ライバル校出現!
2014年 09月 05日
大きな大きな学校が、ナマンガの街に開校した。
大きな大きな波が、ナマンガの教育界に押し寄せた。
「NGO」ではなく「会社」と名乗る組織が、
2008年にケニアで一校目を開校させ、
その後、ものすごいスピードで勢力を伸ばし、
今ではケニア各地に300校以上を開設・運営している。
欧米の大きな資本家や慈善家からの出資により、
ケニアのこどもたちの学費支援を可能としている。
彼らのウェブを見る限り、
教育方針も、教材も充実し、
短期間での成果も上がっており、
とても良い学校と判断せざるを得ない。
私たちキラキラのような弱小な学校には、
とても太刀打ちできないレベルなのである。
その学校のナマンガ進出(侵略)の準備は、
今年の初め頃から着々と進められていた。
6月頃、スタッフ募集の公示が大々的にされた。
ナマンガの多くの人がその採用試験に駆け付けた。
既にどこかの学校で雇われている教師たちも、
その日は仕事を休んでまでも、
その採用試験に群がった。
キラキラからも、その日は2人のスタッフが出かけていった。
学校によっては、その日、先生たちが全員出かけて行ってしまい、
生徒たちは自習状態だったそうだ。
スタッフ募集の公示には、
雇用されれば教師養成専門学校にも無料で優待され、
月給は2万円!と明記されていたらしい。
ケニアの一般的な教師の月給は6000円~1万円程度。
ベテランの管理職的な教師でようやく2万を超えて来る程度。
(テレビでは「8万円」と放送されましたが、正しくは「8千円」です!)
それを、2万と公示されれば、
そりゃあ誰だってそこで雇われたいと思うはず。
その日に採用試験を受けた何百人という志願者は、
最終的には10人くらいに絞られた模様。
そして、月給は約1万円とのこと。
2万円の公示は、恐らく条件付きの金額だったか…?
生徒集めも大々的に行われていたらしい。
関係者が、その学校の近くの家を回り、
ぜひうちにお出でと声をかけていたとのこと。
さらに、他に3人の生徒を入校させたら、
学費免除になるといった優遇条件も公示していた。
ケニアの他地域にあるその学校を知る人たちは、
その学校ができて以来、
みんながその学校に流れて行き、
他の公立学校も私立学校も、
こどもたちがほとんどいなくなってしまった、
と証言していた。
そのナマンガ校の開校は2014年9月1日。
それに先立って、
こどもたち(親子)の入学面談+試験が行われた。
その日は、アンボセリロードを歩いて、
その学校へ向かう親子連れが多く見られた。
そして、開校の直前の土曜、
開校記念パーティーが開かれた。
マイクロフォンとスピーカーで、
関係者たちの式辞やスピーチが、
ナマンガ中に響き渡った。
「うちの学校はかくかくしかじかでとても良い学校です」
といった内容のスピーチが。
ある朝、アンボセリロードを、
私立のM校やC校の制服を来た幼児たちや小学校低学年児たちが、
保護者に伴われてその学校の方向へ歩いて行くのを見た。
その学校の開校の影響で、
私立のM校やC校やO校やA校の生徒の多くがそちらに転校したようだ。
公立のA校の3年1組50人中、
新学期開始4日目までに登校を開始したのは20人ぽっちだそうだ。
キラキラからは…恐らく2人、そちらに転校して行った。
(1人は1年生、もう1人は年中組)
2人で済んだから良かったようなもの。
他の多くの学校は、今後経営が成り立つのか!?
