アフリカでのこども支援 「キラキラ・プロジェクト」 + それを日本で後援  「キラキラを支える会」


by kjkirakira
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少女メリー・セエンダを救う~その③

以下、メリー直筆(英語とスワヒリ語のmix)の自己紹介・家族紹介を日本語訳したもの

☆☆

メリー・セエンダ・レンゲテ
女子
生年月日 1996年3月13日(実際は1995年?)


家族
母 リキア・キシニニェ 1967年生まれ? 44歳? 同居
兄 ジュリアス・キラ 1982年生まれ 29歳
兄 モーセス・キラ 1987年生まれ 24歳
兄 キヒリンコル 1991年生まれ 20歳
本人 メリー・セエンダ 1996年生まれ 16歳 同居
妹 ジョイス・テケイヤン 1997年生まれ 15歳
弟 ザカヨ・ジェイムス 2004年生まれ 8歳 同居
妹 ナオミ・ラコニ 2007年生まれ 5歳 同居



リキア・キシニニェという名前です。1967年頃の生まれです。17歳のときに私の父と結婚しました。結婚して5年経った頃に、父は他の女性とも結婚しました。2人の妻との結婚生活を数年営み、私の母との間に私を含めて4人のこどもをもうけました。その後母は離婚させられ、家を追い出されてしまいました。その際、母のマニヤッタの家は焼かれ、家の中にあった身分証明書などの重要な書類も全て焼かれてしまいました。そして私たちはビシルの町に移住しました。母は私たちが生活していくための家を見付け、そこでンガタタエクに移住するまでの8年間ほど暮らしました。

第一子(兄)
ジュリアス・レショコという名前です。1983年頃にオルモレリアニで生まれました。定職に就いていません。人の荷物を運んだり、水を汲んで配達したりといった単発のバイトをしています。時にはそういったバイトさえ見つからない時もあります。

第二子(兄)
モーセス・キラという名前です。1987年にオルモレリアニで生まれました。定職に就いていません。いろいろなバイトをしており、何とか1日に150シリング程度は稼いでいます。時には一足5シリングで靴の修理も手がけています。

第三子(兄)
キヒリンコル・ンダリという名前です。1991年頃にオルモレリアニで生まれました。両親が離婚した際に、父に力ずくで奪われるようにして引き取られ、以来一度も姿を見たことはありません。

第四子(私自身)
私の名前はメリー・セエンダ・レンゲテ、女子、1996年3月13日にビシルで生まれ、現在16歳です。ビシルで生まれ育ちました。

第五子(妹)
ジョイス・テケイヤンという名前です。1998年5月7日にンガタタエクで生まれました。現在ナマンガ町立小学校の4年生に在籍しています。

第六子(弟)
ザカヨ・ジェイムスという名前です。2004年1月3日にナマンガの家で生まれました。学校にはまだ入らず家にいます。弟を学校に入れるお金がないからです。

第七子(妹)
ナオミ・ラコニという名前です。2007年5月13日にナマンガの家で生まれました。学校にまだ入っていません。タンパク質摂取不足のためにクワシオコルを患ったことがありました。


