アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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カテゴリ:現地で 小学校( 143 )

楽しい建設の日々

井戸関連の建設を続けています。
毎日7時に作業を開始、
お昼休みを短時間にぎゅっと縮め、
15時には終了し、
夕方は疲れを癒したり、
他のことをしたり、
自由に過ごす時間の余裕もあります。

毎日6~9人くらいの男たちと一緒に、
みんな楽しく、和気あいあいと、
ああだこうだ建設や私生活の話をしながらやっています。


井戸のそばの守衛室+倉庫です。
この天井部分をコンクリートでかため、
大きな貯水タンクを乗せるのです。

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門柱もきれいに出来上がりました。

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道路をはさんだ隣接地も、
鉄条網のフェンスで囲います。
ここもキラキラ関係の施設になるのです。

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右前の建物はご近所さん。
右側にずらっと石を並べているのは、
そのご近所さんに対して道路との境界をばしっと示してあげるため。
このご近所さんは、ご覧の通り、
左端の部屋が道路に飛び出した状態で建設を進めているのです。
道路はみんなのもの、とくに私たちも利用するものであり、
道路に私物を建設するなど許されることではありません。
しかし、このご近所さんは、
頑なにこの建設を進め、
土地や建設や治安関係の役人たちに賄賂をばらまき、
無理やり押し通そうとしているのです。
ご近所さんが悪い人だとストレスがたまりますねぇ。

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1・2年生たちは、
建設の邪魔をしないようにと、
教室の近くで遊んでいます。

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相原 記


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by kjkirakira | 2017-06-19 23:51 | 現地で 小学校

井戸のための建設開始

ご無沙汰しておりました。
しばらくナマンガ地域の電波が悪く、
ブログをスムーズにアップすることができなかったので。

久々に建設を再開しました。

今回は、ビリカ(3・4年生部門)ではなく、
アンボセリロード(1・2年生部門)の校庭の一角、
昨年7月に掘った井戸の近くに、
車両などが入れるように門と、
井戸から電気でくみ上げた水を一時的に貯めておく水槽を置く台と、
その下に井戸管理者の部屋および農作業道具の倉庫とを建てるのです。


門に車両が入りやすいように、
道路側も整備します。
ビリカの調理人ネルソン先生(左)と、
スクールバスの運転手ジュリアス先生(右)も、
週末ということで建設に参加しています。
ジャシンタ先生(中央)が監督しています。

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門をセットして、
門柱をコンクリートで四角柱にかためます。

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守衛室+倉庫+水槽台の基礎をつくり始めています。

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建造物が出来上がったら、
配管して、電気を通して、
井戸が機能し始めることになります。

そうしたら、
校庭の一角を畑にして、
キラキラの給食の食材の多くを栽培することになります。


相原 記
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by kjkirakira | 2017-06-17 23:37 | 現地で 小学校

小学校史上最少!?

2017年5月4日(木)、
前日の保育園の始業に続き、
キラキラ小学校の2学期始業日を迎えました。

私はただ、早朝未明の6時に、
家に隣接する小学校(アンボセリロード・キャンパス=1・2年生部門)に出て、
校門と教室の鍵を開けるだけ。

あとは、6時15分頃に先生方が出勤して、
同時に児童と保護者たちも続々とやって来て、
学費(現金または銀行振込の領収書)支払いと持ち物チェックがスムーズに進みます。
先生方に任せて安心。
最近は、私自身が手を下す必要などほとんどありません。
ただ、ジャシンタ先生のところに諸事情を説明に来る保護者がぽつぽついるだけ。

しかし、早く登校して来て暇そうにしている児童たちと、
担当業務がなくて暇そうにしていたジョン先生とセリナ先生を見て、
私がまず「走りたい人よっといで!」と声をかけ、
下り道はジョギング、
上り道は競争で、
細長い校庭を3往復くらいしました。
「マラソンでメダルを取りたければ、これ(インターバルトレーニング)を1000回くらい繰り返すんだ」
と言うと、みんなびっくり。

この2人の先生(2人ともキラキラで日が浅い)に、
「これをこうしてこうしたらいいんじゃない?」とアドバイス。

すると、2人とも、私の期待以上にしっかりやってくれました。
ジョン先生は主に男子たちと一緒にサッカーを、
セリナ先生は主に女子たちと一緒にネットボール(ドリブルなしでパスだけのバスケットボール)を、
元気にやり始めました。

