アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:現地で 特別児童( 23 )

マリアの引越しと転校

マリア(仮名)

2001年5月生まれのほぼ13歳。
しかし、発達度合いは9歳程度。

エイズ・ウイルスに母娘ともに感染しており、
まだキラキラ保育園の年中組に在籍していた2008年頃には、
瀕死の状態を繰り返していました。

このウイルスに感染している人口は、
ナマンガでは感覚的に10%程度。
小さいこどもへの感染は、
主に母子感染によるもので、
これも10%程度。

まだまだ偏見があり、
エイズそのもので死ぬのではなく、
偏見に満ちた町の人たちからの様々な攻撃によって死ぬ、
と言われているくらい。

様々な攻撃、というのは、
噂話であったり、中傷であったり、
村八分であったり、いろいろです。

医療ももちろんなのですが、
それ以上に、教育や宗教を通じた、
人々の道徳や倫理の向上が求められています。

キラキラにも、10人に一人くらいの割合で、
「多分?」と想像できるこどもたちがいます。
発育が遅れていたり、頻繁に病気にかかったり、
保護者の方がやけに昼食や厚着にこだわったり。

しかし、保護者の皆さんは、
なかなか本当のことを言ってくれません。
私はキラキラのコーディネーターとして、
全ての個人情報に関して守秘義務があり、
それを全うしている、
ということを暗に公表しても、
このウイルスに関してはそう簡単に口を開いてくれないのです。

それも納得できます。
というのも、
ナマンガの医師たちや看護師たちが率先して、
このウイルスに感染している人たちの情報を漏らして、
噂話に加担しているくらいに、
ナマンガの状況が悲惨なのですから。

そうした中で、
後にも先にも唯一真実を告げてくれたのが、
このマリアとそのお母さんだったのです。

マリアが検査で陽性と言われた後、
お母さんも検査で陽性と言われ、
それを私に告げてくれた2009年1月以来、
母・娘・キラキラ(といってもほぼ私一人)との三人四脚が始まったのです。

その後、
月一でナイロビの国立病院に通い、
日々の服薬を欠かさずにしていました。

二転三転を繰り返しながらも、
母娘ともに健康状態は大きく改善し、
母の生活も改善し、
子育てに対する姿勢は真剣さを増し、
娘マリア本人もそれを自覚し、
発育が遅く耳が聞こえず耳が臭うことでいじめられてもそれに耐え、
精神的に悲惨な状況にあるナマンガで、
健気に生き延びてきました。

ある時、土曜補習教室で、
マリアのことをいじめていた少年マンデラを、
思い切りぶったたいて思い知らしめたことがあります。
マンデラは、「将来大統領になる」と言うくらいに、
責任感が強く、努力家で、
小学校のクラスでも当時級長をしている少年でした。
マンデラはおいおい泣いて、
「もう決していじめはしない」
と誓ってくれました。
その後、マンデラは前にも増して好青年になり、
キラキラ補習教室は平和的にみんな仲良く経過しています。


さて、昨年の12月、
「コージ先生、お話があるんですが」
と母に呼び止められ、聞いてみると、
ナイロビに引っ越したいのだそう。

自分たちの人生の話なので、
私から引き留める必要はありません。
「故郷から離れた土地で、生活を成り立たせていく覚悟と自信はあるのか」
それだけ確認しました。
(この質問、11年前にアフリカ移住を決意した私自身に対する問いでもありました)


1月の初め、故郷ナマンガに帰省していた母と面談し、
ナイロビでの新生活が順調に経過していること、
マリアの転校先の小学校も確保できたこと、
ナイロビ郊外で自然環境がとても良い所で暮らしていること、
生活費などを支援してくれるパトロン(恋人?愛人?)がいること、
母自身が小さな商売や小さなバイトをして少しずつ稼いでいること、
他いろいろな報告を受けました。

支援者(パトロン)ができたのなら、
一気に支援をやめれば良いのに、
という考え方もあります。

しかし、
その支援者がいつ撤退するかわかりません。
一時の気まぐれかもしれません。
キラキラは最初から全てを背負う覚悟でしたので、
最低限責任を持ち続け、
最後まで見届けていく必要があります。


ここで、少しだけ個人的な話をいたします。

私のワークパートナー(活動仲間)であり、
ライフパートナー(伴侶)でもあるジャシンタ先生は、
自分自身が貧乏であったにもかかわらず、
ずっと前から遠縁の孤児たちを自費で養ってきました。

それを噂で聞きつけてやって来た、
孤児の何人かの亡き父親の元同僚たちは、
大いに感動し、
物資・資金の援助をする決意をしました。
それは、元同僚の孤児たちを支援するのではなく、
善意に満ちたジャシンタ先生を支援するという意味合いでした。

その後、ジャシンタ先生は私と結婚し、
その支援も途絶えるかに思われました。
というのも、
私が金持ちだろうが貧乏だろうが、
こちらの人々にとってみれば、
外国人は間違いなくお金を持っている存在なのであり、
そうした存在がついているなら、
もはや支援しなくても良いだろう、
と考えるのが自然だからです。

しかし、その人たちは違いました。
全くぶれませんでした。
決意した通りに、
現在に至るまで支援を続けています。

約束を全うしない、
約束を全うできない、
そんな人たちが多い中で、
その人たちは、まさにアフリカの宝です。

もちろん、私たち家計でも、
部分的には孤児たちのための出費がかなりあります。
(このために私たちを個人的に支援してくださる、
日本のNさん、Fさん、Hさん、Oさん、感謝です)