生活歴

私の名前はメリー・セエンダ・レンゲテです。1996年3月13日にビシルで生まれました。
私の両親が離婚した時、母は父から追い出され、私たちを連れて1999年にビシルに移り住み、ビシルで6年間生活しました。その間、母は水汲みや薪拾い、洗濯などのバイトをして、少なく不安定な稼ぎで何とかその日暮らしの生活をしていました。生活する家を恵んでもらったかと思ったら、その2週間後には追い出されたり、その繰り返しでした。
ある日、母はじっと考え込んでいました。ンガタタエクに友人がいることを思い出したのです。母は引越しを決意し、私たちを呼び集め、引越しの荷物などほとんどなかったのですぐに出発しました。道路まで来たとき、私たちは「これからどこへ行くの?」と母に尋ねました。母は、ただ黙って後に着いて来なさい、と言うだけでした。ンガタタエクまで親切な運転手さんが私たちを無料で乗せて行ってくれました。ンガタタエクに着いたところで車を降り、とりあえず行く場所がなかったので、母は私たちに座るように言いました。そのまま2時間ほどじっと座っていました。そうしてじっと座っていると、ある一人のおばさんが通りかかったので、母がすかさず呼び止めました。母はそのおばさんと1時間ほど話をしてしたでしょうか。そのおばさんは私たちをご自宅に連れて行ってくださり、私たちが生活するための家を恵んでくれました。そこで1年間ほど暮らしました。しかし、その生活苦はビシルの時と同様でした。
2006年の2月に母はナマンガに越して来ました。私はそれに先立って既にナマンガに来ており、今は亡き母の友人であるおばさんの下で暮らしていました。母がナマンガに来てから、私たちが最初に住んだのはオルコングでした。私たちは土壁もなくビニールで壁を覆っただけのマニヤッタの家を建てて住み始めました。通りを歩く人たちから見れば家の中が丸見えのような家でした。
ある日、近所に住むおばさんが、何とかしてその土地から私たちを追い出そうとして行動を起こしました。そのおばさんは地元政府の土地管理局に赴き、公式文書を受け取って来て、その翌日、私たちはその家を追い出されてしまいました。
2007年に、オルコングのやや低地の方に、何とか住む家を確保することができました。しかし、その家も、最初の家同様にあちらこちら穴が空いており、南京虫(シラミ)やゴキブリやウジ虫(ツツガ虫、毛虫、イモ虫)が居座って私たちも居場所がないくらいでした。その家が崩壊して住めなくなるまで私たちはそこに住み続けました。
2008年、ある日、土地管理局の人が通りかかりました。母は出て行ってその人に泣きついて窮状を訴えました。そのかいあって、オルンガルワに無料で土地を供与してもらうことができました。そこにマニヤッタの家を建てました。しかし、しばらくしてその家はいとも簡単に崩壊し、服やビニールでその崩壊した部分を覆わざるを得ませんでした。また、その家にドアはなく、トタンを使って何とか隙間ができないように覆ってドア代わりにしていました。雨が降ると雨漏りがひどく、まるで家の中が外であるかのように水浸しになる有様でした。
2011年、近所でお世話になっていたクンドゥさんが引っ越すという話を聞きました。母はクンドゥさんに頼んで、ぜひ一緒に連れていって欲しいと懇願しました。というわけで、クンドゥさんの引越し先に一緒に引っ越して行くことになりました。クンドゥさんは私たちのために1週間かけて3部屋の家を建ててくださいました。しかし、ある日、その家の屋根に使っていた3部屋分の真新しいトタンが全部盗まれてしまったのです。今その土地で私たちが住んでいる家は一部屋だけのもので、かつて住んでいたマニヤッタの家と何ら変わりがありません。その屋根に使っているトタンは、クンドゥさんがかつてご自分の家に使っていたものです。そのトタン屋根はあちこち穴が空いていて、雨が降ると雨漏りします。ベッドもなく、私たちは地面で寝ています。椅子もなく、イスラム教徒の人たちなどが使い捨てたゴザを敷いてそれに腰かけたりしています。

☆☆

この、メリー・セエンダのセコンダリー校進学支援のため​の寄付金を募集しております。

現時点での見積もりは、
初期費用 2万円
学費 年間3万円×4年=12万円
学用品・必需品 年間1万円×4年=4万円
計 18万円
これをけちりにけちって節約しながら、
メリーのために、
大事に大事に有効に役立ててまいりたいと思います。

寄付金の送付先は、

ゆうちょ銀行振替口座
00220-3-39508
『キラキラを支える会』

他行から振り込む場合の口座情報詳細は、

〇二九店 (ゼロ二キユウ店)
当座預金
口座番号0039508
『キラキラヲササエルカイ』

ゆうちょ銀行(郵便局)窓口で振込みをされる場合、水色​の用紙になります。
備考欄に「メリーのために」などとご明記下さい。
また「ブログを見て」「mixiを見て」「Facebo​okを見て」などとご明記下さい。

インターネットやATMなどで振込み・送金をされる場合​、
入金がメリーのためであるということを明記したメールを​、
下記アドレス宛に送信していただきますようお願いいたし​ます。
kirakira_sasaeru@yahoo.co.​jp

あるいは、私自身がこの4月~7月に日本にまいりますの​で、
会った時に直接手渡しくださってもかまいません。

コーディネーター 相原功志 記
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by kjkirakira | 2012-03-12 19:20 | 現地で 特別児童