アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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カテゴリ:現地で 全般・他( 108 )

ケニアでは、
8月の総選挙に出馬する各党の候補者を決めるために、
予備選挙(国民投票)が連日のように各地で行われています。

ナマンガを含むカジアド県で、
与党の候補者を決める予備選挙が不祥事により延期され、
その延期された日がやって来ました。

結果、またしても不祥事!!!

上院議員、下院議員、県知事、女性代表を選ぶ投票用紙は届いたのですが、
県会議員を選ぶ用紙が、
何故か投票会場の一つである公立ナマンガ小学校だけ届かず。
同会場に登録されていた2000人くらいの選挙権保持者が、
県会議員のみ投票できないという事態に陥りました。

県会議員といったら、
いちばん地元に密着した大事なポストです。
地元の平和は、県会議員の気質に頼むところが大きいのです。

ナマンガ小学校以外の投票所での集計では、
現職のH氏が、2位のP氏を2000票くらい突き放して1位だったようで、
仮にこのナマンガ小学校での投票があったとしても、
その順位が覆ることがなかったと言えます。

しかし、2位のP氏の票田が、
ナマンガ市街、すなわちナマンガ小学校での投票者たちに集中していることから、
H氏側の何らかの工作(投票用紙を盗んだり隠したり)があったのではないかと疑われています。

H氏自身はとてもクリーンで、
地域の急速な発展はほとんど望めないものの、
地域の安定と平和はしっかりと望めるような人物です。

今回、H氏の再選は難しいだろうと考えられていたのですが、
蓋を開けるとまだまだ断トツの1位。

しかし、今回の不祥事で、
H氏の株が暴落してしまったことでしょう。
8月の選挙本戦では、
2位だったP氏が政党を変えて出馬し、
打倒H氏に名乗りを上げて来ることでしょう。

予備選挙で3位以下の候補者たちを応援していた人たちの中にもアンチH氏が多く、
本選挙でのH氏の苦戦は必至となりそうです。

とにかく、私たちは、
政策がころころ変わらず、
政策が保守派にも改革派にも公平に利益を与えるくらいのところで安定し、
平和や秩序を乱す輩に対して厳罰が下り、
健気な一般市民が安心して生活や商売や事業を続けられる、
そんな地域の安定を願うばかりです。

今後5年間の安定が、
8月の総選挙にかかっています。
人間は投票できますが、
人間の力だけではどうしようもできないような、
見えない力が働くのが選挙戦です。
とにかく、平和と安定を祈ります。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-04-26 15:49 | 現地で 全般・他

政権与党の失態

ケニアでは、8月に控えた総選挙に向けて、
熱い選挙戦が繰り広げられています。

総選挙で国民が投票するのは6票。
1.大統領
2.県出身の上院議員
3.県出身の下院議員
4.県知事
5.県の女性代表
6.地域出身の県議会議員

与党連合と野党連合の二大政党に大きく分かれます。
まず、各党代表の候補者を選出しなければなりません。
日本的には、党代表は党内の選挙か何かで決めるのですが、
ケニアでは、国民による投票で党代表が決まります。

この、党内の代表を決める予備選挙が、
この4月、繰り広げられるため、
選挙戦は最初のクライマックスを呈していました。

例えば、ナマンガ地域の「6.地域出身の県議会議員」の場合、
与党連合で出馬したい人が6人くらいいるのにたいし、
野党連合は1人だけ。
すなわち、野党の方はそのままで良いのですが、
与党の方を国民が選ぶ必要があるのです。

地域のリーダーはとても重要です。
先の5年間は、
ナマンガを含むカジアド県知事の政策のおかげで、
土地の略奪などの紛争が各地で続き、
不当に?利益を被った人、
不当に!苦しめられた人が続出しました。

あの人が選ばれたらこうなるだろう、という、
いろいろな思惑を抱えながら、
多くの人が投票に向かいました。

しかし!!!

投票所に投票用紙が届かないという失態!
不正などを避けるために、
当日の朝に各地に届けられるはずだった投票用紙が、
何と、焼かれたり紛失したりして、
全国各地の投票所に届かなかったのです。

日本での投票と違い、
町の中に数少なくもうけられた投票所に、
長蛇の列をなし、
何時間もかけて投票し、
いつ何時でも勃発し得る暴動に備えなければならず、
投票日は多くの人の日常業務がストップします。

つまり、今回は、
多くの人の1日が無駄になってしまったのです。

当然、
ケニアの大部分の地域で、
投票は行われず、
与党代表は選出されず、
当面延期になってしまったのです。

この一件で、
与党の株は大暴落です。

だからといって、野党に票が流れるというわけでもないのです。
野党は野党でいろいろな問題を抱え、失態を繰り返していますから。

上がこんなですから、
下はやり放題になってしまいます。

2013より始まった地方分権も、
2003頃より本格的に始まった民主主義も、
無秩序と、自分勝手が渦巻き混とんとしています。

とにかく、平和を願い謙虚に行動し続けるのみです。

ちなみに、永住権を得た私でも、
ケニアの選挙権はありません。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-04-22 15:38 | 現地で 全般・他