しかし、その人たちの支援が大きいからこそ、
全てが可能になるのです。

ちなみに、私たちの孤児たちの支援・養育は、
最後の孤児がセコンダリー校を卒業する、
2016年末まで続きます。


よって、マリアに関しても、
母娘が私たちからの支援をいまだに必要としている以上、
私たちはぶれることなく、
一時の気まぐれや感情論で支援を一方的に中止することなく、
続けていく所存です。

しかし、いつまでもだらだらと、
ということではありません。

キラキラとしては、
母娘の状態が改善していくとともに、
年々支援を減額してきていました。

今年は月3600円程度、
来年は月2400円程度、
そして、5年以内に支援を終了できれば良いと想定しております。
エンディングが見えてきたのは良い兆しです。


マリアの件、募金の残高は当面十分にありますので、
心の中での応援を、引き続きお願いいたします。


昨年11月の補習教室で、マリア(手前)

b0124020_17152237.jpg















マリア(中央のカメラ目線)

b0124020_16300748.jpg
















K.A.記


[PR]
by kjkirakira | 2014-02-04 17:36 | 現地で 特別児童
メリー・セエンダ。

1996年生まれの少女。
キラキラが支援する特別支援児童の一人。

家がきわめて貧しくて、
それでも健気に小学校を終え、
本人の切ないまでの熱い希望と、
多くの人の推薦を受けたうえで、
セコンダリー校進学の支援をすることに。

(2012年2月頃のブログ参照)
(2012年4月発行のキラキラだより参照)

テレビ番組「何故そこに日本人」でも、
私がメリーに学費を手渡しているところが写され、
メリー本人へのインタビューも写されていました。

支援開始当時は、
多くの日本の方々に共感していただき、
皆さん、それぞれに思いと心をこめて、
支援金を送ってくださいました。

改めて、メリーの支援者の皆さまに、
心から感謝申し上げます。


しかし、この度、
残念な報告をしなければならなくなりました。

いや、9割残念、1割は喜ばしい報告でしょうか。

メリー自らが、
キラキラからの支援を受けることをやめる選択をしたのです。

今日は、この経緯を説明してまいります。


セコンダリー校1年目(2012年)は、
試験の成績もクラスで五本の指に入るくらいに優秀で、
しっかり者で、級長にも選出され、
学校の先生曰く、「ベスト」な生徒だったようです。

変化は徐々に、
2年目(2013)の初め頃から始まっていました。

メリーがしょっちゅう遅刻する。
メリーの無断欠席が多い。
そんな噂を何度も小耳にはさみました。

能力のない実母にかわって、
何度も学校に呼び出されていたのは、
近くに住むおじさんやおばさんでした。

彼らも、なかなか本当のことを言ってくれませんでした。
メリーの悪いところを私に告げ口することで、
せっかくの支援の機会を逸してしまったら、
生涯自分たちが責任を負わなければならないということを、
危惧していたのでしょうか。

確かに、他人の話ではなく、
私としても、
メリー本人からの事実と真実の説明を必要としていました。

しかし、メリー本人に問いただそうとしても、
もっともらしい理由を並べ立てるだけで、
少しも本当のことを言ってくれませんでした。
ある意味、半ば知りつつも、
わざと騙され続けていたのです。

それに、こうした反抗期は、
十代後半の少年少女によくあること。
とにかく何とか通学しているのだから、
このまま様子を見ようと静観していました。

ある日、メリーがズボンをはいている姿が目撃されました。
ここナマンガのマサイの保守的なコミュニティーでは、
学校に通っている若い女の子が、
ズボンをはいて街を歩くことはタブーなのです。

キラキラ保育園の事務室にいる私に会いに来る時も、
ズボンをはいていることがありました。
普通のズボンだし、
今どきの文化では十分あり得る話なので、
じっと静観していました。

ある日、メリーの近所のおじさんからの電話で、
メリーが午前2時に帰宅する、といった話を聞きました。
彼氏でもできたか?いろいろ憶測しました。

ここナマンガでは、
学生が異性といちゃいちゃするのは、
即、妊娠→退学→出産→家計の負担となるので、
タブー視されています。

ある時、
学費としていくらいくらのお金が必要だと言って、
私の事務室を訪れました。
その根拠となる印刷物がなく、
「学校の先生か事務の人に、
支援者の人が正確な金額を知りたがっているからと言って、
一筆書いてもらって来て」
と指示しました。

その後、何日経ってもやって来ません。

しばらく経って、
試験の結果を記した通知票を持ってやって来ました。
そこにはしっかりと学費の金額が明記されていました。

後日、しっかり、キラキラがこれまで支援してきた金額が、
全て学校に納入されていたことを確認しました。

しばらくの期間、
「試験はなかった」という報告ばかりだったのですが、
実は試験もしっかり行われていたことが判明。
それも、1年目の最初の頃とは比較にならないほど、
散々な成績!
下から数えて五本の指に入るくらい。

それでも、嘘をついてでも体裁を取り繕うのは、
アフリカ的(いや、ナマンガ的かな?)文化でもあり、
一般的な十代後半の少年少女の自己防衛手段でもあると信じ、
静観し続けました。

2年目の終わり頃、ついに、
メリーにとっても学校側にとっても、
限界に達してしまったようです。

私のところに、メリーからの、
2年目の終わりの報告がないまま、
2014に入りました。

これまでずっと、メリー本人とその取り巻きに委ねて、
側面から脇役としての支援を続けてまいりましたが、
この1月、ついにジャシンタ先生が、
メリーが通うナマンガ・セコンダリー校の校長先生に会いに行きました。