前日の保育園始業日の出席人数は41人(約40%)、
で、本日の小学校始業日の出席はだいたい55%くらいと、
これまた小学校史上最少でした。
史上、といっても、2014年以来の3年少々ですが。

昨日も分析しましたが、
もう一度よく分析するに、
①干ばつの影響による不景気で、学費が払えない人が急増した
②小雨が降り続いて寒くて、または体調が思わしくなく、早起きできない
③キラキラの質の低下または慣れにより、保護者のいい加減さが増した
④その他諸々
それぞれの理由が80%、10%、3%、7%、くらいでしょうか。

いやぁ、干ばつと降雨不足による不景気、痛々しいですねぇ。

実は、私が将来アフリカで支援活動をしたいと思い始めたきっかけは、
80年代半ばのエチオピアでの干ばつによる飢餓でした。

後の日に、当時のエチオピア飢餓が、
単なる干ばつによるものだけではなく、
政府の政策とかプロパガンダとか、
いろいろな思惑が交錯しながら全世界に知らされていたことを知るわけですが。

つまり、干ばつによる飢餓は、
政府の安定した政策や、
教育などによる一般市民の思考やモラルの引き上げにより、
ある程度予防できるということです。

キラキラは、これからも、
「支援」は最小限にしながら、
今後もアフリカで頻発するであろう干ばつなどによる飢餓を最小限に食い止めるために、
有能な人材育成に寄与していきたいと、
改めて思う次第です。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-05-04 23:44 | 現地で 小学校

シャドラックくんの家で

2年生シャドラックくんの病死の報の後、
キラキラではすぐに募金を始めました。

保護者一人につき100円、
こども一人につき20円。

毎朝、小学校と保育園それぞれで、
先生方が募金を受け付けてくれました。

葬式が済み1週間後の金曜、
いちおう募金を締め切り、
その募金の成果をPTA役員会で確認したうえで、
それをシャドラックくんのご両親に届け、
その際にシャドラックくんの家の庭で集会を開く、
という段取りです。

PTA役員会を短時間で簡単に終わらせ、
教職員約15人、PTA役員と保護者の有志たち約15人、
それから近所に住んでいる(キラキラの)こどもたち約15人、
教職員や保護者の(キラキラの)こどもたち約5人が、
シャドラックくんの家の庭に集結しました。

すぐに集会です。
司会者はドロシー先生。
アン先生のお祈り、
教職員代表としてアレックス先生のあいさつ、
保護者代表としてサムエル・クレイくんのお母さんのあいさつ、
私が聖書の御言葉から簡単に説教(奨励)、
2年生の男学級委員レビスくんと女学級委員のノゾミさんから募金をシャドラックくんのお父さんに手渡し、
ジャシンタ先生からあいさつ、
最後に、シャドラックくんのお父さんからのあいさつ。

感動的な集会となり、
参加者の多くが心に感じるものがあったようで、
既に涙が乾いていたシャドラックくんのご両親の目にも、
再度涙が浮かんでいました。

その後、シャドラックくんの家族からみんなにお茶が振舞われ、
大人たちだけでなく、
20人くらいのこどもたちにもまんべんなくお茶が配られました。

しかも、シャドラックくんのお父さん自らが、
キラキラのこどもたちのためにコップを配ってくれました。

お葬式の前までは、
いろいろと忙しく、
多くの弔問客があり、
ご両親もある意味気が紛れてしゃんとしていられる。

しかし、お葬式の後、
弔問の客足が途絶え、
疲れや悲しみが一気に出るであろう時こそ、
励まし、寄り添うことが肝心だと思い、
キラキラのPTA会長でもあり、
もはや親友でもあるシャドラックくんのお父さんのところに、
私は毎朝毎朝通いました。

キリスト教の宣教師であるお父さんは、
この人生の一大事を乗り越えて、
きっと宣教師としてのさらなる高みに達してくれるに違いない、
そう確信しています。
悲しみを経験し、打ち砕かれた心をさらけ出す人のところに、
神の霊は強く宿りますから。

この日の集会も、
説教は私が行いましたが、
最後は彼の祈りで締めくくりました。
この集会を機に、
普段の宣教の働きに復帰していってくれるものと信じています。

そして、シャドラックくんの弟さんが、
来年にはキラキラ保育園の入園許可年齢に達するので、
今年の10月の入園手続きで無事に入園を果たし、
これからも長くキラキラとともに歩んでいって欲しいものです。


相原 記

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by kjkirakira | 2017-03-10 23:44 | 現地で 小学校

