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アフリカでのこども支援「キラキラ」+それを日本で後援「キラキラを支える会」


by kjkirakira

少年アブラハムの現在

2012年5月5日、
キラキラの特別支援児童アブラハムのお父さんの訃報が、
日本に滞在していた私とジャシンタのもとに、
ジャシンタの甥っ子の携帯電話からのFBメッセージにより、
もたらされました。

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アブラハムは1997年11月生まれ。
もうすぐ15歳の小学7年生。

(参照:キラキラだより2010年8月号)
(参照:キラキラ・ブログ http://kjkirakira.exblog.jp/12702775/)

アブラハムの実母は、2005年初めに逝去。
父子家庭となり、お父さんは大きなストレスを抱えていました。

お父さんは、その亡き妻の実家に、
花嫁料を全納していませんでした。
そのため、半ば奪われる形で、
アブラハムが亡き母の実家に引き取られて行ったのです。

そこで、アブラハムは、いったんは小学校に入ったものの、
家庭の事情でほとんど通学することができなかったといいます。

2006年の終わり、
アブラハムのお父さんは再婚します。
あまりにも早い再婚劇に、
ナマンガの人たちはあれこれ噂をしたものです。

2007年秋、
アブラハムはナマンガに帰って来ます。
その背景には、いろいろ事情があったようです。

それからが大変でした。
アブラハムのお父さんと、亡きお母さんが築いてきた家に、
転がり込んで来た、評判の悪い継母の下での生活。

アブラハムたちは4人兄弟姉妹。
兄、姉、アブラハム、そして弟。
年上の兄と姉は、年上なりに何とか辛抱し、
年下の弟は、年下なりにつつがなく暮らしていました。

しかし、戻って来たばかりで、
思春期にさしかかっていたアブラハムにとって、
それはなかなかなじめない生活環境でした。

アブラハムは家に居場所を見つけられず、
徐々に家出や非行を繰り返すようになります。

外や、誰か他の人の家で寝泊まりしたり、
ゴミ捨て場で、食糧の残飯や、金目のものをあさったり、
学校も休みがちになったり…。

それでも、学校での成績は良く、
常にクラス60人中トップ10を維持していました。

日本のMさんによる、アブラハム支援の申し出を契機に、
ナマンガの家から離してあげて、
全寮制の小学校に転入させてあげることにしました。

こうして、2010年1月、
めでたくナマンガの北70㎞のところにある
全寮制ビシル小学校の5年生として再出発しました。

その際、弟ダニエルも一緒に転校するかという話も出たのですが、
世間体を気にする継母によるストップがかかり、
お父さんもその継母の言いなりになり、
転校はアブラハムだけとなりました。

2010年には5年生として、
2011年には6年生として、
2012年には7年生となって、
ビシル小学校で一生懸命学校生活を送り、
休暇の期間だけナマンガの家に帰って来るというパターンで、
何とか順調に生活していました。

**

そして、2012年5月5日、
お父さんが亡くなってしまったのです。

長い間、体調が悪そうにして、
病院通いをしていたお父さんでしたが、
4月以降、体調が一気に増悪して、
ついに力尽きたのだそうです。

4月の頭、これから私が日本に行くという時に、
お父さんをキラキラの事務室に呼んで、
アブラハムのことでいろいろ話をして、
アブラハムの2学期分の学費を託した、
それが最後でした。

**

その後、アブラハムはどうなったか…?

喪の期間が終わり、
キラキラから託されたアブラハムの2学期の学費を、
恐らくお父さんが病院治療費として使ってしまっていたので、
亡き父の親友だったNさんが学費を肩代わりし、
アブラハムは無事にビシル小学校に戻りました。

全寮制の小学校ゆえ、
2学期が終わるまでは、余程のことがない限り、
ナマンガに戻って来ることはありません。

しかし、毎月のように、
PTA参観やらPTA会合やらがあり、
保護者の出席が求められます。

父の逝去後、初のPTA参観日には、
亡き父の親友Nさんと、
アブラハム転校時からお世話になっているGさんとが、
2人とも参加しました。

その際、2人の間で、
今後はNさんがメインとなって、
アブラハムの保護者としての役割を果たす、
ということで合意したようです。

**

アブラハムの兄と姉と弟はどうなったか…?

ここ2~3年、ぐれてしまい、麻薬や非行をするようになっていた兄と、
普通にナマンガのケニア側の公立小学校に通っていた弟ダニエルは、
2005に亡くなった母のお姉さん(母方のおばさん)の家に引き取られ、
タンザニアのアルーシャに引っ越して行きました。

弟ダニエルは、このままケニアの学校に通い続けたかったらしいのですが、
父のいない継母だけの家となってしまっては、仕方ありません。

幸い、アルーシャのおばさんの家はそこそこ豊かで、
弟ダニエルはタンザニアの私立小学校に転校し、
兄はそこを拠点に電気工の仕事にありついて、
何とかつつがなく暮らしているそうです。

アブラハムの姉は、ご近所さんの尽力により、
ナマンガのタンザニア側のセコンダリー校(高校)の、
寮に入れてもらえることができ、家を離れ、
学費に関してはNGOの支援も受けることができていました。