喧騒のナイロビ

カマウさんの葬儀が終わり、
喪の一連の忙しさが一段落したものの、
妻ジュリアナ先生の家にはジャシンタ先生やジョイス先生や身内の女性たちがまだ毎日通い、
みんなで集まって話したり食べたり飲んだりくつろいだりして、
心の傷を徐々に癒しています。
旦那たちには癒せない感傷は、
女性同士で癒すわけです。

カマウさんの一人息子マーティンくんは、
しばらく我が家に泊まりこんでいたのですが、
そろそろママのためにも自分の家に戻らせようとしました。
しかし、普段泣かないマーティンくんは、
ママと一緒に家に残って私たちが出ていこうとしたとたんに泣きだしました。
そこで、まあ無理はさせない方が良い、
我が家で同い年くらいのノゾミやヒカリと一緒にわいわいしていることが慰めであるならそれも良し、
ということで、
まだしばらく我が家に泊まることを許可しました。

ママのジュリアナ先生の方は、
身内の女性が一人寝泊まりしており、
寂しくはありません。
ケニアでは、とくに女性は、
こういう悲しいときは一人よりも誰かと過ごした方が良いという考え方で、
みんなで寄り添い合います。
(私など、そういうときこそ一人で休みたいと思いそうです)

さて、前置きはこれくらいで。

カマウさんのことがあり、
1週間以上ナイロビに行けずにいましたが、
ようやく葬儀の翌々日の今日、
行ってきました。

明日金曜から月曜にかけて、
イースター(復活祭=イエス・キリストの死からの復活を記念して祝う祭り)を控え、
多くの人が仕事に一段落つけて田舎に帰省したりしようとしていたせいか、
ナイロビの交通渋滞はいつもよりも激しく、
ナマンガからナイロビまでたいてい3時間のところ、4時間近くかかりました。

ナイロビの街も、
祝祭前の喧騒で、ごったがえしていました。

ナイロビでの用事は2つ。
一つは、ケニアの永住権を得たことで、ケニアの永住権保持者用の身分証を申請すること。
もう一つは、パソコンとプリンターなどを購入すること。

まずは移民局へ。
身分証の申請はオンラインで行い、
支払いもオンラインでクレジットカードなどで行うのですが、
申請を完了させるためには、
オンライン手続きの紙を印刷したうえで、
それらを持ってナイロビの移民局まで出頭しなければなりません。

番号札を取って待ちます。
一人5分くらいかけていろいろチェックするので、
なかなか番が回って来ません。
何だか、オンラインになってから、
いろいろ複雑でわかりにくくなり、
サービスする側も受ける側も手数が増している感じです。
良いところは、
紙ではなくデータとして記録を残しやすいこと、
それから、
出来上がった時に連絡が来るので、
わざわざナイロビまで出来上がったかどうか訊きに来る必要がないこと。

幸い私は間違いなく前部の書類を持って来たので、
チェックもスムーズで、
間もなく指紋採取の部屋に呼ばれ、
自分の番になってからはあっという間でした。

約1か月後、
身分証ができあがり、
それを取得して、
ようやくケニア永住権が一段落します。

移民局を出て、
すぐにIT機器を売るお店へ。

日本の電化製品店に慣れているせいで、
どんなに大規模なお店でも小さく見えます。

キラキラでは、
ナマンガに電気が来る前は、
全ての書類を手書きで作成し、
手書きでコピーしながら、
事務作業などを行っていました。

2007に電気が来て、
2008にパソコン業務、インターネット業務ができるようになり、
パソコンで作成した書類を、
地元のネットカフェでプリントしたりコピーしたりできるようになりました。

その後、プリンターも購入し、
2013年には我が家も建設し、
全ての事務作業を一か所で行うことができるようになりました。

しかし、肝心のIT事務員は私のみ。
だんだん学校が大きくなるにつれて、
事務作業も多くなってきており、
近い将来事務作業を教職員たちに委ねていかねばと考えていたのです。

まずはラップトップ(ノートパソコン)。
見慣れた東芝やNECや富士通などはなく、
HPを購入しました。

次にプリンター。
今あるキャノンではインクカートリッジが高くつくことと、
インクカートリッジがナイロビでしか購入できず、
しかも、ナイロビでお店を回っても入手できないことも多く、
インクを最優先に選びました。
その結果、エプソンの、液体インクを交換する方式のものを購入しました。

あとは、マイクロソフト・オフィスのソフト、
マウス、ケーブル、用紙、他細かい品を購入。

終始、サービス業として十分訓練された、
フレンドリーな青年店員が一緒にいてくれて、
スムーズに買い物を終えることができました。

この日の買い物は計十二万シリング(十四万円)。

ナイロビ発ナマンガ行きのバス(マタトゥ)は、
交通渋滞でバスがみんな道中にいたせいか、
イースター前で乗客が多いせいか、
なかなか到着せず、
乗りたい人たちが待ちぼうけを食らいました。

