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アフリカでのこども支援「キラキラ」+それを日本で後援「キラキラを支える会」


by kjkirakira

シャドラックくんを葬る

2017年3月4日(土)、
病気で急逝した2年生のシャドラックくんのお葬式の日。

まず、遺体が安置されているタンザニア側に110㎞入ったアルーシャにある病院に、
シャドラックくんのご家族と近しい人たちが出かけて行きました。

キラキラのスクールバスは、
国境を越えてタンザニアに入るというリスクや出費や手続きの難解さを考慮して、
ケニア側で待機です。

お葬式の儀式が営まれるシャドラックくんの家は、
ちょうどナマンガの国境沿いで、
よく日本からの訪問者を連れて行くあのコンクリート製の国境の目印のすぐそば。

早めに到着したキラキラの男先生たちと私は国境目印の辺りで、
キラキラの女先生たちは儀式が営まれる会場の椅子に腰かけて、
アルーシャからの遺体の到着を待ちました。

遺体の到着後、すぐに儀式が開始されました。

まず、タンザニア側の慣習に乗っ取り、
棺桶の蓋が開けられ、
シャドラックくんの眠り顔に、
みんなでさよならを言います。

ここで、案の定、3人くらいの女性が、
過換気の発作でぶっ倒れました。

続いて、ケニア側の慣習に乗っ取り、
棺桶の前で、
いろいろな集合写真を撮ります。
家族、父方の親族、母方の親族、ご近所さん、
教会の人たち、キラキラの人たち(教職員・こどもたち・保護者たち)、など。

家族・親族・教会などの代表者たちのあいさつ。
今回は学校(キラキラ)の代表者のあいさつは省略。

そして、キリスト教の簡単な礼拝です。
説教と、祈りと。

その後、この日のために大量につくられた食事が振舞われ、
みんな思い思いの場所で食事をとります。

一段落して、埋葬される場所への出発となりました。
場所はお父さんの実家。
ナマンガを見下ろすオロック山の反対側!
その場所に行ったことがある人はほとんどいません。
不謹慎ですが、少々わくわくします。

キラキラのスクールバスは、
教職員および保護者の中の希望者が、
予め200シリング払って席を予約していたので、
満員のはずだったのですが、
急きょ、母方の親族の方々が乗る車がないということになり、
キラキラのスクールバスが特別に人数制限を超えて出発することになりました。

見知らぬ土地への移動、
どんな山や谷や障害が待ち構えているかわからない。
ということで、
いつも利用するマーティンくんのお父さんのオートバイを、
念のために伴走させることにしました。

バスのエンジンを入れる前に、
ドロシー先生が代表して旅の安全を祈ります。

最初の15㎞は舗装道路のために安全・安心です。

15㎞のところにあるマイリティサという町で、
左に分岐し、未舗装道路に入ります。

シャドラックくんを葬る_b0124020_20102738.jpg
















初めのうちは、順調に、スピードも出てすいすい進みます。
オロック山の北端をぐるっと回り、山の反対側に出ます。

地球の衛星である月は、
その公転周期と自転周期が一致しているために、
我々地球人は月の反対側を見ることができません。

それと同様に、オロック山の反対側を見ることはないだろうと思っていたのですが、
シャドラックくんの埋葬のために、初めて見ることができました。

シャドラックくんを葬る_b0124020_20102744.jpg
















道路の状態は概ね良好だったものの、
2つの川を越えるのが大変でした。

1つ目の川は水があったものの、
幸い水は膝くらいの高さであり、
車に乗ったまま渡り切ることができました。
(源平合戦=富士川の戦いを思い出しました)

シャドラックくんを葬る_b0124020_20102774.jpg
















2つ目の川は水がなかったものの、
大きな大地の溝になっていました。
幸い、バスに乗ったまま、
下りも登りもうまく進み、
渡り切ることができました。

川以外の大きな障害は、
とげとげの木の枝がバスの窓や車体に容赦なく襲いかかってきたことでした。
窓ガラスが割れることはなかったものの、
車体の塗装にだいぶ傷が増えてしまいました。