しかも、その学校は、
入学手続きの際、
以前に通っていた学校のことは無視状態らしい。
ケニアの学校では、
暗黙のルール、社会の礼儀として、
こどもが転校する場合は、
以前通っていた学校の学費を全納していることの証明か、
以前の学校からの転出許可証などが必要となる。
これは、学校同士の連携、コミュニティー全体の教育上、
とても重要なことなのだ。
昔は実際に、
学費滞納しては逃げて、
また次の学校でも学費滞納し、
多くの学校を転々としていた親子もいた。
つまり、今回は、
私立学校で学費を滞納していたこどもたちの多くが、
その新しい学校に逃げてしまったというわけだ。
その新しい学校の学費は安い。
欧米の資本(支援)による学校だから、自然と安くなる。
といっても、キラキラ並みか、むしろキラキラよりもやや高い。
しかし、宣伝の巧みさによって、
とっても安く、優遇措置がたくさんあるかのように思われている。
当初、私は、その学校の学費が完全に無料であり、
当然キラキラからも多くのこどもたちが流出することを予測して、
「せっかくキラキラが10年かけて築き上げてきた自助努力の精神がぶち壊されて、
アフリカの古き悪習(援助慣れ)に逆戻りしてしまう」
と懸念していた。
しかし、幸いにも、それは免れた。
幸い、人々のキラキラに対する評価はいまだに高い。
キラキラ保育園には前年の12月31日の時点で満3歳以上という入園規定がある。
その学校は2歳半から。
しかも、交渉によってはそれより下でも入園を許可される。
「とりあえずうちの子をそこに入園させるけど、来年3歳になったらキラキラに連れて来る」
という人々もいる。
キラキラ小学校は、まだ1年生部門だけで、
来年は2年生部門と1年生部門に増えるとはいえ、
2年生からの編入は定員割れしそうにない現状では受け入れない方針である。
「もしキラキラに2年生や3年生があれば、キラキラに連れて来るんだけど、ないからしかたがない、その学校に転校させる」
という人々もいる。
2011年キラキラ保育園卒のアビフォイやグローリーなどがこれに該当する。
そして、キラキラからその学校に転校したS君の場合、
お母さんがS君を連れて入学手続きに行った際に、
「え、あのキラキラを逃げ出して来たの?何てありがたみのない人なの!?」
と、他の保護者たちに軽蔑の目で見られ、
S君のお母さんは終始建物の影に隠れていたとか。
(このお母さんは、昨年離婚して、思考力も決断力も乏しく、流されやすいタイプなのです)
つまり、その新しい学校にやって来る親子の多くが、
かつてキラキラ保育園の入園面談に遅刻したために入園できず、
しかたなくよその保育園などに通っていた人たちであり、
わざわざキラキラから転出してくるS君親子が信じられなかったのだろう。
その新しい学校は、
雇用も、入学も、
とても商売上手でしたたかなようだ。
しかし、ナマンガの人たちの反応は真っ二つに割れている。
その学校を素晴らしいという人と、
その学校はとんでもない悪だという人と。
私の考えとしては、
コミュニティーの調和や平和を考えずに、
うわべだけで人気を誇っているという意味で、
どちらかというと後者の立場ですかね…。
人によっては、
「あいつらは悪魔の手先だ」と言う。
ナマンガのようなアフリカの田舎町では、
嫉妬によって出る杭が打たれるのはよくある話で、
良いことを大々的にする人や団体がそう呼ばれるのはありがちなのだ。
私たちキラキラも、かつてはよく言われていたくらいだから。(今でも?)
私立や公立学校の先生方も、
危機感を募らせて、
「あの学校は悪だ」と口々に言っている。
しかし、「悪だ」というのは自由だが、
単なる嫉妬による憎悪なら、
単なる負け犬の遠吠えにすぎない。
かつて、キラキラは他の学校の先生方から嫌われていた。
「キラキラは安い学費で、うちの大切なお客さん(こどもたち)を取っちゃって」
のような声も聞いたことがある。
しかし、逆に、
「だったら自分たちのサービス(教育・しつけ)をキラキラよりも向上させればいいじゃない」
と反論してくれていた人もいた。
キラキラの目標は、
自分たちの学校やそのこどもたちの発展だけではなく、
ナマンガのコミュニティー全体の発展にある。
そのためには、他の学校にも頑張ってもらいたいと願っている。
徐々にキラキラへの高い評価が盤石になり、
他の学校からの嫉妬が無意味なものであるということが知られるようになり、