そこで、全てが明らかになりました。

2年目の終わり頃、
学校でメリーがある事件を起こしました。

授業中、ロッカールームの方から携帯電話の鳴る音が聞こえてきました。
授業を担当していた先生がそちらの方に行き、
誰のロッカーから音がするのか確かめようとしたのですが、
わかりませんでした。

休み時間をはさんで、
また、携帯電話の音。
ついに端末が発見され、
そのロッカーの持ち主だった女子が職員室に呼ばれました。

もちろん、携帯電話の学校への持ち込みは校則で禁止です。

しかし、間もなく、その端末の持ち主はその女子ではなく、
それがメリーの物だったことが判明したのです。

極貧のメリーが何故携帯電話を持っていたか?
ナマンガでは、運良く携帯の端末を人づてで入手することはよくある話。
メリーの場合は、彼氏からの援助だったのかな?
それとも、知り合いのお古だったのか?

恐らく、休み時間の間に、
自分の携帯端末を、
他の女子生徒のロッカーにこそっと移し、
自分のものではないように偽装していたのです。

職員室に呼ばれたメリーは、
反省の色をこれっぽっちも見せずに、
大いに開き直って、
先生たちにぞんざいな口応えをしたようです。

そんなわけでメリーは、
校則違反と、素行が悪いという理由で、
保護者を伴って学校に来るまでの間の停学処分を言い渡されたのです。

保護者、といっても、
実母は全く能力がなく、
連れて行けません。

いつものおじさんやおばさんにお願いして、
一緒に先生方に謙虚に会いに行けば良かったのですが、
メリーは限界を感じたのでしょうか。
おじさんやおばさんに本当のことを言うことすらせず、
そのまま通学せずに2年目が終わり、
2014に突入したのです。

私はてっきり、メリーは入学時に、
校長先生や主だった先生方に、
自分は学費支援を受けているということを告げていると思っていました。
そのように私もメリーに支持しておいたのですから。

しかし、校長先生は、
メリーの学費が毎回しっかり払われることを不思議に思いつつも、
支援者の存在のことは全く聞かされていなかったとのことです。

校長先生いわく、何故に、
「ベスト(最良)」だった生徒メリーが、
「ワースト(最悪)」に落ちてしまったのか嘆きつつも、
家庭の極貧な背景を知り、
うなづいていらしたようです。

間もなく、メリー本人から、
私のもとに手紙が届きました。
2014年1月20日のことです。
その手紙も、人づてで渡ってきたものです。

そこにはこう記されていました。
(日本語訳)

☆☆

コージ先生へ
これまでご支援いただき、心から感謝申し上げます。
私から、あなたのご支援に対してお返ししたりすることは何もできないのですが、
生ける神様があなたとその関係の皆さまを、限りなく祝福してくださいますよう、
ひたすら祈るばかりです。
この度、失礼とは存じますが、
あなたから私へのご支援を中止してくださいますよう、お願い申し上げます。
重ねてお礼申し上げます。
神様の祝福がありますように。
メリー・セエンダより

☆☆

何の具体的な説明もなく、
ただただ感謝と祝福の言葉だけ。

これまで、メリー支援に関わってきた人たちに報告しました。

メリーの近所のおじさんたちや、
メリーの地域の長老たちは、
相当に驚いて、
メリーは何てことをするんだ!と。

すぐにでもメリーを説得して、
支援中止の選択を撤回させようという勢いでした。

また、メリーが卒業した小学校の校長先生も、
びっくりで言葉を失いました。

翌日、メリーをよく知るそこの小学校の先生が、
メリーの自宅まで様子をうかがいに行ったそうですが、
本人に会えず、
ただ、家族たちが何かを隠しているような、
私たち教育関係者がもはやつけ入る隙がないような、
そんな、悲しく、嘘と偽善で塗り固められた雰囲気を感じ、
深追いせずに戻って来たそうです。

数日後、メリーの近所のおじさんから、
ナマンガの北40㎞ほどのンガタタイクという町に、
メリーと一緒に行って来たという報告を受けました。

メリーは、
ナマンガ・セコンダリー校への復学が、
もはや難しいと悟って、
ンガタタイクのセコンダリー校への転校を決意したようです。

こうした転校の場合、
前の学校の学費をしっかり全納し、
何の後ろめたさもない状態で、
前の学校からの「転校許可証」を取得して、
それを携えて転校先の学校を訪ねるのが定石です。

メリーの場合、
学費はしっかり全納しており、
この点では何の問題もないのですが、
学校に行きづらい状態の中、
どうやってその「転校許可証」を手に入れたのか。

また、メリーはそのンガタタイクに住む親戚たちとねんごろに話し、
セコンダリー校の残り2年分の学費を援助してもらう約束をしていたそうです。
もっとも、これも嘘かもしれませんが…。

支援開始時に、メリーとの間に同意書を作成しました。
そこには、
「仮に今後資金面で潤い、
支援に頼らずに学費の支払いなどが可能になる場合、
支援を受けることをやめるようにする」
という項目がありました。

ナマンガでは、人の栄枯盛衰が激しく、
ちょっとしたきっかけで浮き沈みするのです。
極貧だったメリーの家庭が、
急に裕福になることもあり得るのです。
そうした場合、支援を続ける必要はなく、
良かったね、めでたしめでたし、ということで、
喜んで支援を中止できます。

メリーの名で集めた募金を、
メリーだけのために使い切らなきゃ、
といった会計の束縛もなく、
本当に支援が必要なこどものために、
臨機応変に転用できるのです。
(2010年のキラキラを支える会の総会で可決)