分岐点から2時間かけてようやく到着です。
車の距離表示を見ると、それでも分岐点から20㎞のみ。
体力のある人なら、ジョギングした方が楽です。

シャドラックくんのお父さんが生まれ育ったマサイの集落では、
既に埋葬の準備がなされていました。

牧師たちの先導により、
棺桶が穴におさめられ、
そこに土がかぶせられ、
そこにシャドラックの名前が書かれた十字架が立てられ、
万事スムーズに進みました。

その墓の前で、
花を供える儀式となりました。
シャドラックくんの両親が呼ばれ、
お父さんとお母さんが花輪を手にして墓の上に置きます。

続いて父方の祖父母、母方の祖父母、
兄弟姉妹、おじさんおばさん、従兄弟たち、といった具合。

何と、シャドラックくんの学校の代表者、ということで、
私とジャシンタ先生が呼ばれました。
神妙に、花輪を取り、2人一緒に十字架に花輪をかけました。

次いで、何と、シャドラックくんの親友が呼ばれました。
しかも、「あの韓国人の女の子!」という名指しで。
つまり、ノゾミのことです。
山奥のマサイの集落にキリスト教の宣教のために積極的に入る韓国人は、
日本人よりも有名なのです。

そこで、近くにいた私は、
「2人でも良いか?」と尋ね、
シャドラックくんのクラスメイトで、
シャドラックくんの友達で、
シャドラックくんと勉強その他の学校での活動で切磋琢磨していた、
女級長であるノゾミ同様に男級長であるレビスくんを呼びました。

ノゾミさんとレビスくんは、
2人で花輪を手に取り、
私とジャシンタ先生同様に、
十字架にかけて、
その場を離れていきました。

ノゾミは、さすがに、涙ぐんでいたようです。

私にとっても、
その日の一連の大人中心の儀式の中で、
このノゾミとレビスくんの件が、
唯一心の琴線に触れました。

一連の埋葬の儀式が終わり、
動物たちがやって来て墓を荒らさないようにと、
最後に、墓にとげとげの枝が施され、
会衆一同、帰りの車に乗り込みました。

この、シャドラックくんの墓を、
私が生きているうちに再び見ることはあるだろうか。

名残惜しく、私は会衆の最後に残り、
墓と、風景とを、凝視し、
脳裏に刻んでから立ち去りました。

親に同行してついて来たキラキラのこどもたちは、
ノゾミとヒカリとレビスくん以外にも10人くらいいました。

帰りのバスの中では、
ヒカリとその年長組のクラスメイトのデニスくんが、
歌を歌ったり冗談を言ったりして、
場を和ませてくれました。

20㎞の未舗装道路を終え、
舗装道路に出た途端に、
自動車が牛を4頭はねた事故現場に遭遇しました。

自動車のボンネットは完全につぶれ、
白煙を出し、
牛のうち3頭は恐らく即死し、
1頭は息絶え絶えに首を動かしていました。

私たち生けるものの生死は、
次の瞬間どうなるかわかりません。

わかるのは、
「土から出た人間は、やがて土に帰る」
(旧約聖書・創世記3章)
ということだけです。

これを書きながら、
目の奥に水が湧き出て来ます。

学校が大きくなればなるほど、
こういう悲しい出来事に遭遇する確率も増えていくことでしょう。

感情に素直に、愛情を貫きつつも、
感情に支配されすぎずに、規律とやり繰りとを万全とこなし、
あらゆる不測の事態に対応できるよう、
…、
神様、助けてください。

ナマンガに帰着し、
シャドラックくんのお父さんと強くハグし、
21時、その日は終了しました。


相原 記


by kjkirakira | 2017-03-04 23:09 | ブログ 現地キラキラ