嫉妬が切磋琢磨に変わりつつある。
「キラキラの良さをうちも取り入れよう」
「キラキラにはない良いことをうちはやって行こう」
これはとてもとても良い傾向である。
また、住み分けもできつつある。
各学校のカラーや特徴があり、
それぞれの学校にフィットするこどもたちがいるものなのだ。
金持ちの子弟は学費の高い学校に入り、
きれい好きの親の子は清潔な学校に入る、など。
キラキラは、10年前の開設時から、
地元と等身大の学校を目指し、
資金や物にずば抜けてリッチになることは避け、
雇用条件も、学費その他のサービスも、教育の内容や質も、
他の学校と大差ないようにやって来た。
他の学校の学費を滞納したままやって来る親子は、
断固として入園を拒否し、
いろいろな理由(家から遠い・校則順守が難しい…)で転出する親子は、
後を追うことはせず、むしろ喜んで送り出し、
など。
ま、そんなこんなで、
学校同士はライバルでもある以上に、
協働すべきパートナーでもあるわけなのだ。
そんなわけで、
キラキラの勢いとはけた違いの勢いで持って、
ナマンガ中の学校からこどもたちを奪い去って行くその新しい学校が、
良く思われないのもうなずける。
しかし、こどもたちを奪われた学校たちには、
ここでもう一度サービスを見直してみるべきかもしれない。
「学費が理不尽に高すぎたのではないか」
「学費に見合った教育やしつけができていただろうか」
「あの学校の良いところをうちも取り入れよう」
約2名の転出で済みそうなキラキラとしても、
悠々と高みの見物をしてばかりではなく、
「あの学校にあってうちにないものは何か」
「あの学校になくてうちができそうなものは何か」
と考えて、さらなるコミュニティーの発展を目指して日進月歩していくべきなのだ。
助け合いに根差した古き良きアフリカ、
自助努力で活気付いたやや新しき良きアフリカ、
これらを、行き過ぎた資本主義・競争主義から守りたい!
そのために、キラキラも、ナマンガの他の学校も、
新たな努力をここからスタートしていきたい。
ここで、画像3枚。
キラキラ本部の給水塔の上からの眺望です。
手前のアンボセリロードを東進し、
緩やかな坂を下ったところにある緑の屋根、
これがその新しい学校。
その向こうにある広いグランド付の建物群が、
児童たちを奪われた公立AIC小学校。
ついでに、キラキラ小学校(仮校舎)とその敷地。
ついでに、手前の道(中央から右下)はキラキラ本部へ入る枝道、
真ん中の道路(中央左から中央右)は昨年から建設しているバイパス道路、
後ろの道路(中央左から中央奥へ)はアンボセリロード。
K.A.記
大きな大きな波が、ナマンガの教育界に押し寄せた。
「NGO」ではなく「会社」と名乗る組織が、
2008年にケニアで一校目を開校させ、
その後、ものすごいスピードで勢力を伸ばし、
今ではケニア各地に300校以上を開設・運営している。
欧米の大きな資本家や慈善家からの出資により、
ケニアのこどもたちの学費支援を可能としている。
彼らのウェブを見る限り、
教育方針も、教材も充実し、
短期間での成果も上がっており、
とても良い学校と判断せざるを得ない。
私たちキラキラのような弱小な学校には、
とても太刀打ちできないレベルなのである。
その学校のナマンガ進出(侵略)の準備は、
今年の初め頃から着々と進められていた。
6月頃、スタッフ募集の公示が大々的にされた。
ナマンガの多くの人がその採用試験に駆け付けた。
既にどこかの学校で雇われている教師たちも、
その日は仕事を休んでまでも、
その採用試験に群がった。
キラキラからも、その日は2人のスタッフが出かけていった。
学校によっては、その日、先生たちが全員出かけて行ってしまい、
生徒たちは自習状態だったそうだ。
スタッフ募集の公示には、
雇用されれば教師養成専門学校にも無料で優待され、
月給は2万円!と明記されていたらしい。
ケニアの一般的な教師の月給は6000円~1万円程度。
ベテランの管理職的な教師でようやく2万を超えて来る程度。
(テレビでは「8万円」と放送されましたが、正しくは「8千円」です!)
それを、2万と公示されれば、
そりゃあ誰だってそこで雇われたいと思うはず。
その日に採用試験を受けた何百人という志願者は、
最終的には10人くらいに絞られた模様。
そして、月給は約1万円とのこと。
2万円の公示は、恐らく条件付きの金額だったか…?