そういう意味では、メリーの選択は、
嬉しいことではあります。

しかし、素行不良で前の学校で問題を起こした彼女が、
環境を変えて更生できるのでしょうか…。

さらに、そのおじさんの報告では、
メリーの学費の出資者となるその親戚も、
懐事情がそれほど豊かではなく、
転校先のメリーの1学期分の学費を、
辛うじてやっとこさっとこ捻出していた、
とのことです。

アフリカの人、とくに、
識字率の低い地域の人たちは、
何事も楽観視して、
「何とか払えるだろう」くらいの軽い気持ちで物事を始め、
結局払えずに立ち往生したり、
借金を抱えたまま財産を取り上げられる、
といったパターンが多いのです。

この、メリーの親戚という人たちも、
このパターンではないかと思います。

そんな状況を目の当たりにして、
メリーに随行してンガタタイクまで行って来たおじさんは、
何とかキラキラからの支援を復活できないものか、
と嘆いていました。

ただ、キラキラの姿勢としては、
仮に今後、ンガタタイク・セコンダリー校の学費を支援するとしても、
メリー本人がやって来て、
これまでの嘘を全て撤回し、
事実と真実だけを自分の言葉でしっかり説明するという、
最低限の条件をクリアしてもらってから、
ようやく支援再開の可否を相談する座に着く、
ということになります。

メリー本人が、
支援の中止を選択・決意し、
私に直筆で手紙を書いてきた以上、
既に時は遅いでしょうが。


そんなこんなで、
メリーは今ではナマンガから40㎞離れたンガタタイクで暮らし、
そこのセコンダリー校に通っています。

卒業まであと2年。
金銭的に、学力的に、人間的に、
しっかりと全うして卒業にこぎつけられるよう、
心の中でだけ応援することになりました。

キラキラが小学校を新設し、これまで快調に経過し、
保育園の入園面談もすさまじい盛況さを呈し、
スコラやアブラハムやマリアがキラキラの支援を大事にする中で、
唯一、残念?汚点?ダウン?のメリーの嘘、メリーの選択です。

言い訳がましいかもしれませんが、
小学校や保育園といった大きなプロジェクトの運営と違い、
人の人生を支援するということは、
こうしたリスクを常に抱えており、
時には失敗することもやむを得ません。

逆に、今の失敗が後の大成功につながることもあり得るのです。

メリー自身の選択を尊重し、
キラキラはメリーから手を引かせていただきたいと思います。

仮に、将来メリーが後悔するようなことがあっても、
その後悔から必ずや大切なものを学び、
自分の息子や娘たちを正しく導いていくようになることでしょう。

また、重複しますが、
メリーの名で皆さんが提供してくださった募金の残金は、
これからセコンダリー校へ進学するアブラハムや、
将来的に支援することになるキラキラ関係のこどもたちのために、
ますます有効に使わせていただく所存です。

長文につきあってくださり、
ありがとうございました。

嘘のない、真実と真心をこめて、
お祈り申し上げます。
メリーを応援・支援してくださった皆様に、
神様の豊かな祝福がありますように。


キラキラ・プロジェクトコーディネーター
相原功志 記


[PR]
by kjkirakira | 2014-02-02 22:18 | 現地で 特別児童

アブラハムの進路決定

アブラハム・レンカイ。

1997年11月7日生まれ。
キラキラ保育園登録番号3番、
つまり、2004年の保育園開園当時の
15人のうちの一人。
とても利発で優秀な子で、
当時から将来が有望視されていました。

2005年、キラキラ年長組在学時に、
生みの母を病で亡くし、
その後亡き母の親戚に奪われるように引き取られ、
生みの父が再婚した後にナマンガの家に戻り、
継母のもとで居心地の悪さに非行少年化しかかっていたところを、
キラキラの特別支援児童として、
学費や寮費を支援することにして、
家から離し、
全寮制のビシル小学校の5年生に転入させたのでした。

2012年、7年生の時、
生みの父も病死。
完全な孤児となってしまったのです。
そこで、キラキラは、学費と寮費だけでなく、
学校関連の諸経費まで面倒見ることに。

幸い、取り巻きのおじさんたち(血のつながらない地域の人たち!!)が、
それぞれに役割を担ってアブラハムを支援し、
生活や学業に不自由なく、
何とか小学校8年生を終え、
卒業試験を受け、
卒業にこぎつけたのでした。

卒業試験の結果は、
1か月前のブログの記事に書いた通りで、
500点満点中の313点。
「きわめて優秀」とは言えませんが、
「まあまあ優秀」な成績であり、
セコンダリー校(日本の高校に相当)への進学支援を続けることは
もはやキラキラの責務となりました。

ケニアのセコンダリー校進学の方法は、
卒業試験の結果を受けて、
そのレベルに相応するセコンダリー校からお声がかかり、
そこに進学するのが定石です。

しかし、それ以外の学校に進学したい場合は、
卒業試験の結果を引っさげて、
そこの学校を訪問してお願いする、
というやり方もあります。

アブラハムの場合、
ナマンガからほんの15㎞程度北上したところにある、
公立キルアニ校からお声がかかりました。

ケニアでは、
小学校は既に私立の方がレベルが高くなっているのですが、
セコンダリー校は公立の方がレベルが高いのです。

それに、公立の方が学費が安くて助かります。

さらに、行き帰りの交通費と手間がばかになりません。
各学期の初めと終わりの往復に加え、
中間休みの往復もあり、
PTA会議のための、保護者の往復もあります。

そして、アブラハムの本拠地はナマンガ国境のタンザニア側であり、
亡き父母の親戚たちはタンザニア側の都市や村におり、
弟のダニもタンザニアのアルーシャの親戚に引き取られているのです。