シャドラックくんを葬る

2017年3月4日(土)、
病気で急逝した2年生のシャドラックくんのお葬式の日。

まず、遺体が安置されているタンザニア側に110㎞入ったアルーシャにある病院に、
シャドラックくんのご家族と近しい人たちが出かけて行きました。

キラキラのスクールバスは、
国境を越えてタンザニアに入るというリスクや出費や手続きの難解さを考慮して、
ケニア側で待機です。

お葬式の儀式が営まれるシャドラックくんの家は、
ちょうどナマンガの国境沿いで、
よく日本からの訪問者を連れて行くあのコンクリート製の国境の目印のすぐそば。

早めに到着したキラキラの男先生たちと私は国境目印の辺りで、
キラキラの女先生たちは儀式が営まれる会場の椅子に腰かけて、
アルーシャからの遺体の到着を待ちました。

遺体の到着後、すぐに儀式が開始されました。

まず、タンザニア側の慣習に乗っ取り、
棺桶の蓋が開けられ、
シャドラックくんの眠り顔に、
みんなでさよならを言います。

ここで、案の定、3人くらいの女性が、
過換気の発作でぶっ倒れました。

続いて、ケニア側の慣習に乗っ取り、
棺桶の前で、
いろいろな集合写真を撮ります。
家族、父方の親族、母方の親族、ご近所さん、
教会の人たち、キラキラの人たち(教職員・こどもたち・保護者たち)、など。

家族・親族・教会などの代表者たちのあいさつ。
今回は学校(キラキラ)の代表者のあいさつは省略。

そして、キリスト教の簡単な礼拝です。
説教と、祈りと。

その後、この日のために大量につくられた食事が振舞われ、
みんな思い思いの場所で食事をとります。

一段落して、埋葬される場所への出発となりました。
場所はお父さんの実家。
ナマンガを見下ろすオロック山の反対側!
その場所に行ったことがある人はほとんどいません。
不謹慎ですが、少々わくわくします。

キラキラのスクールバスは、
教職員および保護者の中の希望者が、
予め200シリング払って席を予約していたので、
満員のはずだったのですが、
急きょ、母方の親族の方々が乗る車がないということになり、
キラキラのスクールバスが特別に人数制限を超えて出発することになりました。

見知らぬ土地への移動、
どんな山や谷や障害が待ち構えているかわからない。
ということで、
いつも利用するマーティンくんのお父さんのオートバイを、
念のために伴走させることにしました。

バスのエンジンを入れる前に、
ドロシー先生が代表して旅の安全を祈ります。

最初の15㎞は舗装道路のために安全・安心です。

15㎞のところにあるマイリティサという町で、
左に分岐し、未舗装道路に入ります。

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初めのうちは、順調に、スピードも出てすいすい進みます。
オロック山の北端をぐるっと回り、山の反対側に出ます。

地球の衛星である月は、
その公転周期と自転周期が一致しているために、
我々地球人は月の反対側を見ることができません。

それと同様に、オロック山の反対側を見ることはないだろうと思っていたのですが、
シャドラックくんの埋葬のために、初めて見ることができました。

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道路の状態は概ね良好だったものの、
2つの川を越えるのが大変でした。

1つ目の川は水があったものの、
幸い水は膝くらいの高さであり、
車に乗ったまま渡り切ることができました。
(源平合戦=富士川の戦いを思い出しました)

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2つ目の川は水がなかったものの、
大きな大地の溝になっていました。
幸い、バスに乗ったまま、
下りも登りもうまく進み、
渡り切ることができました。

川以外の大きな障害は、
とげとげの木の枝がバスの窓や車体に容赦なく襲いかかってきたことでした。
窓ガラスが割れることはなかったものの、
車体の塗装にだいぶ傷が増えてしまいました。

分岐点から2時間かけてようやく到着です。
車の距離表示を見ると、それでも分岐点から20㎞のみ。
体力のある人なら、ジョギングした方が楽です。

シャドラックくんのお父さんが生まれ育ったマサイの集落では、
既に埋葬の準備がなされていました。

牧師たちの先導により、
棺桶が穴におさめられ、
そこに土がかぶせられ、
そこにシャドラックの名前が書かれた十字架が立てられ、
万事スムーズに進みました。

その墓の前で、
花を供える儀式となりました。
シャドラックくんの両親が呼ばれ、
お父さんとお母さんが花輪を手にして墓の上に置きます。

続いて父方の祖父母、母方の祖父母、
兄弟姉妹、おじさんおばさん、従兄弟たち、といった具合。

何と、シャドラックくんの学校の代表者、ということで、
私とジャシンタ先生が呼ばれました。
神妙に、花輪を取り、2人一緒に十字架に花輪をかけました。

次いで、何と、シャドラックくんの親友が呼ばれました。
しかも、「あの韓国人の女の子!」という名指しで。
つまり、ノゾミのことです。
山奥のマサイの集落にキリスト教の宣教のために積極的に入る韓国人は、
日本人よりも有名なのです。