「15時くらいになったら運賃が跳ね上がるだろう」
と言っていた人もいました。
市場原理ですから、
需要と供給のバランスによって、
公共交通機関の運賃もころころ変わるのです。

中国製組立式住宅の件、および、井戸の件が、
諸事情で滞ってはいますが、
この4月の休暇中には、
パソコンをまずジャシンタ先生や共同生活している青少年たちに指導したり、
カマウさんが乗っていたオートバイを我が家の青少年たちに練習させたり、
ノゾミとヒカリに日本語を教えたり日本の教科書を読ませたり、
それなりにやることが満載で忙しく過ごすことになりそうです。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-04-13 23:24 | 現地で 全般・他

葬儀

カマウさん、享年37歳。

私の大親友かつビジネスパートナー、
ジャシンタ先生のいちばん身近な弟、
ジュリアナ先生(1・2年生部門の調理担当)の夫、
マーティンくん(3年生男子)の父、
その真っ正直な性格から、多くの人に好かれ、
その反面、内に葛藤を抱えて苦しんできた男。

その葬儀が4月11日(火)。

早朝から段取りが悪く、
遺族の張本人であるジャシンタ自らいろいろ仕切らなければならないほど。
普段キラキラなどで、計画的にスピーディーに場を仕切ることに慣れている私とジャシンタは、
完全にコミュニティーの人たち任せでは何も進まないことを改めて思い知らされました。

遅れに遅れてバスが出発。
90㎞離れたところにあるカジアド県立病院の遺体安置所まで、
遺体を引き取りに行くのです。

単に遺体を引き取るだけなのですが、
大名行列のように大人数で行くことになるのです。

キラキラのスクールバスを先頭に、
ワゴン車、乗用車などが列をなして行きます。

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遺体安置所で、
故人の遺体の顔を見た途端、
大泣きして、泣き崩れて、過換気で倒れる女性が続出です。
故人の妻、姉、従姉妹、姪っ子など。
たいがい男性は泣かないし倒れません。

大名行列が戻って来て、
遅れに遅れて葬儀が始まりました。

まずは記念写真。
グループごとに故人ゆかりの人たちが呼ばれ、
棺桶と額に入った故人の写真と一緒に集合写真を撮ります。
カメラマンは私のみ。

残念ながら、
太陽が高い位置、しかも位置的に横からの陽ざし、
かつ、真っ白な棺桶と、微妙に日陰に隠れた黒い顔の人たちとのコントラストがきつく、
最悪の撮影条件でした。
撮影が始まってすぐに、
今日は良い写真が撮れないことがわかり、
あきらめモードに入ってしまいました。

記念写真は、
故人の妻と息子、
故人の兄弟姉妹とその家族、
故人の親族、
故人の妻の親族、
故人の友人、
故人の妻の教会の人たち、
列席していた教会の牧師たち、
葬儀委員会の面々、
といった順で行われました。

続いて、
私が作成した葬儀の小冊子に記載した、
故人の略歴が読まれました。

続いてスピーチです。
親族代表、
友人代表、
葬儀委員会代表、
地域の代議士。

急きょ、私が親族を代表してスピーチすることに。
遠くからやって来た故人の妻の親族は疲れており、
身近な兄弟姉妹たちは感傷的になっているし、
他に人がいないということもあり、
身近だった私に白羽の矢が立ったのです。

1年前、年少組サムエルくんの葬儀では、
サムエルくんが通っていたキラキラ保育園の代表としてスピーチしました。
21年前、大学の友人の葬儀では、
友人代表として弔辞を読みました。
しかし、何度やっても慣れないものです。

短時間で思考を整理して準備し、
家族・親族としての見解、
故人の生きざま、
残された私たちが向かう方向性など、
聖書に基づきながら語ることができ、
多くの人に理解していただけたようです。

葬儀の全景です。
テントの下に、身近な人たちが優先的に陣取り、
周りの木陰などにも大勢の人が立ったり座ったりしながら参列しています。

b0124020_16245151.jpg




















一連のスピーチの後は故人の妻の教会が仕切り、
ちょっとした礼拝となります。

讃美歌を歌い、
祈り、
牧師が説教し、
男たちが棺桶を運び、
みんなぞろぞろと穴の方に移動し、
棺桶を穴の底に安置し、
ここでまた身近な女性たちが大泣きし、過換気で倒れ、
男たちが土をかぶせ、
少し土が盛り上がった墓ができあがり、
身体に力がはいらなくなった故人の妻に代わって一人息子マーティンくんが花輪を墓に置き、
親族代表として弟の一人が花輪を置き、
教会代表として牧師が花輪を置き、
あとはそこに残っていた人たちが花を一輪一輪墓にさし、
墓の前で故人を愛した人たちが一組一組記念撮影し、
最後に野生動物たちが墓を荒らさないようにと茨を墓の上にかぶせ、
一連の葬儀のセレモニーが終了しました。

b0124020_16251862.jpg




















故人の身近で働いていた、
キラキラのビリカキャンパス勤務の男性教職員たち。
左から、ジョージ先生、ネルソン先生(守衛・調理)、ジョン先生、アレックス先生。

b0124020_16254222.jpg




















喪の期間からずっと、
故人の妻の家の庭では通夜が営まれ、
大人たちはみな忙しくしていたために、
故人の息子マーティンくん、故人の弟夫婦の娘シャロンさんが、
うちのノゾミ、ヒカリと一緒に、
我が家で合宿していました。