つまり、このキルアニ校、
全ての面において最高のロケーションで、
とてもエコノミーな選択肢なのです。

キラキラを含め、
普段からアブラハムの支援をしているおじさんたちも、
全員一致でこのキルアニ校に賛成し、
いよいよ具体的に準備するという段階に入って来ました。

私は、キラキラ保・小それぞれの事務室で、
アブラハムが必要な教科書類や文房具をそろえ、
足らない分は買いに行かせることに。

ジャシンタ先生は、知り合いのつてを通じて、
寮生活に必要なもの、つまり、
マットレスや毛布やバケツや収納バッグなどを購入し、
靴だけは自分で会に行かせることに。

個人的に支援するンジョロゲさんが、
足らない物の買い物や、
病院での健康診断票や、
ナマンガの町役場での書類などに奔走してくれています。

このンジョロゲさん、
以前から、キラキラによるアブラハム支援のパートナーとして、
アブラハムの父親代わりになっている人なのですが、
幸い、彼の息子さんがこのキルアニ校の2年生であるとのこと。
これほどうってつけなことはありません。

ちなみに、キラキラ出身で初めて地元の小学校を卒業したセレウも、
同じキルアニ校の2年生。

左より、ジャシンタ先生、アブラハム、ンジョロゲさん。

b0124020_01442507.jpg















このアブラハムの笑顔を、
支援のきっかけをつくってくださった日本のM枝さん、
支援の大きな後押しをしてくださった日本のW田さん、
他、多くの支援者の皆さんに、ささげます。

キルアニ校の入学日は2月5日(水)。
それまでにしっかりと準備してもらい、
セコンダリー校生支援用のキラキラとの同意書にアブラハム自身にサインしてもらい、
1年目の学費などを託し、
新章に向けて旅立っていってもらいましょう。


K.A.記


【追伸】

特別支援児童のための募金には、
だいぶゆとりがありますので、
アブラハムのための募金は再開せずに、
しばらく様子を見ることにいたします。

キラキラ小学校建設のための募金を、
どうぞよろしくお願いいたします。


[PR]
by kjkirakira | 2014-01-31 23:44 | 現地で 特別児童
キラキラの特別支援児童のアブラハムは、
1997年11月生まれの16歳。

昨年末に小学校8年間の課程を終え、
小学校卒業国家試験を受けました。

その試験の結果が12月31日に発表されました。
朝9時からそのための式典が開かれ、
国の教育省の主だった人たちのスピーチに次いで、
全国トップ10の児童たち、
ケニア47全県の平均点、
平均点で見る上位校、
その他の結果や順位などが発表されました。

5教科500点満点です。
全国1位の児童は444点を獲得していました。

早速、携帯電話のSMS(メッセージ)で、
アブラハムの結果を確認しました。

英語 62点
スワヒリ語 70点
数学 48点
理科 61点
社会科 72点
合計 313点

彼の実力、環境、私たちの期待などから見るに、
可もなく不可もないといった結果でした。

ちなみに、
数年前にナマンガ小学校の女子1位だったスコラは311点、
数年前にメリーは250点くらいでした。

しかし、アブラハムも数学が弱いですねえ。
しかし、アブラハムに限った話ではなく、
ケニアの青少年の大多数が、
数学を苦手としているのは事実です。
理由は、先生方のレベルと指導方法にあると言えます。
時々セコンダリー校生(高校生)に数学を教えてあげる機会があるのですが、
基本的なことを理解できていなかったり、
どうでも良いことにこだわっていたり、
数学を習得するための基礎ができていないことを痛感します。
JICAが一昔前、理数科教師として、
大勢の青年海外協力隊員を東アフリカに送っていたこともうなずけます。

父母を亡くし、運命に翻弄され続けてきたアブラハム、
何とかナマンガから近いところのセコンダリー校(高校)への進学を決め、
新章に入って行ってほしいものです。

アブラハムと相原功志 2013年9月撮影
b0124020_13262656.jpg
















K.A.記

[PR]
by kjkirakira | 2014-01-01 13:51 | 現地で 特別児童

マリアの脱臼

特別支援児童のマリア(仮名)。
あのウイルスを抱えており、
しょっちゅう体調を崩し、
12歳というのに成長も発達も著しく遅れています。

先日、ちょっと離れたところに遊びに出かけたところ、
ある女の子とちょっとしたもめごとになり、
手で少し押されて、岩の上に倒れ、
ひじ関節だか手首の関節だかを脱臼してしまいました。

ナマンガには、レントゲン写真の撮れる設備のある病院が一つもありません。
それで、翌日80㎞離れたカジアドの病院に行き、
骨折ではなく脱臼と診断され、
修復され、ギプスで固定されて帰って来ました。

けんか相手の女の子の親に、
治療費を負担してもらうよう交渉中のようです。

早く治って、ストレスのない日常生活に戻ってほしいものです。


b0124020_15292865.jpg




K.A.記
[PR]
by kjkirakira | 2013-05-16 15:39 | 現地で 特別児童
アナスタシアの続きです。

土曜日の補習教室にひょっこり遊びに来て、
その週明けの月曜から、
何とか毎日保育園にやって来るようになりました。
楽しく笑顔で毎日園生活を送っています。

しかし、家庭の事情は燦燦たるもの。

ある日、アナスタシアのママは、
アナスタシアとその妹(1歳半)を連れて、
兄の奥さんを訪ねました。
兄夫婦の息子セドリックも、
キラキラの園児です。

「今からちょっと病院に行って来る間、
アナスタシアと下の子を、
この部屋に寝かせておきたいのだけど」
と言うので、義理の姉は、
小一時間くらいならば大丈夫、と、
お隣の、建築途中でまだ誰も住んでいない空き家を解放したのでした。