そこで、近くにいた私は、
「2人でも良いか?」と尋ね、
シャドラックくんのクラスメイトで、
シャドラックくんの友達で、
シャドラックくんと勉強その他の学校での活動で切磋琢磨していた、
女級長であるノゾミ同様に男級長であるレビスくんを呼びました。

ノゾミさんとレビスくんは、
2人で花輪を手に取り、
私とジャシンタ先生同様に、
十字架にかけて、
その場を離れていきました。

ノゾミは、さすがに、涙ぐんでいたようです。

私にとっても、
その日の一連の大人中心の儀式の中で、
このノゾミとレビスくんの件が、
唯一心の琴線に触れました。

一連の埋葬の儀式が終わり、
動物たちがやって来て墓を荒らさないようにと、
最後に、墓にとげとげの枝が施され、
会衆一同、帰りの車に乗り込みました。

この、シャドラックくんの墓を、
私が生きているうちに再び見ることはあるだろうか。

名残惜しく、私は会衆の最後に残り、
墓と、風景とを、凝視し、
脳裏に刻んでから立ち去りました。

親に同行してついて来たキラキラのこどもたちは、
ノゾミとヒカリとレビスくん以外にも10人くらいいました。

帰りのバスの中では、
ヒカリとその年長組のクラスメイトのデニスくんが、
歌を歌ったり冗談を言ったりして、
場を和ませてくれました。

20㎞の未舗装道路を終え、
舗装道路に出た途端に、
自動車が牛を4頭はねた事故現場に遭遇しました。

自動車のボンネットは完全につぶれ、
白煙を出し、
牛のうち3頭は恐らく即死し、
1頭は息絶え絶えに首を動かしていました。

私たち生けるものの生死は、
次の瞬間どうなるかわかりません。

わかるのは、
「土から出た人間は、やがて土に帰る」
(旧約聖書・創世記3章)
ということだけです。

これを書きながら、
目の奥に水が湧き出て来ます。

学校が大きくなればなるほど、
こういう悲しい出来事に遭遇する確率も増えていくことでしょう。

感情に素直に、愛情を貫きつつも、
感情に支配されすぎずに、規律とやり繰りとを万全とこなし、
あらゆる不測の事態に対応できるよう、
…、
神様、助けてください。

ナマンガに帰着し、
シャドラックくんのお父さんと強くハグし、
21時、その日は終了しました。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-03-04 23:09 | 現地で 小学校

シャドラックくんの急逝

シャドラック・レマイヤンくん、
2009年9月21日生、
2017年2月28日没、
享年7歳5か月。


2014年11月、
キラキラ保育園の入園手続きを、
これまでの1月初めではなくて、
前年度の11月に初めて実施した際に、
最後の一人として手続きされました。


シャドラックくんのお父さんはキリスト教の伝道師。
お父さんはケニア人ですが、タンザニア人の女性と結婚し、
長年タンザニアのアルーシャに暮らし、
長男シャドラックくんはそこの幼稚園で学んでいました。


しかし、こどもの教育事情を考慮し、
ケニアの教育を求めて、
家族みんなで国境ナマンガに引っ越して来て、
まだナマンガで住む家も決まっていないときに、
キラキラ保育園の入園手続きにやって来たのです。


シャドラックくんは、
2015年の1年間だけキラキラ保育園に在籍し、
翌2016年1月にはキラキラ小学校の1年生となりました。


成績は優秀で、クラスで5番以内。
礼儀も正しく、これもクラスで5番以内に入るくらい。

クラスでの席順はだいたい成績順なので、
ノゾミさん(女学級委員)、レビスくん(男学級委員)とはいつも席が近く、
お友達としていつも切磋琢磨していました。


2016年1月のPTA総会にて、
シャドラックくんのお父さんはPTA会長に選出され、
以降、キラキラを保護者としての立場から先導し、支えて来てくれました。


昨年夏に、私の両親がケニアを訪れた際にも、
保護者代表として直接あいさつしてくれました。


2017年にシャドラックくんは2年生になり、
いつものように勉強に励み、
礼儀正しく、学校での仕事を積極的に手伝いながら、
学校生活を謳歌していました。


ときどき体調を崩すものの、
ごく平均的なこどもの健康状態であり、
とくに持病もなく、元気にしていました。


2月26日(日)、
キリスト教の伝道師であるお父さんと一緒に、
ナマンガから90㎞離れたカジアドと言う町の教会に出かけ、
そこからの帰り道で、嘔吐が始まりました。