生徒集めも大々的に行われていたらしい。
関係者が、その学校の近くの家を回り、
ぜひうちにお出でと声をかけていたとのこと。
さらに、他に3人の生徒を入校させたら、
学費免除になるといった優遇条件も公示していた。
ケニアの他地域にあるその学校を知る人たちは、
その学校ができて以来、
みんながその学校に流れて行き、
他の公立学校も私立学校も、
こどもたちがほとんどいなくなってしまった、
と証言していた。
そのナマンガ校の開校は2014年9月1日。
それに先立って、
こどもたち(親子)の入学面談+試験が行われた。
その日は、アンボセリロードを歩いて、
その学校へ向かう親子連れが多く見られた。
そして、開校の直前の土曜、
開校記念パーティーが開かれた。
マイクロフォンとスピーカーで、
関係者たちの式辞やスピーチが、
ナマンガ中に響き渡った。
「うちの学校はかくかくしかじかでとても良い学校です」
といった内容のスピーチが。
ある朝、アンボセリロードを、
私立のM校やC校の制服を来た幼児たちや小学校低学年児たちが、
保護者に伴われてその学校の方向へ歩いて行くのを見た。
その学校の開校の影響で、
私立のM校やC校やO校やA校の生徒の多くがそちらに転校したようだ。
公立のA校の3年1組50人中、
新学期開始4日目までに登校を開始したのは20人ぽっちだそうだ。
キラキラからは…恐らく2人、そちらに転校して行った。
(1人は1年生、もう1人は年中組)
2人で済んだから良かったようなもの。
他の多くの学校は、今後経営が成り立つのか!?
しかも、その学校は、
入学手続きの際、
以前に通っていた学校のことは無視状態らしい。
ケニアの学校では、
暗黙のルール、社会の礼儀として、
こどもが転校する場合は、
以前通っていた学校の学費を全納していることの証明か、
以前の学校からの転出許可証などが必要となる。
これは、学校同士の連携、コミュニティー全体の教育上、
とても重要なことなのだ。
昔は実際に、
学費滞納しては逃げて、
また次の学校でも学費滞納し、
多くの学校を転々としていた親子もいた。
つまり、今回は、
私立学校で学費を滞納していたこどもたちの多くが、
その新しい学校に逃げてしまったというわけだ。
その新しい学校の学費は安い。
欧米の資本(支援)による学校だから、自然と安くなる。
といっても、キラキラ並みか、むしろキラキラよりもやや高い。
しかし、宣伝の巧みさによって、
とっても安く、優遇措置がたくさんあるかのように思われている。
当初、私は、その学校の学費が完全に無料であり、
当然キラキラからも多くのこどもたちが流出することを予測して、
「せっかくキラキラが10年かけて築き上げてきた自助努力の精神がぶち壊されて、
アフリカの古き悪習(援助慣れ)に逆戻りしてしまう」
と懸念していた。
しかし、幸いにも、それは免れた。
幸い、人々のキラキラに対する評価はいまだに高い。
キラキラ保育園には前年の12月31日の時点で満3歳以上という入園規定がある。
その学校は2歳半から。
しかも、交渉によってはそれより下でも入園を許可される。
「とりあえずうちの子をそこに入園させるけど、来年3歳になったらキラキラに連れて来る」
という人々もいる。
キラキラ小学校は、まだ1年生部門だけで、
来年は2年生部門と1年生部門に増えるとはいえ、
2年生からの編入は定員割れしそうにない現状では受け入れない方針である。
「もしキラキラに2年生や3年生があれば、キラキラに連れて来るんだけど、ないからしかたがない、その学校に転校させる」
という人々もいる。
2011年キラキラ保育園卒のアビフォイやグローリーなどがこれに該当する。
そして、キラキラからその学校に転校したS君の場合、
お母さんがS君を連れて入学手続きに行った際に、
「え、あのキラキラを逃げ出して来たの?何てありがたみのない人なの!?」
と、他の保護者たちに軽蔑の目で見られ、
S君のお母さんは終始建物の影に隠れていたとか。
(このお母さんは、昨年離婚して、思考力も決断力も乏しく、流されやすいタイプなのです)
つまり、その新しい学校にやって来る親子の多くが、
かつてキラキラ保育園の入園面談に遅刻したために入園できず、
しかたなくよその保育園などに通っていた人たちであり、
わざわざキラキラから転出してくるS君親子が信じられなかったのだろう。
その新しい学校は、
雇用も、入学も、
とても商売上手でしたたかなようだ。
しかし、ナマンガの人たちの反応は真っ二つに割れている。
その学校を素晴らしいという人と、
その学校はとんでもない悪だという人と。
私の考えとしては、
コミュニティーの調和や平和を考えずに、
うわべだけで人気を誇っているという意味で、
どちらかというと後者の立場ですかね…。
人によっては、
「あいつらは悪魔の手先だ」と言う。
ナマンガのようなアフリカの田舎町では、
嫉妬によって出る杭が打たれるのはよくある話で、
良いことを大々的にする人や団体がそう呼ばれるのはありがちなのだ。
私たちキラキラも、かつてはよく言われていたくらいだから。(今でも?)