葬儀の日の晩も、
4人のこどもたちはみんなで、
くたくたに疲れて折り重なるように眠りにつきました。

故人の一人息子マーティンくん、
少しだけ涙を見せていたけど、
最後の花輪を飾るまで、
実にしっかりと堂々としていて、
素晴らしかった!
神の祝福がありますように。

これからは、故人の妻ジュリアナ先生と協力しながら、
このマーティンくんの養育、教育の責任の一端を担っていくことになります。

故人の妻の遠くから来た親族の何人かは、
前の晩に引き続き我が家のお客さん用の部屋に泊まり、
翌朝旅立っていきました。

キラキラ的に、
オートバイを運転していたカマウさんの死によって受ける影響は、
・調理の燃料となる薪の供給をどうするか
・お店からの食材の調達をどうするか
・6㎞離れたビリカに用事がある際の移動はどうするか
・そのビリカでの建設の際、人や物や建材の運搬をどうするか
これから、落ち着くまでは、
費用も時間も手数もかさんでいきそうです。

統計上は、日本は死亡率の高い国になります。
しかし、それは高齢者が多く、大往生する人が多いからであり、
葬儀もしめやかに営まれているのでしょう。

しかし、ケニアなどのアフリカ諸国では、
家族、親族、コミュニティーの中で人と人との距離が近い生活をしていることや、
こどもや若者や働き盛りの大人や一家の大黒柱などの死が多いことからも、
葬儀の度にみなが感傷的になり、号泣がこだまし、人が倒れ、
後々も思い出すたびに涙する人が多く、
生活や仕事に何らかの影響が出て、
一つ一つの死が重く、大きな意味をもつのです。

ジャシンタの兄弟姉妹は生まれたときは全部で10人でした。
これまで既に4人の葬儀を経て来たわけです。
両親の葬儀も既に経て来ました。
おじさんたち、おばさんたちの葬儀も時々あります。
従兄弟姉妹たちの葬儀も時々あります。
仕事や教会や近所や友達関係の葬儀もしょっちゅうあります。
これからも、何回も、
涙と号泣の葬儀を経験していくことになるのです。

旧約聖書・ヨブ記1章21節
「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」


相原 記


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by kjkirakira | 2017-04-12 16:22 | 現地で 全般・他

愛する弟、愛する友、カマウさん、
享年37歳。

ジャシンタ先生(ダイレクター)の弟、
ジュリアナ先生(1・2年生部門の調理担当者)の夫、
マーティンくん(3年生男子)の父、
私たち個人そしてキラキラの専属オートバイ運転手。

カマウさんの死から数日、
喪が続いています。

ジュリアナ先生の家の前に、
大きなテントが張られ、
プラスチックの椅子が100台置かれ、
親戚、友人、知人が絶えず訪れ、
お茶(ケニア式ミルクティー)を飲みながら故人を偲びます。

毎晩7時には親戚の会合、
8時には葬儀準備委員会の会合、
といっても、絶対に時刻通りには始まらず、
私のように時間に正確な人間ばかりが損をするのですが。

そんなわけで、帰りはいつも夜の10時過ぎ。
カマウさんとジュリアナ先生の一人息子マーティンくんと、
もう一人の弟夫婦の娘シャロンさん(年中組)は、
親たち、大人たちの忙しさから逃れるべく、
我が家でノゾミさん(2年生)とヒカリさん(年長組)とともに、
我が家で寝泊まりし、
従兄弟姉妹合同のさながら合宿を行っています。
こどもたちの世話は私を中心に行い、
みんな食べて入浴して服を着替えて寝て起きて歯を磨いています。

マーティンくんは、
涙することも感情不安定になることもなく、
むしろ不意の出来事に心が麻痺しているかのよう。
今はできるだけ普通に接しています。

ジュリアナ先生のように、最愛の夫を失う妻、
マーティンくんのように、最愛の父親を失う子、
シャドラックくんのご両親のように、最愛の息子を失う親…。

カマウさんの大きな写真は私が提供し、
それを額縁に入れて、
葬儀のための小冊子も私が英語およびスワヒリ語で作り、
それを印刷しました。

埋葬が行われるのはナマンガの街から12㎞離れたところ。
そこに、カマウさんたち兄弟姉妹がシェアする土地があるのです。
ある日、若い男たちを中心にそこに出かけ、
埋葬される場所を正確に決定し、
葬儀がスムーズに行われるように草刈り枝切りをしてきました。

私も、永住権取得後の身分証申請のためにナイロビに行く用事があったのですが、
そんなわけでしばらく遠出ができずに、
喪の諸々の段取りと夜の会合とこどもたちの世話に専心しています。