その翌朝、
義理の姉は赤ん坊の泣き声で目を覚まします。
何と、アナスタシアのママは結局戻らず、
こどもたちがそのまま置き去りにされていたのでした。

その後、アナスタシアのママの消息はわかっていません。

アナスタシアの方は、少なくとも、
ナマンガの中であれば、
少ない親戚や知り合いを頼って歩いて回ることができます。
しかし、下の妹が不憫でなりません。
結局、兄夫婦、つまりセドリックの家族で当面引き取られ、
アナスタシアも毎日セドリックと一緒にキラキラに通学しています。

何てことだ!
と思うかもしれません。

しかし、実は、もっとすごいケースがあったのですよ!

我がジャシンタの、
いちばん上の姉(故人・精神疾患あり)と、
2番目の姉(常識を超えて無礼・不作法)が、
さらにひどかったのです。

産まれて生後間もない子たちを、
捨てるように母親(故人)に預け、
ただでさえ生活が大変なのに、
本人たちは好き勝手に生きていたそうなのです。

母親は外で働かなければ食べて行けませんでしたから、
そうした姉たちの子たちの面倒は、
9人兄弟姉妹の中の3番目で末の娘であるジャシンタが見ていたのです。

まだ6歳のアナスタシアが、1歳半の妹の面倒を見る。
ジャシンタに言わせると、
過去の自分が重なる…、
そして、
いや、自分はもっと大変だった…、と。

さらにひどいケースも、
ケニアには多くあります。

ナイロビの数々の孤児院には、
生後すぐに産み捨てられた孤児たちがたくさんいます。
病院で産まれてすぐに、母親が逃げて、
そのまま孤児院に運ばれて来たとか、
路上やゴミ捨て場に放置されていたのを、
救われて孤児院に連れて来られたとか。

幸い、ナマンガのような田舎では、
まだ祖母、おば、姉のような存在が強く、
産み捨てられて孤児院送りというケースは少ないですね。

最近、ケニアの政治家や大臣は、
自分たちの給料値上げを検討しているようです。
もっと他にすべきことが山積しているのに。


朝礼風景です。
アナスタシアはとりあえず制服(赤と黒)を着ずに登校です。

b0124020_17395025.jpg



アナスタシアと従弟のセドリック。
セドリックはキラキラでも有数の癒し系の人気者です。

b0124020_17394415.jpg




K.A.記
[PR]
by kjkirakira | 2012-10-12 18:10 | 現地で 特別児童
何回か前のブログの記事で紹介した、
試練の少女アナスタシア(2006年生まれ、年長組女児)。

あの後、
離婚したお父さんの方に身を寄せていましたが、
またお母さんの方に戻って来たようです。

しかし、まだ、
キラキラ保育園の方に登校して来る気配はありません。

本日、土曜、
キラキラ補習教室の昼食の時間、
そのアナスタシアがフェンスの外の道路に現れました。

土曜補習教室の調理担当は、
保育園の年長組担当のジョイス先生。

状況から察するに、
アナスタシアに同情したジョイス先生が、
アナスタシアのために昼食の残りを少し分けて、
よそって用意していたようです。

私もすかさずアナスタシアを呼び止め、
校門を開け、敷地の中に入れ、
みんなと一緒に昼食の席に与らせました。

小学生に混じって、
一人だけ保育園児で、
同年齢のこどもたちよりも体が一回り小さいアナスタシア。

昨年キラキラ保育園の女学級委員だったマグダレン(小学1年生)も、
アナスタシアの苦労は知っています。

ほんのひと時、
みんなと一緒にお腹を満たし、
みんなと一緒に楽しいひと時を過ごしました。


今日はきれいな新しい服を着ていました。
誰かが憐れんで恵んでくれた服なのでしょうか。

b0124020_2345880.jpg




日本の支援者の皆さんへお見せするお勉強ノートの作成です。
アナスタシアが今日ようやく仕上げ、
これで全員分そろいました。
会報12月号送付時に、
アナスタシアの紙が当たった日本の方は、
宝くじに当たったかのように喜んでいただけると幸いです☆

b0124020_23454751.jpg




和やかに遊んでいます。

b0124020_23453426.jpg




その後、みんなを家に帰し、
しばらくしてから、
事務室で一人仕事をする私に向かって、
フェンスの外から、冷やかしで、
「ティーチャー・コージ!」(こうじ先生!)
と何回か呼びかけたりしながら、
近所のこどもたちと一緒に遊んでいました。

月曜日には、
しっかりと保育園に登校してほしいと、
切に願います。


K.A.記
[PR]
by kjkirakira | 2012-10-07 00:08 | 現地で 特別児童
2005年に実母を失い、
今年2012年5月に実父を失い、
兄・姉・弟とともに孤児として取り残されてしまった、
1997年生まれの小学7年生、
少年アブラハム。