しかし、この夏、
タンザニアの学校教員たちによる大規模なストライキが発生し、
タンザニアの学校はことごとく授業が中止され、校舎が閉鎖され、
アブラハムの姉は仕方なく家に戻り、
継母の下で暮らしています。

**

さて、8月頭、
2学期を終えたアブラハムが、
久しぶりにナマンガに戻って来ました。

キラキラの事務室を訪れたアブラハムは、
ちょこっと亡き父の話を出しただけで、
大粒の涙をこぼして、
声を殺して泣き始めました。

その翌日、
何と、アブラハムの継母が、キラキラにやって来ました。

あいにくその日はキラキラ保育園の2学期の終了日で、
とても忙しく、来客の相手をしている暇がなく、
かわりにジャシンタが話を聴いてくれていました。

「もしもキラキラが全ての費用を負担してくれるんだったら、
アブラハムの学費を払うのも、
アブラハムの学校のPTA参観やPTA会議も、
全部私がやってあげるわ」
と豪語していたそうです。
世間体を気にしていたのでしょうか…。

そのことを夕方伝え聞き、
この継母にだけは任せられないことが、よくわかりました。

その翌日、キラキラの事務室で、
少年アブラハムと向き合って、
今後のことを詳しく話しました。

本人は、ケニアの小学校を卒業し、
ケニアのセコンダリー校(高校)を卒業することを、
強く希望しています。

しかし、亡き母は普通のタンザニア人、
亡き父は国境のないマサイ族だったとはいえ、
タンザニア人として生活しており、
アブラハムの出生証明書はタンザニア政府発行の物。

現在7年生のアブラハムは、
来年、8年生(小学校の最高学年)として、
ケニアの全国共通小学校卒業試験を受けるために、
①タンザニアの出生証明書をもとに、タンザニアのパスポートを取得する
②何らかの手段でケニアの出生証明書を取得する
のいずれかが必要です。

亡き父にも、再三、
早めに準備するように促していたのですが、
間に合いませんでした。

父がいなくなった今、
誰かがかわりにこのことをやってあげる必要があります。

それから、小学校の残り1年と少しの間と、
セコンダリー校に進学してからの4年間と、
保護者によるPTA参観やPTA会議への参加が求められるという問題があります。

実際に、我がジャシンタも、現在、
全寮制のセコンダリー校に通っている少年1人、少女1人、
全寮制の小学校に通っている少年1人の、
計3人の孤児を養育していますが、
しょっちゅう学校で何かがあって、
保護者の参加や出頭が厳しく求められ、
他の親戚と都合をやり繰りして、
遠い土地にある学校を何度も往復し、
交通費も旅の手間も、かなり大変なのです。

キラキラは、これまでに集めたアブラハム募金で、
何とかセコンダリー校卒業までの学費支援は続けるつもりでした。

しかし、完全な孤児となってしまった今、再度募金を募り、
学費以外の、学校関係の出費の全てを支援できるようにするつもりです。

(募金再開は、詳細が確定したらまた通知させていただきます)

そこで重要なのは、
誰がアブラハムの保護者の役目を担っていくのか、
ということです。

私やジャシンタは、
現状のままではそこまで引き受けることができません。
教育分野において、町や地域の有名人となっている私たちが、
特定の児童の保護者がわりをすることは、
いろいろと問題があるのです。

日本でも、
海外でこども支援活動をしている活動家が、
被支援児童数十人を養子として手続し、
子ども手当、児童手当を日本政府に申請したなどという話もありましね。(苦笑)

アブラハムに率直に尋ねました。
私:「継母さんに一任しようか?」
ア:「いや、継母はやめてください」
私:「どうして?それがいちばん自然じゃないの?」
ア:「(無言)」
私:「じゃあ、誰に頼もうか?」
ア:「Nさんにお願いします」
アブラハムはNさんを信頼しているようです。
私:「そうか、Nさんね…」
ア:「Nさんができないと言ったら、Gさんにお願いします」

それから、アブラハムと一緒に、今後の予算を再検討してみました。

そして、
Nさんと直接会って話し合うために、
Nさんに会いたい旨手紙を書き、
アブラハムに託しました。

**

その日から既に2週間。
Nさんから私への直接の連絡はなく、
アブラハムからも音沙汰ありません。

キラキラの方針としては、
キラキラの側から
「支援してあげるよ、受け取って!」
と支援をばらまいたり押し付けたりするのではなく、
「支援が必要だったらお出でください」
という忍耐強く待ち続ける姿勢を保っています。

伝え聞いたところでは、
Nさんご夫婦も、いろいろな状況を考慮して、
すぐに単純にOKできない事情があるとのこと。
とくに、同じ町に暮らすアブラハムの継母との関係を、
最低限平和的に保っていかなければなりません。

Gさんも、いろいろ案じてくださっています。

あと1週間で3学期が始まります。

アブラハムの人生の一端を担う、畏れ多い仕事ですが、
これからも応援・助言、よろしくお願いいたします。


K.A.記
by kjkirakira | 2012-08-25 18:57 | ブログ 現地キラキラ