ところで、
ケニアではまだまだ親戚づきあいが盛んです。
毎日顔を合わせる仕事仲間よりも、
時々しか顔を合わせない親戚の方が重要で最優先なのです。

従って、故カマウさんの祖父の兄弟の家系の人たちまでが
親戚(こちらでは「家族」と呼ぶ)として数えられ、
親戚の会合にやって来たり、親戚としての募金に協力します。

しかし、今回の中心は、
やはりジャシンタ先生を含めた故人の兄弟姉妹たち。
兄弟姉妹たちの父も母も既に他界しています。
兄弟姉妹たちは全部で10人。
うち、生存しているのは6人。
うち、使い物になるのはジャシンタ先生とシャロンさんのお父さんの2人だけ。
表面上はコミュニティーのみんな、親戚のみんなで助け合って葬儀を行うわけですが、
現実は、ずばり、この2人に全責任がのしかかってくるのです。

ちなみに、この10人兄弟姉妹それぞれのこどもたち(ノゾミやヒカリの従兄弟姉妹たち)のうち、
ナマンガで身近に暮らしているのは、それぞれ、
7人、2人、0人、2人、0人、2人、0人、0人、1人、2人で、
身近にいずに存在がよく知られていない従兄弟姉妹たちは4人くらいでしょうか。
つまり、計20人。
こどもなしで若いうちに死ぬ人も依然多いのと同時に、
だんだん少子化、晩婚化、未婚化が進んでいるために、
10人(配偶者も併せて20人)の親から20人の子という程度の人口増(?)にとどまるわけです。

つまり、世代ごとに、直接の兄弟姉妹が減るために、
喪や葬儀の度に集まる親戚(大家族)の人数は確実に減っていくことでしょう。

そして、近い将来、
葬儀は専門業者が商売として行う方向に変わっていくことでしょう。

故人の妻ジュリアナ先生の家族・親戚は遠くにいるので、
葬式の前日に泊りがけでやって来ることになっています。
ジュリアナ先生自身はまだ若く経験がなく、
今回の中心の中心人物ゆえに、
ただただ弔問者たちのあいさつを受けることだけが仕事になります。

そんなこんなで、喪の期間が過ぎていきます。
愛する者がもう地上にいないという静かな悲しみと、
愛する者が地上の苦しみから解放されたというささやかな安堵感を抱えながら。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-04-10 18:19 | 現地で 全般・他

あのシャドラックくんの死から1か月余り、
また、死がやって来ました。

死が訪れた男性は、
デニス・カマウ(以下、カマウさん)

ジャシンタの弟(私の義理の弟)、
キラキラ1・2年生部門の調理担当者ジュリアナ先生の旦那さん、
キラキラ3年生マーティンくんのお父さん、
かつてはキラキラや私たち個人の専属土木建築作業人でしたが、
ここ数年はオートバイを運転し、
普段は普通にオートバイタクシーや物の運搬で稼ぎ、
キラキラや私たち個人の移動、食材供給、建材供給、薪供給、その他もつかさどり、
金銭面でも完全に忠実で、嘘や盗みなども皆無で、
私とジャシンタにとっての公私にわたる活動に欠かせない役割を果たしてくれていました。

奥さんのジュリアナ先生も同様に実直な人で、
キラキラの金銭管理を一手に引き受けてくれています。

一人息子マーティンくんは、
従妹ノゾミより半年だけ年上の幼馴染。
お父さんが大好きで大好きで、
オートバイに乗ってお父さんの仕事についていくこともありました。

故カマウさんは、
精神的・人格的に常軌を逸していました。
ときどきおかしくなり、
市街地に繰り出してはいろいろ人目を引くことを繰り返していたのです。

公衆の面前での自傷行為もありました。
「俺は神様が守ってくれるから大丈夫」と言いながら、
脚を焼き、見事に火傷したり。

本人はとても頑なな性格で、
人のアドバイスに耳を傾けることもなく、
自分が病気であることを否定し続けていたのですが、
何度か入院したり、向精神薬を服用したりもしていました。

しかし、自傷行為や、
自分をスーパーパワーと信じて疑わない態度から、
いつか自殺してしまうかもしれないという懸念は常にありました。

今回も、数週間前から、
カマウさんがまたおかしくなったという気配はあったのです。
やたらと市街地の人ごみに出ていきたいくなり、
繰り返し繰り返し、
「自分は毒を飲んでも死なない」
と語っていたほどでした。

私たちを含めた身近な人たちも、
何度も何度も説得を試みたり、
心を落ち着かせる薬の服用を強制したりしていたのですが、
頑なな性格ゆえに効き目はありませんでした。

ある日、ネズミを殺す薬を大量に服薬しました。
幸い、そのための薬も飲んでくれて、
ひたすら吐き、吐き、
翌朝には普通に元気にしていたのです。

しかし、その日、
また人ごみの中に出かけ、
「俺はこれを飲んでも死なない!」と大声で宣言しながら、
農薬を大量に飲んでしまったのです。

そのままオートバイに乗って帰宅。

噂を聞きつけた身内の者たちが、
ひたすら病院に連れて行こうとしたのですが、
頑なな彼はとことん拒否。

徐々に徐々に意識は遠のいていき、
夕方、酩酊状態で300m離れたおばさんの家まで歩き、
そこで力尽き、もう歩けなくなり、
眠り始めました。

医師の往診を受け、
応急処置を施されるものの、
翌日まで目が覚めず、
90㎞離れた県立病院に救急車で運ばれ、
そこで徹底的に解毒を受け、
見た目には状態が安定し、
あとは目が覚めるのを待つだけだろうと信じ込んでいました。