翌日、ナマンガの病院で検査を受け、
アメーバ赤痢と診断され、
治療を受けていました。


しかし、治るどころか増悪し、
飲食物が喉を通らなくなり、
嘔吐し続け、
2月28日(火)の夕方、水分補給の点滴を受けた状態で自動車に乗り込み、
タンザニア側に110㎞離れた町アルーシャにある大病院へ向かいました。


しかし、19時頃、
大病院に着く手前、自動車の中で、
帰らぬ人となってしまいました。


シャドラックくんは、
2017年3月以降の地球を経験することがありませんでした。


遺体はその大病院の遺体安置所に預けられ、
両親と関係者はナマンガの家に帰宅し、
早速葬式に向けての話し合いが始まりました。


キラキラ側は、
翌3月1日の朝に連絡を受け、
何人かの先生は声に出して泣き、
涙で目が真っ赤になったままその日の夕方を迎えるほどでした。


私とジャシンタ先生は、
連絡を受けた朝、
早速シャドラックくんのお父さんとお母さんを訪ねました。


ジャシンタ先生は、
屋内にいたお母さんと一緒にしばらく泣いていたようです。


私は、屋外にいたお父さんと一緒に腰かけ、
言葉もなく、しばらく寄り添っていました。


そして、葬儀準備の動きが始まり、
私も早速写真のプリントで協力しました。
誰よりも多くシャドラックくんの写真を撮ってきたのは、
学校のカメラマンである私でしたから。


キラキラでは、数日後に、
ビリカ・キャンパスにて運動会・植樹会を予定していたのですが、
それはすぐに延期としました。


そして、1年前に年少組のサムエルくんが不慮の事故で亡くなった際の額に応じ、
各児童20シリング、各保護者100シリングの募金を始めました。


また、葬儀当日にスクールバスで葬儀に同行する希望者のために、
各自200シリングも集め始めました。


毎晩、シャドラックくんの家の庭では、
葬儀準備委員会の会合が開かれ、
毎晩毎晩私とジャシンタ先生も出席しました。


PTA役員会も召集し、
既に私とジャシンタ先生が始動していた諸々のことの確認と、
具体的な準備や、学校としての姿勢について、話し合いました。


葬儀の2日前の夕方、
キラキラの教職員全員と、
PTA役員および保護者の有志と、
キラキラの児童・園児の有志とで、
シャドラックくんの家を訪問し、
屋外で、お父さんも交えて、
励ましの集会をもちました。


その後、屋内にいたお母さんのところに、
励ますために入って行った教職員・保護者の皆さんは、
みんな一様に泣き顔で出てきました。


小学校調理のジュリアナ先生は椅子に座り込んで涙を流し続け、
保育園調理のジョイス先生は歩き回りながら涙を流し続け、
バスの運転手のジュリアス先生すらしばらく泣き顔で、
そういった姿を見たキラキラのこどもたちの何人かも、
涙をこぼしていたようです。


シャドラックくんは、
学校での食器洗いのお手伝いが大好きだったようです。


まだ若くて未婚でこどものいない男の先生たちと違い、
こどもも孫もいるジュリアス先生の男泣き、納得です。


こういう時は、
悲しみのために無気力・無機能となる人と、
悲しみを覆い隠すために気分が高まって仕事こなす人とに分かれるようです。
キラキラでも、前者となった先生方がいた一方で、
後者として、私以外にも、
保育園のスワレ先生や小学校のナオミ先生などがいて、
募金などの収集・計算・やり繰りに大活躍してくれました。


そして、金曜が終わり、
翌3月4日(土)の葬儀で会いましょうということで、
教職員たち、児童や園児たちとお別れました。


その金曜の晩、葬儀を翌日に控えた最後の葬儀準備委員会の会合は、
久々に降った雨の中で、
みんな傘をさしたり雨に濡れながらの話し合いになりました。


干ばつで苦しんでいたケニアで、
この雨は大地にとっての祝福。


シャドラックくんのために流れた涙も、
当座は悲しみの雨なのでしょうが、
ゆくゆくは祝福の雨になるに違いありません。


相原功志☆キラキラ☆ナマンガ☆ケニア


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by kjkirakira | 2017-03-03 23:53 | 現地で 小学校

24時間戦えますか?

