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アフリカでのこども支援「キラキラ」+それを日本で後援「キラキラを支える会」


by kjkirakira

ミヤネ屋、テレビ取材 inナマンガ

去る8月30日、
ミヤネ屋「世界電波ジャック」ケニア編をご覧いただき、
誠にありがとうございます。

その取材の様子をお伝えします。

**

3か月間の日本滞在を終え、空の旅を終え、
ナイロビの空港に夜降り立って、
ナイロビ市街地の宿に泊まり、
翌朝まだベッドから起き上がらないでいた時、
3か月間休眠していたケニアの携帯電話の第一声!

テレビ取材の依頼を受けてもらえないか、と。

夢うつつの状態で、OKの返事をしました。

実は、キラキラにとって、
テレビ取材の話はこれが初めてではなかったのです。

2007年、テレビ取材の話があり、
お断りしています。

2011年、突然電話で、
「明日ナマンガで取材を…」
と言われ、極めて急な話に、
「明日はちょっと…」とお断り。

そんなこんなで、キラキラ創立以来、
テレビには無縁だったのですが、
ほんの少し前、日本滞在中に、
「今度テレビ取材があったら受けても良いかな」と、
ジャシンタとも、
日本のキラキラを支える会の役員の方々とも、
話をしていたばかりでした。

そんな流れで、
今回のテレビ取材の申し出も唐突でしたが、
2つ返事で受け入れることにしたのです。


しかし、OKの返事をしたとたん、
鳴る鳴る携帯電話!
次から次へと具体的な要請。

ケニアに帰って来た翌日で、
まだナイロビで用事をこなしており、
まだナマンガも、家も、キラキラも、
この目で確認していないのに…。

準備期間があまりない中で、
大急ぎで私の両親への取材も済ませた取材陣は、
飛行機に飛び乗ってケニア入り。

そして、取材陣にとって、
ケニアの最初の遠征地がナマンガ。


2012年7月17日(火)


取材当日のこの日は、
私たちがケニアに戻って来てから、
まだ1週間しか経っていない日。

最初の週は、家の片づけなどに忙しく、
キラキラは毎日ほんの数時間くらいしか出勤せず、
テレビ取材の日に初めてのまともな出勤という状態。

従って、久しぶりに会う保護者の方々と、
「元気で良かったねぇ」と、
しみじみあいさつを交わしていたほど。

そう、「逆カルチャーショック」。
たとえ何年もケニアに住んで、
かなり地元になじんでいようとも、
3か月も日本にいて、現地を留守にして、
久しぶりに戻ってきた状態では、
まるで旅人、異邦人になった気分。

自分たちのキラキラも、
まるで自分たちのキラキラではなく、
恐る恐るお邪魔しているお客さん気分。

そんな状態で、今日一日、
有意義な取材をしていただけるかどうか。
キラキラの真実が伝わるだろうか。
不安で、忙しい1日が始まりました。


取材陣による保護者へのインタビューも、
絶好のタイミングを逸し、
シャイで無口な保護者たちに的中。
あまりにも…だったので、
後でたまたま通りかかった、
活発な保護者の方をつかまえて、
改めてインタビューのやり直し。

園児たちへのインタビューも難航。
普段は私やジャシンタたちと、
スムーズにお話しできる子たちなのですが、
3か月間の留守の間に、
明らかに「コミュニケーション能力」が落ちており、
私たちへの態度もやや他人行儀になってしまっており、
インタビューに答えるという形式が難しいこともあり、
ほとんど何も言えない、
まるで言葉が通じないこどもたちのように、
カメラの前ではにかんでばかり。

園児たちだけではありません。
私自身がそうでした。
いやいやいや…、
頭の中はまだ日本にいるわけですから、
ケニアのことを尋ねられても、
ろくな答えができるわけがありません。

私だけではありません。
ジャシンタも、久しぶりに教室に入って授業をしても、
普段慣れ親しんでいる園児たちともしっくりといかず、
会話のキャッチボールはスムーズにいきません。

しかも、悪いことに、
この日はジョイス先生が急用で午前中欠勤。
私もジャシンタもまだ客人ムードで、
ジョイス先生すらいないキラキラは、
正直、いただけません。
きちんとすべき場面でめちゃくちゃになり、
躍動すべき場面でひっそりとしてしまいます。