私立や公立学校の先生方も、
危機感を募らせて、
「あの学校は悪だ」と口々に言っている。
しかし、「悪だ」というのは自由だが、
単なる嫉妬による憎悪なら、
単なる負け犬の遠吠えにすぎない。
かつて、キラキラは他の学校の先生方から嫌われていた。
「キラキラは安い学費で、うちの大切なお客さん(こどもたち)を取っちゃって」
のような声も聞いたことがある。
しかし、逆に、
「だったら自分たちのサービス(教育・しつけ)をキラキラよりも向上させればいいじゃない」
と反論してくれていた人もいた。
キラキラの目標は、
自分たちの学校やそのこどもたちの発展だけではなく、
ナマンガのコミュニティー全体の発展にある。
そのためには、他の学校にも頑張ってもらいたいと願っている。
徐々にキラキラへの高い評価が盤石になり、
他の学校からの嫉妬が無意味なものであるということが知られるようになり、
嫉妬が切磋琢磨に変わりつつある。
「キラキラの良さをうちも取り入れよう」
「キラキラにはない良いことをうちはやって行こう」
これはとてもとても良い傾向である。
また、住み分けもできつつある。
各学校のカラーや特徴があり、
それぞれの学校にフィットするこどもたちがいるものなのだ。
金持ちの子弟は学費の高い学校に入り、
きれい好きの親の子は清潔な学校に入る、など。
キラキラは、10年前の開設時から、
地元と等身大の学校を目指し、
資金や物にずば抜けてリッチになることは避け、
雇用条件も、学費その他のサービスも、教育の内容や質も、
他の学校と大差ないようにやって来た。
他の学校の学費を滞納したままやって来る親子は、
断固として入園を拒否し、
いろいろな理由(家から遠い・校則順守が難しい…)で転出する親子は、
後を追うことはせず、むしろ喜んで送り出し、
など。
ま、そんなこんなで、
学校同士はライバルでもある以上に、
協働すべきパートナーでもあるわけなのだ。
そんなわけで、
キラキラの勢いとはけた違いの勢いで持って、
ナマンガ中の学校からこどもたちを奪い去って行くその新しい学校が、
良く思われないのもうなずける。
しかし、こどもたちを奪われた学校たちには、
ここでもう一度サービスを見直してみるべきかもしれない。
「学費が理不尽に高すぎたのではないか」
「学費に見合った教育やしつけができていただろうか」
「あの学校の良いところをうちも取り入れよう」
約2名の転出で済みそうなキラキラとしても、
悠々と高みの見物をしてばかりではなく、
「あの学校にあってうちにないものは何か」
「あの学校になくてうちができそうなものは何か」
と考えて、さらなるコミュニティーの発展を目指して日進月歩していくべきなのだ。
助け合いに根差した古き良きアフリカ、
自助努力で活気付いたやや新しき良きアフリカ、
これらを、行き過ぎた資本主義・競争主義から守りたい!
そのために、キラキラも、ナマンガの他の学校も、
新たな努力をここからスタートしていきたい。
ここで、画像3枚。
キラキラ本部の給水塔の上からの眺望です。
手前のアンボセリロードを東進し、
緩やかな坂を下ったところにある緑の屋根、
これがその新しい学校。
その向こうにある広いグランド付の建物群が、
児童たちを奪われた公立AIC小学校。
ついでに、キラキラ小学校(仮校舎)とその敷地。
ついでに、手前の道(中央から右下)はキラキラ本部へ入る枝道、
真ん中の道路(中央左から中央右)は昨年から建設しているバイパス道路、
後ろの道路(中央左から中央奥へ)はアンボセリロード。
K.A.記
by kjkirakira
| 2014-09-05 18:43
| ブログ 現地キラキラ