仮設校舎(中国製組立式住宅)の基礎部分の全表面を、
コンクリートでかためる作業の日がやって来ました。

基礎は8メートル×40メートル、
5教室分であり、これまでにない大きさ。

たとえ何人がかりだったとしても、
1日で終えようとするにはちょっと無謀な大きさです。

しかし、この作業は、
コンクリートにひびが入らないように、
何日かにわけてやらずに、
1日で仕上げるべきなのです。

しっかりと準備をして、
職人の人数(棟梁3人+助手12人)も最低限そろえ、
いざ、決戦の日を迎えました。

職人たちも、その日は普段とは違うという自覚があり、
早起きして集合場所にやって来て、
戦闘態勢に入っていました。


いつもよりじゃっかんハイテンションで、
笑い話をしながら作業のスタートです。

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セメントと砂と砂利を混ぜてコンクリートを用意する作業は、
棟梁ケンさん(赤いシャツ)が指揮を取り、
ひたすらひたすらセメントと砂と砂利と水と格闘していきます。

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出来上がったコンクリートを荷車(一輪車)に載せて、
次から次へと基礎の表面に運び入れていきます。

棟梁のムワンジアさんとワイヘンニャさんが、
コンクリートをきれいに施していきます。

荷車を押しているこの太った人はキラキラのスクールバスの運転手ジュリアス先生。
普段はバスを運転しますが、この日は荷車の運転です。

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1教室、すなわち20%が終わったところで、
セメントが予想よりも多く消費されるだろうということがわかり、
あわてて業者に注文です。
何と、1袋50㎏のセメントを100袋(7万円分)一気に注文です。

幸い、遅れずに70袋が届きました。
しかし、これだけでは足らなくなるので、
残りの30袋をひたすら待っていたものの、
業者の事情で配達されないことに。

そこで、大急ぎで建材運送をやっている
キラキラ2年生エンジェルさんのお父さんに電話して、
ピックアップ車でセメント30袋を届けてもらいました。

さらに、砂利が足らなくなりそうだとわかり、
エンジェルのお父さんに砂利も調達してもらいました。

実は、このエンジェルさんのお父さんは、
自己主張の激しい人で、
過去2回、曲がったことが大嫌いな私と激しい口論をしたことがあったのです。
今回、初めて一緒に仕事をすることができ、
私も嬉しく、エンジェルのお父さんも大喜びしていました。
似た者同士は、仲悪くもなれますが、
とっても仲良しにもなれるものです。

水も大量に必要で、
いつもトラックで給水してくれるサムソンさんが、
何と3回もやって来るほどでした。
1回につき5000リットル=3回で15000リットル!

1教室(20%)が終わった時点で、
全作業終了時刻を楽観的に夕方の6時と予想したのですが、
2教室目が思ったほどはかどらず、
予定終了時刻は徐々に徐々に遅めに設定し直されて行きました。

昼は建設、夜は夜警の仕事をしている助手のディクソンさんとピーターさんは、
18時になった時点で、惜しみながら建設現場を後にしていきました。

もう一人、夜は夜警の仕事をしているレイモンドさんは、
この日は建設に集中する!と覚悟を決めて、
夜警は電話で代わりの人に依頼し、
ずっと建設現場に居続けました。
このレイモンドさんは、
キラキラ保育園年長組のユーニス先生の旦那さんです。

こうして、3教室(60%)が終わった時点で、
日が暮れて、夜の部に突入していきました。

懐中電灯を片手に、
または、小さな懐中電灯を帽子に装着して、
見えにくい中での作業です。
スクールバスのエンジンを入れ、
そのヘッドライトで作業場を照らしますが、
さすがに日中ほどには周囲を見渡すことができず、
作業は難航します。

ここで中断して翌日に続ければいいじゃん、
というコメントもあるでしょうが、
覚悟して、戦闘態勢に入っていた職人たちが、
一度リセットして翌日出直すことはもはや不可能なのです。
たとえ何時間かかっても、一気に成し遂げるべきなのです。


私から、パンと牛乳の差し入れをします。
空腹と疲労が少しでもまぎれるように。
パンがこんなに美味しかったとは!
私も何か胸が熱くなります。

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みんな、だんだん無口になっていきます。
逆に、何人かはハイになって、
みんなを先導していきます。