いちばん大変なのは、
午後に街に出かけた時でした。

ナマンガの一般人って、
とっても大変なんですよ。
モラルが低い、視野が狭い、
どうでも良いことに聞き耳を立てて騒ぎ出す…。

ナマンガでは、カメラを向けられると、
発狂するくらい怒る人たちがいるのです。

街に入ってカメラを回した途端に、
まさにそんな人に出くわしました。

そこを、ジャシンタが、
毅然とした態度で、
「あんたを撮りに来たわけではない」
と撃退です。

幸い、街には至る所に、
キラキラの保護者たちやファンがいて、
加勢してくれます。

でも、もし私だったら、
テレビカメラに向かって怒る人を見た時点で、
「ここでの取材は中止しましょう」
と潔く撤退を促していたことでしょう。
だって、街の人たちの言い分も、
わからないでもないですから。

ナマンガでは、かつて、
「勝手にうちの子の写真を撮って!」
という理由で、訴えられて、
罰金を払わされた人もいるくらいです。

また、
「外国人は私たちの写真を撮って売りさばくんだ」
という考え方がしみついており、
容易に撮影に応じてくれる人はなかなかいません。

そんな状況の中、
根気強く街で撮影を続け、
友人知人を渡り歩いてインタビューしていった結果、
なかなか良い映像が撮れたと思います。


いったんキラキラに戻り、
下校時に、園児と、お迎えの保護者と一緒に、
歩いて一緒に帰宅し、そのお宅を訪問する、
という企画がありました。

私たちもまだ行ったことのない、
年少組男児ブライアンの家に行くことになりました。
しっかり朝のうちに、
ブライアンのお母さんと話をつけておいたのです。

予想通りの「貧しい」家庭。
家族の女の人たちが、
みんな十代で最初の子を出産。

貧乏に慣れてしまうと、
なかなかそこから抜け出せません。


もう一度街へ行き、
キラキラ園児の、マサイ族のお母さんたちが、
ビーズのアクセサリーを売っているところを撮りました。
ビーズのお母さんたちのほとんどがキラキラびいきです。
何の障害もなく撮影は進みます。

数年前、「ナマンガ」をインターネットを検索すると、
多くの日本人のアフリカ旅行記の記述がヒットし、
「ナマンガのビーズ売りの女たちの商売がしつこくてうるさい」
という、マイナスのイメージの彼女たちでした。

さて、何故ビーズ売りの彼女たちに商才がなく、
ただしつこくてうるさいだけになってしまうかというと、
背景には、識字率の低さと貧困とがあるのです。
根は優しい人たちです。


ミヤネ屋、テレビ取材 inナマンガ_b0124020_1950516.jpg




夕方は私たちが生活している家での撮影です。
近所の人たちが、私たちの邪魔にならないように、
遠く離れて静かに井戸端会議をしていてくれています。

何気なく望に「のぞみ」と書く練習をさせて、
それを何気なくカメラにおさめてくれていました。
今回の取材の中で、
いちばん「自然」で「良い」映像となったと、
私的には思ったのですが…?

晩御飯は、何と鶏肉。
この日、鶏を飼っているお隣さんが、
私たちのケニア帰国祝いに、
一羽を捌いてプレゼントしてくれたとのこと。

…(言葉を失う)…、
どうしてこういう日に限って!

正直、取材で大忙しの日とあって、
美味しい貴重なご馳走(鶏肉)も、
ゆっくり堪能することができませんでした。

大忙しの1日はこれで終了。


翌朝、テレビ取材陣は、
ケニア国内の次の目的地に旅立って行きました。

翌日から、私はようやく本腰を入れて、
留守中3か月間のキラキラの、
監査、修正、問題解決の仕事に取りかかったのでした。


K.A.記


【追伸】

懸念材料はたくさんありましたが、
結果的に、素晴らしい映像に仕上がったと思います。

テレビ取材陣の皆さま、
視聴者の皆さま、
生出演の両親、
心よりお礼申し上げます。
by kjkirakira | 2012-08-31 19:53 | ブログ 日本キラキラ