中で、
そろそろセコンダリー校への進学支援を
模索していかなければならないと考えていたところに、
スコラがいた。
私が彼女の1年目の学費を支援することにしても、
地元の募金だけでは2年目~4年目の学費はおろか、
1年目の必需品さえ完全にまかなうことができない。
スコラはまさに神様に選ばれた器。
私たち大人には、
そんな彼女を社会に貢献できる器に育て上げる義務がある。
神様が、スコラのために、私たちのために、
将来への希望を与え続けてくれるはずと信じ、
祈り続けたい。

スコラに心引かれた方、ぜひ、支援を申し出てください。
私の以下のメールアドレスにご一報ください。

aiharakoji@yahoo.co.jp

セコンダリー校在学4年間で、
学費・必要経費は毎年20000シリング(3万円)程度かかります。
この全部、一部を担ってくださる方を、必要としています。
あるいは、単発・少額・匿名でのご支援も大歓迎です。
以下の郵便振替口座に、
振込用紙の備考欄に「スコラ支援」と明記の上、
ご入金いただけると感謝です。

郵便振替口座 00220-3-39508 『キラキラを支える会』
他行からお振込みの場合、以下の4項目を指定してください。
①店名:〇二九店(ゼロ二キユウ店)
②預金種目:当座
③口座番号:0039508
④受取人名:キラキラヲササエルカイ(キラキラを支える会)

「受けるよりは与える方が幸いである」
(使徒言行録20章35節)
この文章を読んでくださった皆さまの上にも祝福がありますように。

現地コーディネーター 相原功志


スコラ(スコラスティカ・ワンジク)、1993年12月生まれ

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スコラの家族…母、スコラ、弟、妹、妹、妹(末っ子エスタ)

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スコラの教会の主だった面々(スコラは中列中央、クリーム色の長そでシャツ)

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ちなみに、
ノゾミとその母(前列右)
アビカレ(キラキラ保育園2009卒、現1年生、前列中央、白いドレス)
エスタ(現キラキラ保育園年中組、スコラの妹、前列左)
エスタ・ナイシアイ(キラキラ保育園2005卒、現5年生、中列スコラの左隣)
スコラの母(後列右から3人目、顔が隠れてしまっている)
牧師=エスタ・ナイシアイの父(後列中央、白っぽいシャツ)
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by kjkirakira | 2010-02-05 00:36 | 現地で 特別児童