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ナマンガの街から6㎞離れた建設現場のビリカからは、
ナマンガの街が眺望できます。
夜景もきれいです。

b0124020_23513837.jpg
















4教室目に異様に時間がかかり、
みんな疲労困憊で、交替で仮眠を取りながら、
午前0時、最後の5教室目に突入です。

夜中にハイになった棟梁のムワンジアさん、ケンさん、助手のスワレ先生(保育園の事務主任)が、
ひたすら輝いて見えます。

私も、立った状態でもうとうとしてしまうので、
歩き回ったりして何とか自覚を保ちました。
私が崩れて投げ出してしまったら、
職人みんなの士気も一気に落ちるでしょうから。

2時、
3時、
4時、
黙々と作業が続きます。

5時、ようやく終わりが見えてきました。

6時、
スクールバスの運転手ジュリアス先生が準備を始めなければなりません。
居眠り運転しないように、私も一緒にバスに乗り込み、
ナマンガの街中のアンボセリロード・キャンパスに向かいます。

そこで大急ぎで何人かの先生方と話をして、
3・4年生たちをバスに乗せて、
ビリカの建設現場に逆戻りです。

到着した7時、
作業自体は既に終了し、
職人たちが後片付けも終えようとしていました。



完成図。
計15人の職人たち(戦士たち)の戦の後です。

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後片付けを確認し、
職人たちに給料を手渡します。
普段の3倍くらいの額(助手は1500円程度)です。
疲労困憊のために、みんな無表情で受け取りますが、
みんな満足して嬉しくなるくらいの額です。

運転手のジュリアス先生だけは、
大喜びの満面の笑みを見せてくれました。

夜警が終わって朝を迎えていたディクソンさんとピーターさんがやって来て、
「えぇ!今までかかったの!お疲れさま!」と言いながら、
他のみんなの半額の給料を受け取りました。

そして、職人みんなでバスに乗り、
8時、ナマンガの街に帰着しました。

私はお湯で体を洗い、
美味しい大量の食事をとって、
すぐにベッドの中に入って爆睡です。

保育園の事務主任のスワレ先生も、
ちょこっとだけ園に顔を出して早退し、
今日は寝る!と言っていました。

運転手のジュリアス先生も、
夕方のスクールバス出動の時間まで、
建設したての空き教室で横になって寝る!と言っていました。

ビリカの調理・用務員のネルソン先生も、
仕事は奥さんに任せて今日は寝る!と言っていました。

私自身、
大学生時代に何度か試験勉強などで徹夜はしたことはありますが、
今思うと、体を使わずに徹夜するのは楽です。

大学病院での研修医時代に、
病院内をあちこち走り回りながらほぼ徹夜したことはありますが、
やはり、試験勉強などと比べられないくらい過酷です。

今回、体を目いっぱい使った作業での徹夜。
まさに、朝7時から翌朝7時までの24時間フル稼働、
本当に過酷でしたが、
何か胸が熱くなり、感謝と優しさで心が満たされ、
15人の男たちと一体になれた、
貴重な経験になりました。

朝、私たちを迎えた他の先生方もびっくり仰天。
キラキラのレジェンド(伝説)として、
私とジュリアス先生、ネルソン先生、スワレ先生の武勇伝は、
これからも語られていくことでしょう。

もちろん、次回同様の作業を行う時は、
さらにさらに入念に準備をして、
より短時間で終わらせるための努力をしなければなりませんが。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-02-27 23:50 | 現地で 小学校
中国製仮設校舎の基礎部分。
地面よりも少しだけ高めにつくるため、
土で満たさないといけません。

8メートル×40メートルの基礎は、
これまで経験した最大レベル。

毎日男7人がかりで、
近くの地面の盛り上がっている部分を掘って、
その土を基礎の中に入れる作業を、
ひたすらひたすら金土日月火水木金と続け、
ようやく金曜に基礎が土で満たされました。

土で満たされた上に、
石をまんべんなく置いていきます。
その石は、全て3・4年生たちが先生たちの監督のもとで拾ってきたものです。
計約90人くらいのこどもたちが、
1週間余りのうちで、トラック3台分くらいの石を集めて来てくれました。