今後の支援体制をどうするか、
しばらく様子を見ていたのですが、
ようやくある日、Nさんがキラキラを訪れ、
面と向かって詳しい話を聞くことができました。

アブラハムの父の死後、
その友人だった人たちが、
こぞって孤児たちの支援に名乗りを上げ、
これまで責任を持ってそれを果たしているのです。

このNさんも、Pさんという人も、Vさんという人も。
ナマンガにいる間の衣食住は、
そうした善意のある大人たちによって、
何とか成り立っているようです。

おかげで、キラキラとしても、
キラキラの分を果たし、
アブラハムの学校生活に支援を集中させることができます。

Nさんも、アブラハムの後見人として、
キラキラから託された学費をしっかり納入することや、
アブラハムの学用品、学校生活必需品をそろえることや、
学校の授業参観やPTA会議に参加することなどに、
快く同意してくれました。
決心した以上しっかりやってくださる人です。
ですので、私とも話がしやすいです。
これから、アブラハム支援はスムーズにいきそうです。

さて、ケニアでは、
全国の公立学校の教職員による、
賃上げ要求のストライキが続き、
ケニア政府と教職員組合との間に、
有言・無言のバトルが繰り広げられていました。

このため、3学期開始のまるまる3週間、
自宅から通学しているメリーやマリアなどの児童生徒たちは、
通学が妨げられて自宅待機しており、
全寮制の学校に泊まり込みで通うアブラハムやスコラなどの児童生徒たちも、
学校に戻れずに自宅待機していました。

この度、ようやくケニア政府と教職員との間に合意が得られ、
公立学校の3学期が3週間遅れでスタートしました。

Nさんとアブラハムは、その準備もあって、
昨日キラキラを訪問。
3学期の学費5000円と、
往復の旅費300円と、
寮生活のお小遣い2か月分500円とを託しました。
他の必要な金額は、
後日PTA会議にNさんが出席してしっかり確認した後で、
キラキラに請求してくださる、ということになりました。

「他に何か必要なものがあるか?」との問いに、
「Fさんが学用品や寮生活必需品はそろえてくださったので、
他に必要なものは当面ありません」との答え。

この答えと態度に、私も嬉しくなりました。

もちろん、キラキラとしては、
そうした必需品の支援もする心づもりはできています。

しかし、以前にアブラハムに言ったことがあります。
「お金に対して、正直でありなさい。
日本の支援者の方々も、私も、
普段から1円たりとも無駄にしていないのだから」

つまり、こういうことです。

キラキラからアブラハムへの出費が、
今回のFさんの協力により、
仮に200円の出費が節約されたことで、
後の日に、支援を本当に必要とするケースに、
その200円を転用できるようになるのです。

また、この正直な態度は、
今後のアブラハムの人間形成にとって大いに有効です。

そして、既に物を用意してくださったFさんご自身も、
喜びを増し、アブラハムへの愛を増し、
見えない形で神様からの報酬を受けるのです。


Nさん(左)とアブラハム(右)
ずいぶん大きくなりました。

b0124020_14581919.jpg



来年には小学校最終学年である8年生になる予定。
その後、できればケニアの公立セコンダリー校に進学する予定。

周囲の大人たちの善意と愛に囲まれて、
「かわいそうな孤児」ではなく、「自立した青年」として、
順調に生きていって欲しい、
そう、切に、願います。


K.A.記
[PR]
by kjkirakira | 2012-09-26 15:33 | 現地で 特別児童

メリーの家

2012年1~3月頃に、
ブログでも何度も紹介させていただいたメリー。

おかげさまで、
募金も十分な金額が集まり、
締め切らせていただいております。
メリーの進学支援のための募金へのご協力、
心より感謝申し上げます。

メリーはセコンダリー校1年生。
(日本の中学3年生に相当)
毎日元気に通学し、
勉強にも集中して取り組み、
学年40人中5位くらいの成績で推移しつつあります。



先日、たまたま彼女の家の付近を初めて訪れました。


メリーの家からナマンガの街の方向を眺めます。
画像の中央よりやや左、
かすかに2本見える鉄塔が、
ナマンガの街の中心から2㎞。
メリーの家は、そこからさらに3㎞離れた、
まさにナマンガの辺境にあります。

b0124020_18454257.jpg




家の近くには、
大雨が降ると濁流の危険な川となる大きな溝が、
なだらかな丘陵地帯の谷間に刻み込まれています。

b0124020_18454323.jpg




これがメリーの家。
ご近所のクンドゥさんが建ててくれたもの。
現在、母・メリー・弟・妹で一部屋で寝泊まりしています。

b0124020_1845432.jpg




そのクンドゥさんが飼っている羊たち。
「メリ~さんのひつじ~♪」ならぬ、
「クンドゥさんのひつじ~」ですね。

b0124020_18453920.jpg




この日、メリーは、
遠くまで徒歩で水を汲みに出かけていたので、
会うことはできませんでした。

土地も建物もクンドゥさんからの寄贈。
羊も山羊も何も飼っていない、
家以外に何もない、
トイレもない、
水源は遠い、
電気なんて、言うまでもない。
完全に街外れ。

結論。
暮らしは相当貧しい。

ナイロビのスラムの方が、よっぽど恵まれている…。


K.A.記
[PR]
by kjkirakira | 2012-09-26 14:48 | 現地で 特別児童

試練の少女アナスタシア

アナスタシア・ワンジク

2006年10月生まれ、
現在5歳11か月、
キラキラ保育園年長組・女児


過去のブログでも2回登場

2011年11月
http://kjkirakira.exblog.jp/17127903/

2012年4月
http://kjkirakira.exblog.jp/18070808/


アナスタシアの笑顔は最高です。

b0124020_19415456.jpg




会報キラキラだより前号(2012年8月号)でも紹介

b0124020_19412784.jpg




そのアナスタシアが、
再び試練に立たされているのです。


2011中は、
母の出産、両親の離婚があり、
母、父、母の実家、父の実家、母の兄の家などを転々とし、
全く笑顔も見られず、
お勉強にも遊びにも集中できず、
欠席も全日程の3分の1を超え、
辛い時期を過ごしていました。

