アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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ケニアでの自由を待望する日々

ケニアの女性と結婚し、
ケニアで暮らす外国人男性である私。

かつては配偶者ビザも得られず、
何らかの労働をして、
しかるべき労働許可証を得て、
それを2年おきに更新するという、
不安定な状況でケニアに居続けるしか手段がありませんでした。

逆に、
ケニアの男性と結婚して
ケニアで暮らす外国人女性は、
容易に配偶者ビザ(扶養者滞在許可証)が得られ、
しかもそれは一生もんで、
離婚したとしてもその後もずっと滞在可なのだそうです。

男女でこうも違うのですよ!
女に生まれたら良かったのかな、などと、
何度も何度も思ったものです。

今回、
2004以来2年おきに更新し続けてきた労働許可証が、
更新できない状況になってしまいました。

1つ目は、
ケニア政府による治安維持、経済活性化(ケニア人の雇用促進)の政策の一環で、
外国人に対する制限や取り締まりや審査が極端に厳しくなり、
労働許可証を更新するために必要な書類や手続きが急に増えてしまったこと。
一つ一つの書類集めや手続きに相当の時間がかかるために、
時間をかければ可能であったとしても、
更新すべき期間内にどうしても間に合わなくなってしまったのです。

2つ目は、
これまでキラキラを運営して来たプロジェクト形態の変化により、
私の立場にも変化が生じ、
今後は更新ではなく新規申請にすべきだろうということです。
コミュニティーの自助組織ではなく、私立学校として、
キラキラを運営していく方向に移行させる過渡期なのです。

しかし、そんなところに朗報が舞い込みました。
ケニアで憲法改正が進められ、
その一環でジェンダー平等(男女平等)が進み、
移民法も改正になり、
「永住権」が定められたのです。

永住権を申請する権利がある者として、
①7年以上ケニアで労働に携わっている者
②3年以上ケニア人配偶者との結婚生活を営んでいる者
この②の結婚は、もはや男女差別はなく、
ケニア人女性と結婚した外国人男性も該当するのです。

しかし、永住権が始まって間もなく、
またまた移民関係の手続きで改革の波がやって来てしまい、
永住権の業務も一時停止、
労働許可証の更新もできなくなる!というデマが流れたほどでした。

しかし、その頃、2014年の労働許可証更新は、
辛うじて悪いタイミングを免れ、
毎度のように容易に更新することができました。

その更新を終えた2014年の暮れに、
満を持して永住権を申請したのです。

私の場合、その時点で労働10年間、結婚10年間でしたから、
①労働7年以上も、②結婚3年以上といった条件も余裕で満たしていました。
しかし、申請したのはもちろん②の「ケニア人の配偶者」としてです。

申請して7か月後、
その件でナマンガの秘密警察の人に呼ばれ、
面接を受けました。

幸い、その人の私に対する印象と見解は良好で、
その後、その人とはその後交友関係が生じました。

申請して1年後、
ナイロビの移民局に赴くと、
「今すぐあと一つこちらで書類をそろえれば、来週の最終審査にかけられる」
との説明を受け、期待していました。

しかし、待っても待っても連絡はなく、
申請して1年2か月後、再度赴くと、
「この書類とこの書類を追加で持って来てください」
と言われてしまいました。

数日後、それらの書類を提出しに行くと、
担当の職員に案内され、
書類を手渡し、
書類を受け取ったという受領書を引き換えに渡されました。

その後、待っても待っても何の音さたもなく、
申請して1年6か月後、
追加で提出した書類が紛失していたことがわかりました。
何という惨事!

申請して1年7か月後、
私と妻ジャシンタそろって、
それらの追加書類を再提出しに行くと、
夫婦そろっての存在がアピールになったようで、
永住権部門のお偉いさんと面会することができ、
一気に最終審査を待つリストの中に入ることができました。
そして、2週間後の最終面接に呼ばれる、と言われました。

しかし、待てど待てど何の音さたもなく、
妻ジャシンタが3~4週間おきに移民局を訪ね、
状況を聞いてはアピールを繰り返しました。
あと10人、あと7人、
少しずつ最終面接の順番が近付いてきているものの、
「あと2週間後」の一点張りで、
いつ呼び出しがあるかわからない状況。

申請して1年11か月、
2年前に更新した労働許可証の期限が切れてしまう前に、
何とか特別滞在延長の手続きをすることができました。

しかし、この特別滞在延長では、
無償のボランティアを含めていかなる労働も許可されません。
幸い、2016年の3学期は早めに終了し、
長い長い年末休暇に突入したので、
絶対に私がやらなければならない労働もなく、
ひたすら永住権最終面接の呼び出しを家で待ち続ける日々を過ごしました。

やがて小学校建設が始まり、
私自身が建設の現場監督をすることを楽しみにしていたものの、
我慢して、私は家に居続けました。
ときどき現場に行っても、
現場を指揮したりはせず、
作業を見物したり、職人たちと話をする程度。

申請してまる2年が経ち、
2017年となり、
新年度の準備をしなければならない時期に入ってきました。

幸い、キラキラでは、
少しずつスタッフたちを訓練し、
私なしでも日常が回るようにする下地は整えてありました。

それで、私は新年度始業直前の準備日のスタッフ会合にて、
スタッフたちの役割分担と、
新年度始業日の役割分担などを決めるのに立ち会っただけで、
あとはスタッフたちのチームワークという歯車が自動的に回って行く状態に整えました。

保育園始業日、私は傍観者として、労働する必要はありませんでした。
小学校始業日も、傍観者として、労働はしませんでした。
ただ、スタッフや園児・児童の保護者に何らかの質問を受けたときに、
わかる範囲で応えたり、他のスタッフにゆだねたり、
その程度のことは続けています。

しかし!
労働は人類に託された苦痛であると同時に喜びでもあります。
労働の喜びを味わいたい!
労働したり、労働しなかったりの自由が欲しい!
そのための永住権!!

折しも、特別滞在延長の期限が迫って来ました。
2度の延長はできないだろうと考え、
そうなったら一度国外に出て、
観光ビザでケニアに再入国するよりしかたないと覚悟を決め始めました。

国外と言っても、
タンザニアに行って、そこからケニアに再入国するのは許可されません。
日本まで行って戻って来るのも、
航空運賃や時間の問題もあり、
突然最終面接に呼び出された際に大急ぎでケニアに戻って来ても間に合うかという心配もあり、
候補地として、マラウィまたはエチオピアを考え始めました。

そんな時、一縷の望みをもって、
妻ジャシンタが移民局に赴いたところ、
うまく事が運び、
二度目の特別滞在延長をすることができました。
これで、国外を無駄に旅行して、
お金や時間や労力を費やす必要がなくなり、
ほっと一安心です。

その際に、最終面接まであと2人だとわかり、
恐らく2月(申請して2年2か月後)に最終面接があるだろうと、
担当者からのかなり確かな情報が得られました。

しばらくは、
働きたい気持ちを抑えて労働を自粛し、
自分がつくった歯車によってスタッフたちが大活躍する姿を感慨深く眺めつつ、
自由を渇望する主夫、イクメンとして生活していきたいと思います。

当ブログの読者の皆さまも、
期待しながら吉報をお待ちください。


相原 記


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by kjkirakira | 2017-01-12 00:26 | 現地で 全般・他