翌日、夜7時、
状態が安定しているのを確認。

しかし、8時、
急きょ面会謝絶になってしまいました。
そして、8時半、死亡が確認され、
そのことが伝えられました。

2017年4月5日(水)
カマウさんの地上での存在が消えました。

普通の健常な人にとっては、
何故自殺しなければならなかったのか、
何故妻子を残して自分勝手な死を選んだのか、
何故?の嵐で、
彼の思考は想像も理解もできないレベルにあるでしょう。

この度、無念にも、
帰らぬ人となってしまいました。

しかし、
もし生きながらえていたとしても、
後遺症が残り、
もはや仕事もできず、
家族・親族にとっての負担となりながら生きていくことになるか、
あるいは、何度も何度も公衆の面前で自傷行為を繰り返し、
いずれは自分の身体にガソリンをかぶり、
マッチに火をつけて、
壮絶な焼身自殺をはかることになるか、
いずれにしても、
彼は死を免れない人間だったのでしょう。

とにかく、
苦痛だった地上生活に終止符が打たれました。

そんなわけで、
身内に迷惑をかけ続けたカマウさん、
しかし、実直で勤労だった彼は、
身内や多くの人を助け、多くの人から愛される存在でした。

翌4月6日、
キラキラ保育園・小学校合同の学期終了日。
キラキラの教職員たちはショックと悲しみで、
涙を浮かべながら、心に重くどんよりしたものを抱えながら、
早朝から夕方までの忙しい一日を、
心を無理に奮い立たせながら過ごすことになりました。

夕方のPTA総会にやって来た保護者たちも、
事情を知る前から、
「今日はいつものキラキラと違って重苦しい」と感じたほど。

大通りをオートバイが通る度、
「カマウさんかな?」と頭は自然にそっちを向き、
「あ、もういないんだ」とうつむく繰り返し。

この日、ジャシンタ先生は、
丸一日ジュリアナ先生のそばにいて、
キラキラは私と教職員の皆さんだけでうまく学期末をおさめました。

夕方、給料袋をみんなに手渡した後で、
先生方がみんなで同僚ジュリアナ先生の家へ、
喪のために一日中家にいたジュリアナ先生を慰めに行きました。

カマウさんとジュリアナ先生の一人息子マーティン君は、
我が家にしばらく泊まることになり、
こどもたちの食事やお風呂の面倒を見た後で、
私もジュリアナ先生の家へ。

私の顔を見て、
私の手から給料袋が渡されたとたん、
ジュリアナ先生は泣き崩れ、
「カマウ、カマウ、」と。

故シャドラックくんのお父さん(キラキラのPTA会長)もかけつけました。
子を失って悲しむ親。
親を失って悲しむ子。

その夜、ジュリアナ先生の家の庭で、
葬儀委員会の初回の会合が持たれました。


旧約聖書ヨブ記01章21節
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。



旧約聖書ヨブ記42章02節
あなた(主)は全能であり
御旨の成就を妨げることはできない


残念な結末に至りましたが、
それはそれで主なる神様のご意志であるとして、
ただただ感謝し、謙虚に受け止めています。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-04-06 23:44 | 現地で 全般・他

永住権を正式に取得!

ナイロビの移民局から連絡があり、
ケニア永住権の証書ができたから取りに来てください、と。
そこで、ナイロビまで行ってきました。

私同様に、証書を受け取りに来ていた白人女性は、
喜びを隠せないとばかりににこにこして饒舌でした。
職員さんたちも、「おめでとう」と言って私たちに握手を求めるほど。

証書の他に、永住権を所持している証として、
パスポートにスタンプと記入もいただきました。

あとは、身分証の申請です。
永住権所持者は3年有効の身分証を所持することができ、
そのための申請と取得が残っています。
3年おきに更新していくことになります。

この身分証の件が終わるまでは完全に安心できませんが、
とにかく永住権の証書を得たことで、
とりあえず大きな大きな関門をクリアです。

応援していただいた皆さま、
心から感謝申し上げます。

これから徐々に、
現地、日本の両方を含めた各方面への感謝を、
見える形で表現してまいりたいと思います。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-04-03 23:29 | 現地で 全般・他
ノゾミさん(2年生)は私の長女ですが、
お父さんが日本人、お母さんがケニア人で、
22歳になるまでは二重国籍。

ケニアは2011年より二重国籍を認めているのですが、
日本はまだ二重国籍を認めていないので、
22歳になるまでにどちらかの国籍を選択し、
もう一つの国籍を捨てなければなりません。