しかし、
2011末に生活が落ち着き、
2012年1学期(1~4月)は、
何と無欠席を達成したのです。

2012年2学期(5~8月)は、
母方の祖父の喪があり、
欠席日数が増えてしまいましたが。

3学期(9~11月)には、
順調に通学してくれるものと期待していたのですが、
ある頃からぱったり来なくなってしまったのです。

アナスタシアは、現在母親と2人暮らし。
キラキラの正門の反対側、
キラキラ年長組の教室から見て、
道路を隔てて向かい側に住んでいます。

ときどき道路で見える姿は、
別に病気をしているふうでもなく、
まだ1歳半くらいの弟を抱っこしていることが多く、
精神疾患を抱えて、
子育てもろくにせずに外を出歩いている母親の、
犠牲になっているとしか思えませんでした。

ある朝、
年長組での1時間目の授業が始まった頃、
教室の外から、アナスタシアの元気な声が聞こえてきました。

年長組の先生が、
「Stand up, Sit down」(起立、着席)を何度も繰り返し、
年長さんたちが立ったり座ったりしていた時、
アナスタシアは年長組のすぐ外の道路で、
みんなに合わせて立ったり座ったりしていたのです。
それも、満面の笑みを浮かべて。

やがて、年長組の先生が出欠確認の点呼を行い、
年長さん一人一人のフルネームを読んでいき、
一人一人が次々と「はい!」と返事をしていったとき、
「アナスタシア・ワンジク!」
という呼びかけに対し、
道路上で、元気に、「はい!」と返事をしたのでした。

年少組の教室の窓から外をのぞくと、アナスタシアの姿が。
(教室内の男の子は、テレビでバッグの紐が切れて泣いていた子)

b0124020_19422853.jpg



道路上で起立、着席のまねをしているアナスタシア

b0124020_19423926.jpg




数日後、
授業料滞納者(今学期の学費を払い始めていない者)に、
停学処分を言い渡す日がやって来ました。
アナスタシアも停学処分に該当していましたが、
ずっと欠席しているわけですから、
停学処分の正式なお手紙も、
手渡せないままでした。

数日後、とんでもないニュースが!

アナスタシア自身が、
自分の母親を警察に訴えたのです。
警察署にアナスタシア一人がいる、
その知らせが、
巡り巡って私の耳にも入って来ました。

アナスタシアの訴えは、
「お母さんが私を学校に連れて行ってくれないから」

こどもに教育を受けさせる義務を怠る親は、
法律上罰せられることになっています。
しかし、恐らくこの日は、
厳重注意に留まったものと思われます。

キラキラでは、以前にも、
アナスタシアの学費を100%免除しようかと考え、
決定寸前までいったことがありました。
しかし、ほどなくして、
家庭の状況が安定したので、
免除の計画は取りやめていました。

キラキラは、ただでは支援をばらまきません。

支援を受けずに自立・自活できるに越したことはない、
というのが信条です。

みんながみんな、
貧しいなりに自立・自活できて、
全ての支援プロジェクトが、
アフリカ大陸から撤退する日が来ればよい、
そう願っています。

アナスタシアのケースも、できることなら、
家族・親戚で速やかに解決してほしいと願っています。

しかし、
もしも「学費」がネックになっているのだったら、
それを取り除いても良いではないか。
そして、学費免除を決断しました。

警察の一件の後も、
アナスタシアが学校に現れる気配はありませんでした。

先日夕方、園児たちのほとんどが帰宅した後、
先生たちがまだ残っていた時間帯、
ふと、一人でやって来ました。

内心、私から走って行って抱きしめてやりたいところですが、
情に流されると仕事が立ちいかなくなってしまうのは重々承知です。
アナスタシアを事務室に呼んで、
「明日、学費のことは気にしないで、学校に来なさいね」
と本人に告げました。
先生方にも、学費のことは気にせずに、
朝アナスタシアが登校して来たら迎え入れるようにと伝えました。

アナスタシアは、先生の一人に、
「何か食べるものは残っていませんか?」
とか弱い声で尋ねました。
ちょうどこの日、
所用で出かけて戻って来るはずだった先生の昼食が、
そのまま残っていました。
アナスタシアはその食事を食べ、さらに、
「少し家に持って帰ってもいいですか?」
1歳半の弟にも分けてやりたいのだ、と。

うちの先生が、
道路でアナスタシアの母親に会った際、
学費のことは気にせず、学校に来させてくれ、
と伝えてくれたようです。

しかし、その後も、
アナスタシアが通学して来る気配はありません。

アナスタシアの親戚たちも、
頭を悩ませているようですが・・・。

精神疾患を抱える母親は、
恐らくあのウイルスも抱えています。
1歳半の弟も、
恐らくあのウイルスに感染しています。

アフリカにありがちな偽善者とは正反対の、
心がきれいでストレートなお母さん、
私も大好きなのですが・・・。

もう一度、アナスタシア本人が、
そのお母さんを警察に訴えて、
司法の力で、拘留なり、強制措置なり、
してもらわなければならないのでしょうか・・・。

もう少し様子を眺めてみましょう。


K.A.記
[PR]
by kjkirakira | 2012-09-19 19:50 | 現地で 特別児童