まさに、みんなでつくる学校、です。

石をまんべんなく散りばめ、
その上に砂をかぶせ、
最終的にコンクリートで蓋をして、
基礎の作業は終了となります。


朝6時40分、
3・4年生の第一陣と一緒に、
職人たちもスクールバスに乗り込んで、
ビリカに向かいます。

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ひたすらひたすら土を運び入れます。

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表面は石を散りばめます。

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大勢のこどもたちが、
雪崩のように石を運んで来ます。

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ときどきこうやって基礎の上に登って、
何か楽しいことを探します。

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職人の一人として働いている、
スクールバスの運転手のジュリアス先生が、
袋に満たした土を運んでいるところで、
こどもたちがダンスと歌で激励し、
それに応えてジュリアス先生もダンスしながら運びます。

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私自身も、
キラキラのこどもたちがいる場所で、
建設作業に取り組むのが念願でした。
こどもたちに、いかにキラキラが建てられて行くかを見せたい!
こどもたちに、いかに私や男たちが頑張って作業しているかを見せたい!

キラキラのこどもたちには、
愛情と勤労精神あふれる大人になってほしいと願います。

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相原 記


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by kjkirakira | 2017-02-24 23:35 | 現地で 小学校

みんなでつくる学校

キラキラ小学校は、
1学期の中間試験シーズン。

4年生たちは、
新しい大きな教室で、
カンニングなどしないように、
机を増やして、
普段は3人がけのところを2人がけにして、
机と机の間隔も広げて、
まるで日本のセンター試験さながらの感じで行います。

彼らが8年生となり、
小学校卒業試験(国家試験)を受ける頃、
無事にキラキラで試験を実施できるようになり、
こんな感じでプレッシャーなく試験に臨めれば良いですね。

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中間試験のために変則時間割です。
その試験と試験の間の休み時間には、
児童総出で建設のお手伝いです。

中国製組立式住宅(仮校舎)の基礎工事のために、
数日後に必要となる大量の石を、
こどもたちに拾って来てもらうのです。

教室のある周辺には石がないので、
普段は行かない隣接地まで行ってもらいます。

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キリマンジャロ(山頂が見えている)を眺望しながらの石拾い。
景観好きの日本人にはたまらないでしょうねぇ。

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建設職人たちは、
黙々と、あるいは、歌を歌いながら、
基礎の石レンガを積み重ね、積み重ね、
何もなかった大地に構造物が出現です。

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相原 記


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by kjkirakira | 2017-02-16 23:19 | 現地で 小学校

キラキラ体育学校

キラキラ小学校は、
体育に力を入れる学校を目指しています。

それは、キラキラの3大テーマ、
①楽しい学校生活
②自立
③各児の才能開花
にもかなっていることです。

お勉強でぱっとしなくても、
体育に才能がある子たちにチャンスをふんだんに与えたい。

学科の授業が退屈でつまらなくて、
まるで懲罰のようだとしても、
体育があることで楽しい学校生活にしてほしい。

また、実社会で役立つ知識や技能として、
文系よりも、理系よりも、
体育会系的な訓練が重要です。
それは、チームワークであったり、
あちこち体を動かしながら働くことであったりします。
例えば、教師という職業もまさに体育会系的です。
つまり、体育を重視することで、
実社会での自立も促すことができるのです。

もちろん、3大テーマを全うするうえで、
弱者に寄り添うことは忘れてはならず、
体育嫌いの子、体育が苦手な子の存在も忘れてはならず、
十分に配慮していかなければなりません。


建材調達が遅れて、
前日に引き続き建設が休みになったこの日、
1・2年生部門の体育の時間にまるまる立ち会うことができました。


男子たちの短距離走のスタートです。

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1・2年生でも十分に迫力がありますから、
高学年だとなおさらです。

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往路の軽い登りに比べ、
復路の軽い下りはスピードも増します。

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女子たちです。

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こちら、ネットボール。
先日設置したゴールポストが大活躍です。

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ネットボールは、簡単に言えば、
バスケットボールからドリブルを排除したもの。
3歩まで歩いて良いのですが、
すぐにパスを出すかシュートしなければなりません。
アフリカの学校での、
でこぼこの地面(ボールがイレギュラーバウンドしてしまう)、
傾斜のある地面(ボールをドリブルしにくい)、
とげとげや石などが多い環境(ボールがすぐにパンクしてしまう)、
ボールの質が悪い(空気が多少抜けてもパスだけなら問題ない)、
といった状況にうまくマッチした球技なのです。

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体育を通して、
キラキラのこどもたち、ナマンガの原石たちが、
健全な心と体を育くみ、
黄金の強さと価値と輝きを得ることができますように。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-02-14 16:36 | 現地で 小学校