こどものうちはまだ二重国籍ということで、
日本大使館から半年おきに日本で使われている学校の教科書もいただくことができます。
日本の納税者の皆さまに大感謝です。

というわけで、暇な時、放課後、土曜日などに、
少しずつ少しずつ、日本の教科書を読み進めています。

本日4月1日、
ノゾミさんが日本でも2年生になったこの日、
1日遅れで1年生分の日本の教科書を全て読み終えました。

一生懸命読んだノゾミさんもですが、
こつこつ読ませてきた私自身にも「おめでとう」です。

まだちょっと、1年生で習う漢字の習得に課題を残していますが、
概ね順調、いつ日本の小学校に転入しても十分やっていけそうです。

国や言語の二刀流はかなり大変ですが、
「ハーフ」でありながらも「ダブル」として、
何事も二倍楽しむつもりで、
これからも明るく生きていきたいです。

そして、身近にいる「ハーフ」「ダブル」の人たちに、
格好いい、自分にないものを持っている、貴重な同朋として、
温かい声援と励ましをお願いいたします!
ミス日本のお姉さんたちにも、
日本代表を争うアスリートたちにも、
テレビで活躍する芸人さんたちにも、
クラスで肩身が狭い思いをしている人たちにも。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-04-01 15:27 | 現地で 全般・他

法律順守の国境

先日の小暴動を受けて、
ケニア側ナマンガの警察署前にて、
市民向けの移民法の説明会が開催されました。

そこで語られた内容は、
私は既によく知っている内容だったのですが、
一般市民にとってはなかなか理解できない内容だったようです。

というよりも、
これまでのアフリカ的おおらかさ、
すなわち、国境なんだから自由でいいじゃん、
という考え方を変えたくないので、
新しい知識を脳が無意識に拒んでしまっているようです。

さらに、先日暴動の先陣を切って、
タイヤや電線を燃やしていた若者たちは、
相変わらず暴力的に、
「タンザニアがケニア人を締め出すのなら、
俺たちもケニアにいるタンザニア人を締め出す!」
と主張し続ける始末。

ケニアとタンザニアの国際結婚の中で、
最も多く、我々の身近にも多いのは、
ケニア人男性とタンザニア人女性の夫婦で、
ケニア側に住んでいるというパターン。

この場合、移民法的には、
タンザニア人妻はしっかりとパスポートを取得し、
それをもってとりあえずケニア側に入国し、
ケニア行政が発行する結婚証明書を取得し、
それをもってケニアの移民局で扶養ビザ(配偶者ビザ)を取得し、
その状態で3年経てばタンザニア国籍のままケニア永住権を申請することができ、
その状態で7年経てばケニア国籍を申請することができる、
というもの。

さらに、タンザニア人妻がケニアで労働したければ、
労働許可証を取得しなければならないわけですが、
ここの説明はちょっとあいまいでした。

生まれてきた子がどうなるかという件の説明はありませんでした。
しかし、明らかに、こどものうちは両国籍が認められるわけです。

国籍に関しては、
ケニアは2010年の憲法改正に伴う移民法改正により、
二重国籍の取得が可能になりました。
しかし、タンザニアはまだ二重国籍を認めておらず、
例外として、外国人と結婚した女性およびその18歳未満の子、が挙げられています。
つまり、ケニア人と結婚したタンザニア人女性が、
ケニアで扶養ビザを取って7年後にケニア国籍を申請して、取得できたあかつきには、
見事に両国籍保持者となれるのです。

しかし、タンザニア政府でも、2016年以降、
二重国籍を可能にするべきであるという議論が高まっており、
世界中の潮流からしても、近い将来可能になると考えられます。

ちなみに、日本はというと、
あの政治家の問題に絡んで、
二重国籍が大きく取り上げられたこともありましたが、
それとは別にも、国際結婚の増加や世界的な潮流と併せて、
二重国籍を可能にするべきという議論が高まりつつありますね。

現在の法律では、
ケニアは二重国籍を認めるも、
日本が認めないために、
ノゾミやヒカリのような子は、
22歳になったらどちらかの国籍を選択しなければならないのです。
彼女らが22歳になるまでに、
日本の法律が変わることを願い祈るばかりです。

私としては、
移民法の適応が隣国タンザニア人に至るまで達したこの時期、
タイミング良く滑り込みでケニアの永住権の承認が得られ、
法律的に何の問題もなくケニアにいられることはありがたいことです。

ホットな話題として、
身内が国際結婚しているような友人・知人からも、
「あんたんところは大丈夫?」
などと声がかかり始めていますから。

国境なんて関係ない、
いつも平和で自由に行き来したり愛し合えたりできる世界が好ましい。
しかし、現状は、各国が治安維持・秩序維持に努める必要があり、
移民法による規制は不可欠です。

ぜひ、私の身近に多くいる、
ケニア人男性と結婚したタンザニア人女性の皆さんにも、
一つずつ、法律順守をクリアしていくよう、
少しずつ勧めていきたいと思います。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-03-30 23:56 | 現地で 全般・他

緊迫の国境!

私たちがいるケニア共和国ナマンガは
タンザニアに接する国境の町。

国境ということで、
商売や交通の要衝であり、
近年は人口増と再開発で活況を呈しているものの、
田舎町ののどかさがあり、
住民はある意味平和ボケしていました。

しかし、先日、3月27日、
久々にナマンガ国境で緊迫した事態に陥りました。

ケニア、タンザニア両国ともに、
治安維持のためと、
自国の経済活性化のために、
違法な在留外国人に対する取り締まりが強化されていました。

そんな状況下でも、
初めからケニア人女性との結婚証明書を取得しており、
この度ケニアの永住権の承認を得ることができた外国人である私は、
法的に何の責めも負い目もありません。

しかし、多くの外国人たちが、
パスポートなし、査証なし、適切な書類なしで違法滞在を続けているのです。

とくに、ケニアとタンザニアの国境周辺は無秩序で、
多くのケニア人がタンザニアで暮らし、結婚し、働き、
多くのタンザニア人がケニアで暮らし、結婚し、働いているのです。

もともと国境のなかったところに、
ヨーロッパの列強諸国が勝手に国境線を定規で引っ張っただけ、ということで、
これまでは黙認されてきました。

しかし、徐々に徐々に規制強化の雰囲気は高まりつつありました。

例えば学校教育の現場では、
タンザニア人の子弟がケニアの学校に越境通学することは激減してきています。

キラキラもその流れを見越して、
タンザニア人の新規入園・入学を制限・禁止し、
タンザニア本国への転出を奨励する方向で、
ここ数年はタンザニア人の在校生が激減してきています。

この度、
タンザニアで生活して仕事をしているケニア人たちが、
違法ということで逮捕され、
裁判にかけられることになりました。

中には何十年もタンザニアにいて、
これまで何の咎めも受けることのなかった人もいるのです。

そのことに関して、
ナマンガ国境の広場にて、
ケニア、タンザニア両国の国境職員たちによる
公開の話し合いがもたれることになりました。

そこで、暴動が発生したのです。

車両の国境越えを阻止するべく、
道路の真ん中で古タイヤが焼かれ、
タンザニア側がケニア側から利益を受けることがないようにと、
ケニア側からタンザニア側に伸びている電線が焼かれ、
タンザニア人を家政婦として雇っている裕福なケニア人家庭が襲撃され、
国境地帯は一時はかなり緊迫した空気に包まれたようです。

ついには催涙ガスがまかれ、
国境地帯で暴動に参加していた人たちややじ馬たち、
さらには普通に働いていた人たちも散らされて、
何とか夕方には暴動がおさまりました。

ちょうど、その催涙ガスがまかれた16時には、
キラキラ保育園の下校が終わり、
キラキラ小学校の下校が始まろうとしていました。

国境地帯から来たオートバイの運転手などに情報収集しつつ、
国境地帯を通り抜けて帰宅する児童たちを選り分け、
彼らが安全に帰宅できるように、
大人の引率を付けたり、
遠回りして家にたどり着くように指示したりして、
みんなを送り出しました。

幸い、死傷者も出ず、
物損なども最小限で食い止められ、
事は今後の話し合いに託されることになりました。

もともと国境なんてなかったところ、
国籍なんて関係なく、おおらかに共存していきましょう、といった、
古き良きアフリカの価値観を持ち続けることはとても大切ですが、
世界中の国々が国境に囲まれた近代国家として成長しつつあり、
無秩序や戦争を回避するために最低限の規制が必要になっている昨今、
もはや古き良きアフリカの幻想だけでは共存できないのが現実です。

やはり、これからは、
同じナマンガとはいえ、
国境を越えて隣国で何かしようとしたら、
最低限の法的規定をクリアしながらやって行くべきでしょう。

隣国の滞在許可証、労働許可証を取得する、
隣国の人との結婚証明書を取得する、
ケニア人・タンザニア人の間に生まれた子は二重国籍をしっかりと取得する、
他いろいろ。

その際に、隣国ゆえに多少とも条件を緩くしてあげるのが良いでしょう。
遠い日本から来た私が苦労しながら厳しい条件をクリアしていったのと同じでは、
国境を接する隣国の人にはハードルが高すぎますから。

さらに、これまで長い間隣国にいた人を優遇し、
新規に隣国に行く人とは区別しても良いかもしれません。

そして、急に力づくで逮捕したり裁判にかけてしまうのではなく、
ある程度長い年月をかけながら、
徐々に徐々に法順守を徹底していくのが良いでしょう。

理想はあくまで、
国境のない世界、
国境関係なく生き、愛し合い、働く、ということです。

しかし、当面は、治安維持や秩序維持のために、
しっかりと平和的にみなが法を順守できるように、
各政府が現実的な対策を取っていくべきでしょう。

アメリカのトランプ大統領さま、
あなたが否応なしに世界のリーダー、模範になります。
お願いですから、現実的で、理解ある政策実施をお願いします!

理想的な国境なき世界が実現する日を夢見ながら、
現実で正しく生きてまいりましょう。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-03-28 15:30 | 現地で 全般・他